佐世保
勝富
明治期軍港の町に開かれた遊郭 戦後の赤線跡

長崎県
佐世保市
勝富
下京町
戸尾町





交通

JR佐世保線佐世保駅下車徒歩





勝富





2005.06.16
佐世保港は高後崎と西彼杵半島寄船崎を港口とする天然の良港で、1886年(明治19年)海軍鎮守府設置以来、軍港として繁栄した。市街は日中戦争、第二次世界大戦を契機に拡大し、戦後は一時衰えたもののアメリカ軍や海上自衛隊の基地、重工業の発達により活況を呈した町である。
海軍鎮守府が置かれてしばらくして、町の北の山沿いに勝富遊郭が開かれた。「全国遊郭案内」によれば、「31年前までは一小漁村であったが、軍港になると同時に、呉や横須賀と同様にめきめきと発達して・・・、このところは佐世保最初の遊郭で明治26年に成立したもので、日本の三遊郭の一つたる長崎丸山廓張りたるを以って有名である」と紹介されている。昭和初期には16件の貸座敷があったという。勝富遊郭が開かれた後、明治43年には花園遊郭も遊郭地の免許となっている。勝富遊郭は戦後赤線として存続したが花園遊郭は戦災復興都市計画の中で消えた。
佐世保市街の東にある真新しい佐世保駅を出て勝富町へ向った。途中の上京町、下京町、京坪町あたりは戦災を逃れた一角で、戦前のものと思われる町家が数軒残っていた。ここから北東へと緩やかな坂を上っていく。勝富町に入るとにわかには旧遊郭の雰囲気は伝わってこない。町中の交差点の目に付くところに「勝富観光旅館案内」という看板があった。観光旅館というのが姑楼で、町の中でも山側の傾斜したエリアに固まっている。坂道を上っていくとそこここに姑楼が現れる。その佇まいは坂道なだけに、なるほど長崎丸山によく似ている。建物は戦前の遊郭を意識してはいるが、モルタル吹き付けの戦後スタイル。明治から続いた旧遊郭も戦災にあっており、町並みは戦後赤線時代の名残を感じるものである。
軍港の町、佐世保で戦災を受けていない下京町町。戦災地図と片手にエリアを歩き回ったが戦前の町家は数軒しか残っていなかった。
下京町の飲食店街。(左)

戸尾町の戦災を逃れたと思われる町家。(下)

京坪町の西海市場(上)

勝富町の交差点にあった観光旅館案内図。(左上)

この家は姑楼じゃないかもしれないが目に付いた古い家。(左)
坂を上っていくと住宅街ではちょっと風変わりな建物が出現する。モルタルに青い洋瓦は戦後スタイル。
出窓やR形状(曲面形状)など、カフェー調の建築。
現役の割烹旅館「松竹荘」。半円形の洋風窓に洋瓦、だけど玄関は和風。花街だった証である。
(左。左下、下)
坂道の風景は長崎丸山に似ていると云われた所以であるが、長崎ほど急でも狭くも無い。長崎がオランダや中国の異国情緒を感じるのに対し、佐世保は対照的なアメリカ風の空の広い町。
坂ノ下に建つ姑楼。現在は住宅もしくはアパートのようだ。玄関や窓周りの装飾が旧姑楼を表している。
現在は美容院になっている建物。
石垣の上にそそり立っている姑楼。現在は集合住宅のようであった。
参考資料 リンク
佐世保市

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社