東京湾埠頭紀行

突然ですが、都内の東京湾に近い運河沿いの街に引っ越しました。そんなわけで、四月下旬の五島列島以降バタバタしていてしばらく町歩きができなかった。新居も落ち着き、週末ようやく町歩きをする余裕が生まれてきましたのでそろそろ再開しましょう。
東京湾岸つながりで、京浜工業地帯の工場街とその中に息づく漁村、そして地元東京都港区・品川区のウォーターフロント開発地や倉庫街を歩きました。


海の上にホームがある海芝浦駅
安善(神奈川県横浜市)

JR京浜東北線鶴見駅。これから
JR鶴見線沿いの工場町を探訪です。久々なのでやや興奮気味・・・
JR鶴見線は横浜市鶴見区から川崎市川崎区にかけて、
京浜工業地帯の真っただ中を走っています。したがって利用者のほとんどが工場で働く人達であり、全ての駅が無人駅。今でこそSUICAがあるので無人駅だろうが問題ないのでしょうが、その前の時代からの名残で、JR同士にもかかわらず京浜東北線から鶴見線へ乗り換える所に改札があるのですちょっと珍しいでしょ

海芝浦行き列車は、浅野駅から支線に入り旭運河に沿って走ります。右手に工場、左手は運河越しに石油油槽所が続く風景。そして最後に大きく右へ90度ターンし、広い京浜運河への視界が開けたかと思うと海芝浦駅に到着しました。
海芝浦駅はその名の通り、
海の上にホームがつくられていて、東芝京浜事業所の真前です。ここから眺める京浜運河と扇島の風景は大変素晴らしく観光名所になっています。

海芝浦駅の外は東芝の工場なので関係者以外は出られません。同じ車両の列車に乗って戻ります。浅野駅で扇町行きに乗り換え、ひと駅隣の安善で下車。
駅前にレトロなタバコ屋さんがあっていい雰囲気を醸しています
ここには埠頭工場群に囲まれた寛政町という住宅街があります。歩いてみると、古そうな家では
平屋建てで同じ形の玄関庇を付けた家屋が何棟も見られました。家屋の形が似通っていることから、一時期に造られた社宅街だったのかもしれません。渋い銭湯もありました。
脳天から照りつける日差しが痛い!土のような風合いのモルタル壁をバックにパシャ。
炎天下の時はこんなイデタチで歩いてま
。ちょっと恥ずかしいけどそんなこと言ってられません。


 

安善駅前のタバコ屋

寛政町の町並み

炎天下で町歩きスタイル
鶴見(神奈川県横浜市)

産業道路(海岸通り)を渡ると、町は工場から住宅へと変わります。「仲通り商店街商和会」のゲートが見えてきました。ここは、本町通り商店街までつながる鶴見の商業軸。鶴見は沖縄からの移住者が多く、商店街には
沖縄系の物販、飲食店がたくさん見られます

この商店街にある沖縄そばの食堂は好きな店で何度か来たことがあります。定番の沖縄そばとゴウヤチャンプルーとオリオンビール。
那覇の牧志辺りを歩いて小さな食堂に入った気分にさせてくれます




仲通り商店街を抜け入船の旧遊里を再訪。前回の時は余り感じませんでしたが、結構名残があるなぁという印象。町並みは二度三度と足を運ぶことによって見えるものが違ってくるもんなんですね。改めて実感。
しかし、旧遊里入口に鎮座していた
銭湯は残念ながら姿を消していました



 

鶴見仲通り商店街の沖縄物産センター

沖縄そばの食堂

鶴見入船の旧遊里
生麦(神奈川県横浜市) 

本町商店街のアーケードの日陰をできるだけ選んで歩き、鶴見川を渡ると生麦です。JR鶴見線の国道駅、
ガード下は超レトロな空間で、私の好きなスポットでもあります。ドラマのロケ地にもたびたび登場します。店はほとんどが閉鎖されてしまっていますが、そのレトロな空間はなんとか保持されています。嬉し。


 

国道駅の入口が面する通りを改めて歩いてみると出桁造りの町家がちらほら。後で調べてわかったことですが、ここは旧東海道だったんですね。いままで気づきませんでした。一方、鶴見川沿いの舟屋のある風景は護岸工事によって完全に消滅していました。不法ですのでやむなしですがちょっと残念。
旧漁村エリアから京急生麦駅へ歩きます。途中、国道15号線沿いに古い建物を発見。
国道15号線も整備されてから歴史を積み重ねた東海道だからなのでしょう。



生麦 鶴見川沿いの舟屋の風景
護岸工事が完了しもう見られません

国道駅ガード下

国道15号線沿いに残る大きな銭湯

子安の舟屋集落
子安(神奈川県横浜市)

かつて、京浜急行で横浜方面に向かっていた時、子安付近の車窓から一瞬ちらっと見える遠くの町並みが気になっていました。その後、その町を調べに行ってこの舟屋集落を見つけました。万訪発見の集落!。まぁ、かつてこういうものは各地で見られたのでしょうが、護岸整備が進むにつれて無くなっていったのでしょう。今では子安親水集落などと呼ばれています。生麦の鶴見川沿いは変わってしまっていましたが、子安のここは健在です。

子安から新子安へ、国道15号線を歩きます。
広い通りであるにも関わらず、通り沿いに戦前の家屋が残っています。ここもかつての東海道の名残なのでしょう。

首都高横羽線、JR貨物線を越えて守屋町の埠頭へ。大きな日本ビクターの工場があり、正門前に古典風の建物がありました。
そして玄関前にビクターのマークが掲げられていました。この犬、ニッパー君というそうです。


子安の陸側の町並み

新子安守屋町の日本ビクター工場
扇町(神奈川県川崎市)

鶴見子安を歩いた翌日、もう一つもの足りないので、鶴見線の終点扇町に行きました。この埠頭には住宅街というのはなく、純粋な工場町です。扇町の駅前には工場関係者を相手にした数店舗があるだけで、そのほかは道路上を配管が横切るような工場ばかりです。鉄道マニアか工場マニアでしょうか、写真を撮っている人を何人も見ました。

浜川崎は、JFEスチール東日本製鉄所(旧日本鋼管)門前の駅。鶴見線と南武線終点の浜川崎駅が道路を隔てて別々にあります。臨港線らしく、たくさんの線路があって、
その片隅にポツンと人を運ぶためのホームがある。なんとも郷愁を感じてしまいます。




鶴見線終点の扇町駅

南武線終点の浜川崎駅

京浜運河から見た天王洲シーフォートスクエア
天王洲(東京都品川区)

天王洲は昭和初期に埋め立てられた埠頭。バブル経済の時代に、それまでの雑多な倉庫街を再開発して生まれた街です。モノレールによる羽田空港への高い利便性からオフィスビルが多く、劇場やホテルもあります。完成した当時は新都市開発事例として、多くの業界人らが見学に行ったものでした。

誕生してから早20年。あらためて集落町並みとしてみるとどうでしょう。やはり20年前という時代を感じますね。ビルの頂部に冠のような特徴を持たせたものが多かったり、ミラーガラスを使っていたり。でも、ランドスケープ、特に運河沿いの親水空間の造り方は優れています。ボードウォークの遊歩道が整備されいて水に近づけるよう低くし、台場時代の石垣を再利用していたり。倉庫を改造したレストランの周辺など素晴らしい。
最近では周辺に住宅が増えて、
週末に天王洲アイルを訪れる人も多いようです。



倉庫を改造したレストランと運河の親水空間

頂部に冠をのせたバブル期ビル
品川埠頭(東京都港区品川区)

天王洲から京浜運河を渡ると品川埠頭です。橋の袂に、これもバブル期の1990年にできて話題となったクリスタルヨットクラブがあります。ここからの運河沿いの眺めはまた素晴らしく、
対岸の天王洲アイルや超高層マンション群と幅のある運河のスケールがダイナミックです

埠頭を縦に走る東海道新幹線貨物線の下をくぐると
コンテナ倉庫街。コンテナのサイズは同じながら、カラフルで様々な国や地域の文字が書かれたものが4段5段と積み上げられています。そして、岸壁にはキリンのような形をした4基のガントリークレーンが並んでいます。人は僅かしか住んでいないので、集落町並み?ではないかもしれませんが取り上げたくなりました。



岸壁に建つ4基のガントリークレーン

積み上げられたコンテナ

品川埠頭橋から見た京浜運河とWCT
港南WCT(東京都港区)

天王洲アイルの北側の京浜運河に沿った港南地区は、かつて倉庫等が並んでいた街。土地利用転換と都心居住回帰を背景に、急激に超高層マンション開発が進みました。一時期はデベロッパー間の超高層マンション開発競争を湾岸戦争と呼んだそうですが、その中でも最も住戸数の多いのがワールドシティタワーズ(WCT)です。40階建て3本のタワーには何と2090戸が入居しており、おそらくわが国一の高密度垂直集落といってよいでしょう。これは中小規模の島3島分に相当するもので、形態的には深い谷を隔てて向かい合う山岳集落と似ているかもしれません。

敷地内の庭や運河沿いの親水空間はだれでも通り抜けできます。隣接する東京海洋大学の演習船の停泊する港がWCT敷地と景観的に一体化しており、
斜面集落を背負った漁村のようでもあります。



東京海洋大学の演習船の停泊する港

40階建て3棟に2090戸が入居する高密度垂直集落

WCT屋上から眺めた港南地区のマンション群(遠く右は東京タワー)

やっぱり水辺の街というのはいいものですね。漁村はもちろんですが、それが超高層マンションであっても、工場町、倉庫町であっても。そして、都心居住の形は多様化しています。超高層マンション群はその立地によっては周りの街に悪影響を及ぼしたり、歴史的な町並みが失われていく原因にもなっています。しかし、わが国の集落町並み全てを見つめる立場にある自分としては、ここから目をそらすわけにはいきません。超高層マンション群を「高密度垂直集落」と呼ぶこととし、これからも取り上げていきたいと思います。