長崎
東山手
中国寺院越しに天主堂を臨む旧居留地

長崎県
長崎市
東山手





交通

JR長崎本線長崎駅より市電利用





東山手





2005.06.17
長崎は、ポルトガルとの南蛮貿易港として元亀2年(1571年)に創られた港町である。江戸徳川幕府の鎖国時代でも唯一の貿易港として、オランダと中国との交易だけが許され、全国で唯一長崎港だけが開かれていた。鎖国時代は出島に外国人居留地を造り、西欧文化の玄関口となっていた。長崎は他の都市が明治維新後西欧文化が入ってきたのとは違って、ずっと昔から途切れることなく海外に接していた町である。
明治期になるとそれまでの独占的な立場は失ったが、三菱造船所が出来て近代工業都市として発展した。第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8/9に原爆が投下され、町は廃墟となった。しかし、同じく原爆が投下された広島とは地形の点で大きく異なっており、起伏の激しい地形によって爆風から免れた建物がいまでも残っている。
その代表的なエリアの一つが、安政6年の開国の後、外国人居留地として整備された東山手と南山手である。東山手は洋館住宅のほか日本で最初の女子大「活水女子大」など、戦前の洋館建築が残っているが、代表的なのが「オランダ坂」。そして面白いのが洋館の狭間から丘の下の中国寺院越しに南山手の大浦天主堂を臨む景観である。これぞ異文化ちゃんぽんの長崎ならではの風景ではないだろうか。
東山手の洋館群は南山手に送れて保存整備されるにいたった。
東山手の洋館から中国寺院(孔子廟)を越しに大浦天主堂を臨む。長崎ならではの都市景観である。

(1995年頃)
東山手の洋館群(1995年頃)
オランダ坂(1980年頃)
東山手活水女子大から南山手大浦天主堂を臨む。手前にたくさん高い建物が建ってしまった。(2005年)

活水女子大キャンパス
(2005年)

活水女子大裏から籠町へ下りる坂道
(2005年)

東山手の丘の下にある旧英国領事館(野口弥太郎記念美術館)(上、左上)

孔子廟前にあった洋館
(1995年頃)
参考資料 リンク
長崎市

参考文献
『図説 日本の町並み11 北九州編』 太田博太郎他 第一法規
『歴史の町並み 中国・四国・九州・沖縄編』 保存修景計画研究会 NHKブックス
『日本の町並みU 中国四国九州・沖縄』 西村幸夫監修 平凡社