長崎色町探訪
 

九州が梅雨入りした直後、長崎へ行くことになった。長崎といえばクールファイブのご当地ソング「長崎は今日も雨だった」が有名だが、私は過去に4回行ったけれど雨に降られたことは無い。一度は雨にしっとり濡れた石畳の町を見てみるのもいい。しかも今回は長崎と佐世保の旧色町を歩こうという企画だからなおさらである。
朝一番の全日空で福岡空港に下りた。そういえば来週も同時刻にこの飛行機に乗る予定だ(筑前紀行)。地下鉄で天神へ行き、まず辰野金吾設計の旧日本生命福岡支店(福岡市赤煉瓦文化館:重文)を見学する。残念なことに外装が修復工事中で見ることが出来なかったが、内部はしっかり見ることが出来た。市内循環バスで博多駅に出て佐世保へ向かう。駅の緑の窓口では、特急みどり号のグリーン車指定券を買った。なぜグリーン車かって?。その理由は今から23年前に遡る。大学1年の春、九州旅行をしたとき、私は別府で風邪をひいて熱を出してしまった。3週間に及ぶ長旅の終りで身体が疲れていたのであろう。翌日はどうしても最終予定地の長崎に行かなきゃならなかった。当時、別府発長崎行きの急行「西九州号」というマニアックな列車があって、私はその列車のグリーン車に乗った。そんな思い出があって、なぜか西九州へ向かう列車のグリーン車に乗りたくなったのだ。
佐世保勝富(長崎県佐世保市)
佐世保駅に着いた。鉄道で来たのは初めてである。梅雨入りなんて関係ないといわんばかりにピーカンに晴れている。佐世保駅は町の中心部から離れている。戦災に遭っている佐世保の街は道が広く空が広い。狭い坂道だらけの長崎とは対照的だ。まず唯一戦災に遭っていない下京町エリアを歩いてみた。が、古い町家が数軒残っているに過ぎなかった。
下京町から北へ旧勝富遊郭を目指し、またつたつたと歩く。ようやく勝富町についた、が遊郭らしき建物が全然見当たらない。町中のある交差点に「観光旅館案内図」のマップが掲げられていた。なるほど、遊郭らしく坂を上っていったところにあるようだ。一見なんでもない新興住宅地のような町の坂道を上るとあったあった、戦後派の妓楼建築が現れた。中には現役で割烹旅館を営業しているところもある。くるくると巡って収穫あり!。あっけらかんとした佐世保の町にしっとりとした町並みを見つけることが出来た。
佐世保立神(長崎県佐世保市)
勝富でタクシーを拾い赤煉瓦倉庫群のある立神町に向かう。途中、名建築で有名な親和銀行本店を見学。アーケードに面した中途半端な敷地で、意外なロケーションに驚いたが、建築はやはり素晴らしい。タクシーを待たせた甲斐があった。
立神町の海上自衛隊と米軍基地はもちろん中に入れない。かつて車で通りかかり写真を数枚撮影している程度だったので再訪した。煉瓦倉庫は遠くから眺めることしか出来なかったが、しっかりしたイギリス積みの煉瓦造2階建だった。基地に向かう途中の道や旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館など、この辺りは何処となくアメリカ西海岸のサンフランシスコのような風景である。長崎がオランダや中国の異国情緒を感じるのに対して、佐世保はアメリカ調だ。今人気沸騰の佐世保バーガーを食べ損なってしまったのが悔やまれる。
長崎戸町(長崎県長崎市)
佐世保から大村線鈍行で長崎へ。オランダ坂下のホテルモントレーに宿泊した。翌日は10時から長崎市内の美術館や歴史的建築物を見て周る仕事である。朝5時から行動すれば、ホテルロビー10時集合までに5時間ある。
5時に起床しタクシーで南部の戸町から歩き始める。長崎市内の旧色町めぐりのスタートだ。戸町は入り江に中小の造船所が張り付いた造船業の町。住宅が山の斜面に駆け上がっていて、いかにも長崎らしい。その中に木造3階建てが並ぶ町並みがある。そこは旧戸町鶴海遊郭で、造船の職人さんたちが遊んだ町だ。妓楼は数軒しか残っていなかったが、レトロ感満載の造船所の施設とあいまって、長崎の郊外らしい町並みを味わうことが出来た。
長崎南山手(長崎県長崎市)
戸町からバスで再び長崎市内に戻る。南山手の下のバス停で降り、南山手の坂道を登っていく。そうしたら丁度、杠葉病院の前に出た。杠葉病院は23年前に歩いたとき、「グラバー園の外にも洋館があるんだ」と感動した建物だ。その思い出深い建物を起点に、まだ歩いていない南山手の洋館群エリアを歩く。何より修道院横の海へ下る坂道の景観は素晴らしい。そして、車道の脇に高々と積み上げられた生ゴミの山が珍しい。長崎という町が車の入れない急坂の町であることを表す独特な風景の一つ。毎朝坂を上り下りしてゴミを捨てに来るのも大変なことだと思う。
長崎出雲(長崎県長崎市)
早朝でまだ営業を開始していないグラバー園の入り口から土産物屋の並ぶ商店街を抜け、大浦天主堂を下から見上げて写真をパチリ。何度も訪れたはずなのに記憶が確かではないのが情けない。
さらに斜面を等高線に沿って北へ進む。大浦方面に向かう路面電車の終点は石橋だが、かつてはさらに奥の出雲町というところまで行っていた。その電停の直ぐ近くに昔、出雲町遊郭があった。バイブル「旧赤線跡を歩く」で紹介されていた旧出雲町遊郭を訪れる。ここしかないという坂道を歩けど妓楼建築が現れない。これは無くなったか?。あとで調べたら旧小松楼という最後に残っていた建物も空地になっていた。
長崎東山手(長崎県長崎市)
今回は東山手の洋館群は歩いていない。昨日の夕方、オランダ坂の上にある活水女子大の中を見学させてもらったので、ここに挟んで紹介しておこう。活水女子大といえばわが国の女子大の最古参。長崎を訪れれば誰もが上るオランダ坂の頂上にある大学である。女子大なのでいままで指をくわえて中を覗き込んでいた(怪しい目的ではない)が、今回は仕事で中を見学させてもらうことになっている。いままで入れなかったところに入るというのはなんとも云えない優越感だ。初めて拝見する活水女子大の校舎は有名なウイリアム・メレル・ヴォーリーズ設計で、期待を裏切ることの無い素晴らしい統一感のあるキャンパス。そしてなんといっても眺めは最高!。
長崎丸山(長崎県長崎市)
出雲町でタクシーを拾い思案橋に向かう。思案橋は昨夜酔っぱらって歩いた町だ。旧思案橋のあった場所を確認して丸山町へ入っていく。路地の階段を上ったら表情は遊郭らしい雰囲気の町に変わった。中心を貫く目抜き通りは現在も店が並んでいて古い町並みとは云えないが、途中に木造の検番所が残っていた。その検番所と料亭花月の間の路地を入ると丸山遊郭を代表する町並みがある。ここから坂道を上り下りしながら巡るのが丸山遊郭の見所だ。最後に花月の玄関とカステラの老舗「福砂屋」本店を拝んだ。まだ、10時まで時間がある。もう一箇所再訪したい町があるので、近くだがタクシーを飛ばす。
長崎館内町(長崎県長崎市)
館内町は私にとって長崎で一番好きな町といっていい。江戸時代から続いている港町長崎の中国人居留地で「唐人屋敷跡」と呼ばれている町だ。右の写真は23年前の訪れたときに歩いた路地で、もう一度この場所を歩いてみたかった。しかし、あるはずの場所にこの写真の記憶の場所が見当たらない。府に落ちない気持ちで館内町を急いで一周し、ホテルモントレーに戻った。
家にかえって撮った写真と23年前のこの写真とを見比べていたら同じ場所の写真があった。そう、気付かないほど変わってしまっていたのである。
この日は長崎市内の美術館や博物館を見学した。中でも感激したのが三菱重工の造船所の中にある「占勝閣」という迎賓館。かつては軍艦を製造し、その浸水式に要人がもてなされた建物である。2階バルコニーに立つと南山手を対岸に長崎港を臨み、眼下にはでっかい造船ドックがある。
長崎といえばどうしても異国情緒の漂う町という印象が強いが、近代以降、三菱造船所で栄えた企業城下町という面も持っている。また原爆が投下されたにもかかわらず歴史を感じる町というのも考えてみると不思議である。私にとって思い入れの強い町である長崎。これからも深く深く探求していきたい町のひとつである。

結局今回もまったく雨に降られることの無い長崎の旅、「長崎は今日も晴れだった♪」。