輪島の朝
昨晩、輪島市内の鮨屋のカウンターで飲みながら板さんと会話してたら、輪島市内(町村合併したので広域)の内陸部に里山の美しい集落があると聞きました。この雪だと町歩きははかどらない。2日目に能登以外のスケジュールを組んでいたけれど、まる2日間奥能登に集中したほうがよさそうです。今晩もこのホテルを予約して、いざ雪の中へ。。。
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輪島のビジネスホテルから
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外浦から内浦へ
雪道を慎重に走り輪島の町を出ます。有名な棚田の千枚田も真っ白。日本海に沿った外浦街道から眺める海は荒れ狂っています。
しばらく東へ進むと名舟という板壁のきれいな集落があったので取材しました。風雨と紫外線で脱色された灰色の板壁。その間から荒れ狂った日本海が見えます。カメラを持つ手が凍てつきます。
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名舟の高台の集落から荒れた日本海を臨む
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名舟とその近くの南志見町を歩いてから内陸に向かってクルマをすすめます。標高が上がると積雪量が増してきました。
小さな盆地のような地形に田園が広がる町野町金蔵(かなくら)。昨晩、鮨屋の板さんに勧められた集落です。一軒一軒の家が立派で蔵もある。しかし、吹雪いてとても歩けません。天気が良かったらさぞ美しい景観が見られたことでしょうに。。。
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里山の風景が美しい?であろう金蔵
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金蔵からクルマで10分移動。柳田は町村合併前は独立した柳田町でした。米どころなのか金蔵同様、比較的大きな農家が見られます。また、木炭の生産で栄えた地域でもあったそうで、街道に沿って古い町並みが残っていました。
横着してクルマの窓からパシャ!でも歩かなきゃ集落町並みWalkerにならんと吹雪の中意を決してクルマを降ります。町並みの中には玄関をモザイクタイルで飾った旅館か料亭らしき建物もあり。かつての繁栄が偲ばれます。
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柳田町の町並み モザイクタイルで飾られた家
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半島を横断して内浦に到達。宇出津(うしづ)という富山湾に面した奥能登の中心市街を歩きます。
町は湾を囲んでU字形形状をしていて、西側にかつての中心市街と思われる古い町並みが残っていました。この地形と町並みの位置のパターンは、内浦湾の町に共通しているように思います。
メインの通りはうねっていてシークエンスが面白い。路地を山側に入っていくと細い階段があって上ると目の前に大きな家がそそり立っていてびっくり!。
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宇出津の町並み 雪が舞う中の町歩きもまたよろし
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内浦を半島先端へ
能登半島は富山湾側の内浦街道沿いに町が連続します。富山湾を介して越中との間に廻船があったからでしょうか。
小木は風光明媚な九十九湾にある港町。おだたかな内海であるため、北前船の寄港地としても栄えたとか。廻船時代の大きな家も見られます。今ではイカ釣り漁の拠点。湾には漁船が数珠なりに停泊し、エンジン音が湾内に響き渡っていて独特な雰囲気でした。
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小木港に停泊するイカ釣り漁船
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松波は、町村合併前の旧内浦町の中心。中世は城下町、江戸時代は加賀藩の在郷町で、農閑期の出稼ぎ業である「能登杜氏」を生んだ里でもあります。
という町の成り立ちからの想像に反して、とっても町は小さい。地場産業もなくずいぶん前から衰退したからでしょうか、はたまた今日の悪天候のせいなのか、町は至って閑散とした印象でした。
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能登杜氏を生んだ町の地酒の造り酒屋
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奥能登先端
能登半島の先端は珠洲市(すず)が占めています。その中心市街地が飯田です。ちょっと前までは鉄道も通っていた、比較的大きな町です。
主軸である街道沿いが商店街ですが、古い町並みの連続性は乏しいものの、大きな商家は見られました。
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珠洲市飯田の吾妻橋周辺の町並み
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そして今回の旅で最もよかったのが、珠洲市蛸島(たこじま)。「たこじま」とは面白い響きの地名でしょう。鉄道が好きな方は、「JR能登線」、その後の「のと鉄道」の終点だったので、面白い名前の駅があるものだと記憶に残っているかと思います。
蛸島は、珠洲市の中心市街である飯田に引けを取らないほど大きな町という印象。なんといっても古い町並みの連続性が素晴らしいのです。
かつての能登線蛸島駅へも行ってみました。駅舎とホームが残されていた。そして、遠くに列車の車両も。
半島の先端禄剛崎にある狼煙(のろし)集落もあたってみました。ここも変わった地名です。しかし、めぼしいものではありませんでした。
そして再び外浦海岸に出て西へ進みます。今朝の輪島市名舟と同様、やはり外浦は風雪が激しい!
かつては北前船の寄港地でもあったという高屋集落。クルマを降りて歩くがすごい吹雪だ。集落景観はそこそこいいんだけど、カメラが向けられない。。。手がかじかむ。。。しばれる。。。風雪に耐える北の集落が写真では中々表現できないのは残念です。
日没まで時間はありますが、寒さに耐えられず宿の待つ輪島に戻りました。
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歴史的な町並みの連続性が素晴らしい珠洲市蛸島
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旧能登線蛸島駅のホーム
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風雪に耐える珠洲市高屋集落
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再び半島横断
奥能登紀行2日目。昨日よりかややましな空か。早く流れる雲の間から時折晴れ間が顔をのぞかせるのです。でも、安心しているとまた吹雪くの繰り返しです。
輪島から穴水へ半島を横断する途中に、三井(みい)という農村集落が広がっている。ここも米どころだからなのか、大きな民家が多い。特徴は、入母屋の茅葺屋根や軸組の美しい切妻屋根の民家が見られるところです。
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茅葺屋根の残る三井集落
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能登半島と能登島に囲まれた海は波が静かな場所で、そこに中居集落があります。普通漁村があるような立地ですが、町並みはちょっと趣が違います。ここは、古くから鋳物で栄えた産業町でした。立派な民家や造り酒屋まであります。鋳物業は大正期にやめたといわれていますが、その技術は左官業へと転用されたそうで、伝統的な空間は現代にまでしっかり維持継承されていました。
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大正期まで鋳物業で栄えた産業町 穴水市中居
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内浦街道を穴水〜から宇出津方面へ走ります。雪は結構あるので道が結構滑ります。
鵜川は内浦街道沿いの漁村集落。ここも漁村にしては珍しく立派な商家が軒を連ねていました。酒蔵や木造三階建てや遊郭らしきものもあり。小さい町ですが、質はとっても高い町並みでした。
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小さいけど質の高い町並み 鵜川
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北陸街道小松
能登半島を後にします。有料道路、高速道を経て、石川県の空の玄関口で有名な小松へ。
小松は、江戸時代加賀藩の城下町のひとつでした。その時に町割りがなされましたが、真ん中を北陸街道が貫いており町の主軸を形成しています。幹線道が街中を通っている場合、バイパス化されて古い町並みが残っているか、拡幅されて古い町並みが残っていないか、そのどちらかが常ですが、ここ小松では道幅が広く幹線道として機能していながら古い町並みが残っている、しかも伝統的な形式の町家が集積しているという類まれな特徴を持っています。なぜでしょうか。よくあるケースが大火後の復興で防火帯として道幅を広げた場合ですが、おそらくこの町もそうでしょう。けれど、古い町家の連続はただものではありません。あっぱれあっぱれ!
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伝統的な町家の連続性がたぐいまれな小松の町並み
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2011年年明け。珠洲市蛸島の櫻田酒造で買ってきた地酒「初桜」を囲んで飲み会を開催しました。場所は新橋汐留駐車場内の食堂「帝里加」。ご参加いただいたのは、いらかぐみの太泉八雲さん他。地酒めぐりをなさっている太泉さんが蛸島を訪れた時、ついつい買いそびれてしまったというお酒をみんなで楽しく味わいました。 |
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