品川埠頭 東京港のわが国最初のコンテナターミナル埠頭

東京都
港区
港南5

品川区
東品川5




交通

東京モノレール
天王洲アイル駅下車徒歩






品川埠頭




2010.7.17
東京港の歴史は、15世紀に江戸城を築いた太田道灌が江戸前島の平川河口に江戸湊を開き、海上輸送を行ったのが始まりである。その後、17世紀になり江戸幕府が開府してからは、江戸に必要な物資の輸送手段として大量輸送できる海運がそれまでより一層重視され、諸国とを結ぶ廻船の重要な寄港地として大きな役割を果たした。明治時代になり、横浜港が開港(1859年)したものの、東京港が国際港として開港するのは大正時代の関東大震災を契機い日の出・芝浦・竹芝の各埠頭が整備される1941年を待つことになる。戦後の経済成長に伴い首都直下の港湾施設の拡張が急務となり、豊洲埠頭が整備された。1951年には特定重要港湾に指定され、間もなく晴海埠頭も整備される。その後、世界的なコンテナリゼーションに対応するため、1967年に品川埠頭が神戸港麻耶埠頭とともに日本初のコンテナターミナルとして運用を開始した。その後、1975年大井コンテナ埠頭、1985年青海コンテナ埠頭、2004年大井コンテナ埠頭再整備と運用を開始し、東京港は東日本最大の港となった。

1967年に運用が開始された品川コンテナ埠頭は、現在、日韓・日中・東南アジアなどアジア近海航路用の埠頭として利用されている。東京湾に面する岸壁に4基のガントリークレーンを配しカラフルなコンテナが積み上げられている。そしてその西側に各社の倉庫が並ぶ。一方、京浜運河沿いには小規模な倉庫や倉庫を改造したレストランやショップがあり、対岸のタワーマンション街と化した港南4丁目やオフィス街と化した天王洲とともに、東京の代表的なウォーターフロントの景観を創り上げている。
手前が品川埠頭、右奥が大井埠頭の一部、海の向こう側が青海埠頭。海に向かってキリン(ガントリークレーン)が並ぶ。(上)

レインボーブリッジからみた品川埠頭。品川埠頭の北端には東京菱光コンクリートの工場がある。(左)
京浜運河の岸壁
京浜運河沿いの倉庫を使ったショップ
京浜運河沿いの倉庫を改造したレストラン
クリスタルヨットクラブ
東京湾沿いのクレーンとコンテナ置場
東京湾沿いのクレーンとコンテナ置場
向うのビル群は臨海副都心

品川埠頭のクレーン置場の風景
埠頭の北側(港区)には清掃局や海上警察、東京入国管理局などがある。
海上警察の海のパトカー
京浜運河にある屋形船屋
通りと岸壁との間の細長い敷地に木造2階建てが三棟連ねて岸に屋形船を係留している。割と新しい埠頭にも関わらず何故あるのだろうか?
参考資料 リンク
港区

参考文献