八丈坂下 八丈島 流人が築いた玉石垣の島の中心集落

東京都
八丈町
大賀郷大里
三根






交通






大里


三根




2010.11.13
ひょうたん型の島は大島に次いで伊豆諸島二番目の大きさ。黒潮が流れる島の周囲は岩場が多く、西に八丈富士、東に三原山を仰ぐ。二つの山の間は坂下と呼ばれる平野部で、中心市街の大賀郷・三根がある。大賀郷の大里地区は、玉石垣の見事な集落。島の集落は、風雨から家屋を守るため海から玉石を運び石垣にしていた。これは、江戸時代に島へ流された技術者が島に普及させたもので、陣屋のあった大里地区に最もよく残っている。また、大里には民家や八丈島ならではの高床式倉庫が保存展示されている高床式倉庫だが、そのほとんどが姿を消している中で、一棟だけ現役で使われているものもあった。
三根は西の八重根港とともにフェリーが発着する東の底土港のある町。平坦で整然と区画された印象の街で、住宅の中に物販や飲食の商店が軒を連ねないで点在をしている。ここも石垣の街であるが、比較的新しいのであろうか、玉石ならぬ溶岩系の岩で石塀を築いている。

【八丈島】
伊豆諸島の南部、東京から南へ287kmの太平洋上にある島。近世、江戸幕府は2000人もの人々をこの島へ流罪にし、その結果流人によってつくられた独特の習慣・生活様式が現在も残っている。産業としては、地理的条件を生かした漁業、自然的条件を生かした観葉植物の栽培がある。中でもフェニックス・ロベレニーの生産は日本一を誇る。
大里のふるさと村
八丈島歴史資料館からふるさと村へ通じる道は、昔「馬路」と称し、八丈島の最も古い由緒ある道で、昔の面影を今に伝える貴重なところである。
ふるさと村
玉石垣、母屋、高倉、マヤ(牛舎)、閑所(便所)等が一式揃っている、八丈島の民家の佇まいを知る上で貴重な場所である。
ふるさと村
古民家母屋の縁側の上部。屋根との間に隙間がある。通気を考えた造りなのであろう。

八丈島歴史民俗資料館に保存されている高床式倉庫。六本柱と四本柱のものと二棟ある。床をもち上げている柱の上部には鼠返し付いている(上)

八丈島歴史民俗資料館に活用されている旧役場(上)

昭和35年頃の八丈島の集落(左上)

大里地区の玉石垣
大里の町並み
大里の町並み
大里の町並み
大里の町並み
大里の町並み
大里地区に残っている現役の高床式倉庫。屋根は低く落とされトタンぶきになっていた。(上)

八丈富士の中腹から見下ろした三根。
三根の町並み
石垣は玉石ではなく溶岩系の岩石
参考資料 リンク
八丈町

参考文献