東奔西走 2005春
 

つい最近まで寒い冬だったのに春はいきなりやってきた。そして年度始めで忙しく仕事に追われること2ヶ月、もうゴールデンウィーク、春は短い。今年、3月からゴールデンウィークまでの間に東奔西走と歩いた春の集落町並み探訪記をまとめてお送りする。

4月初旬、東京では桜が咲き始めた頃、朝一番の長野新幹線に乗った。長野からは信越本線に乗り換えて信越国境を越える。天気は快晴で、戸隠連邦、黒姫山、妙高山は全開で見える。農村はまだまだ雪に覆われているが、時折渡る鉄橋の下で川は豊富な雪解け水を湛えている。これが雪国の春の到来なのであろうか。
高田(新潟県上越市)
上越高田という町は、行こうと思って行けてない町のベスト1だ。それほど行こうと思うと他の場所と組み合わせにくい場所にある。偶然にも新潟県柏崎市へ行く仕事が入ったので、朝早く家を出れば立ち寄ることができる。
信越の雪に覆われた高原から平野に下ると町にはもう雪は無かった。高田駅の改札を出ると真新しい駅前広場が出迎えてくれた。ちょっと歩くと早々に新潟県名物の雁木が始まる。仲町、本町、大町など延々と木造の雁木が続く様は、規模としては新潟県内No1でなないだろうか。雁木は現代のアーケードとは違って一軒一軒が自分の家の前に家屋と一体で造る。ということは、家屋と一緒に更新されるわけで、結果的にいろんな時代の雁木がランダムに並ぶことになる。高田の場合、この統一感のあるようでないところが非常に面白い。こういうところが計画ではなし得ない現象の結果として形成された集落町並みの魅力ではないだろうか。
町の中には古い町家が公開されていた。入ってみると上越市役所の方がおられていろいろお話を聞くことができた。上越市では古い民家を譲り受けて町並み保存の核として活用しようとしている。町並み整備もなるべく変に手を加えないで、自然な姿を大切にしながらやっていきたいとおっしゃっていた。町並みの良さがきちっと理解されて整備されることは、鑑賞する立場からは大変うれしいことである。その中でうまく観光や産業と結びついていければとてもよい町になるのではないだろうか。

直江津(新潟県上越市)
高田は思い焦がれた気持ちを裏切ることの無い魅力的な町であった。予定より時間をかけてしまって本数の少ない信越線に乗り遅れてしまった。次の直江津は比較的近いのでタクシーを利用し、旧市街の中の最も駅から離れた場所で下ろしてもらった。直江津の町並みはあまり紹介されていないが、さっき高田で会った上越市役所の方から見所を教えてもらっている。タクシーを降りた海に近い場所に「ライオン像を玄関に据えた洋風建築」という珍品がある。そこを出発点に駅に向って町を練り歩く。雁木は所々しか残っていないが、途中、道の両側に雁木が良い感じで残っているいい場所があった。
新潟の雁木の町並みはどんどん姿を消している。道路拡幅の時はやむをえないが新しいアーケードにする場合には是非とも写真に撮りたくなるようないいデザインにしてほしいものと願う。
尾崎(大阪府阪南市)
早朝、羽田から飛んで関西空港に降り立った。尾崎は空港から近い場所にあって、海の上に浮かぶ空港を臨む大阪湾に面する町である。旧紀州街道に沿って良い町並みが残っているというので訪れた。
旧紀州街道は大都市和歌山や高野山へ通じる道でもあり、かつてよほど往来が多かったのであろう、しっかりとした町家が多く、あまり知られてはいないが伝統的な町並みが今も続いている所が多い。尾崎もそのひとつで、旧街道沿いに漆喰と出格子と本瓦による質の高い町並みが見られた。海岸近くは漁師町のような佇まいもあり、海に浮かぶ現代的な関空とは対照的である。
(大阪府堺市)
堺は古くからの港町であり、東洋のベニスともいわれた環濠都市。太平洋戦争の際に戦災を受けているのが惜しまれが、町の北部に戦災から免れた町が残っている。
尾崎から南海本線に乗って七道という駅で降り、北旅篭町という町へ入っていった。町割りは長方形街区の整然としたもので、表通りに平入塗籠造りの町家が随所に並んでいる。中でも旧紀州街道沿いは戦前の新旧が混ざった楽しい町並みであった。
路面を走る阪堺電軌線の通る大通りを渡ったエリアにも残っている。その中に重要文化財の山口家住宅があった。なんと江戸前期の町家で大変貴重な建物である。その佇まいから、かつての堺の繁栄ぶりが伺える。
伝法(大阪府大阪市)
大阪市内は数々の川が流れていて、大阪湾に近いエリアは中州形状の町が多い。戦時中の空襲では川が防火帯の役割を果たし、戦禍を逃れた町が多い。今回はその中で、伝法と福島を歩いた。
阪神千鳥橋駅で下車し、川を渡って地形図と航空写真を眺めながら町に入っていく。すると古い町家が現れ始めた。野田中崎町の時と同じである。その通りの最後に一番立派は町家と2階建ての立派な洋館が出現した。これは鴻池組発祥の場所。近くに子供の頃よく耳にしたお菓子のカバヤの古い工場もあった。伝法は懐かしさ漂う、大阪の戦前の工場街である。
福島(大阪府大阪市)
福島はJR大阪環状線で大阪駅から一駅で、中小の工場がある街である。ここもやはり戦禍から逃れた街で、東京で言えば八丁堀に近い感覚の街である。
福島に対しては、野田や大正のような町並みがあることを期待していたが、阪神電鉄の地下化に伴って再開発が進んだようで僅かにしか残っていなかった。大阪でよく見かける長屋形式の町家が高層のオフィスビルやマンションと隣り合って建っていた。
上野公園(東京都台東区)
上野公園という場所は芸術文化にうとい私にとってはあまり行くことが無い。人の多いのが行かない理由でもある。
暖かい日曜日、家族を引き連れて上野の森に行った。目的は保存修復された国立こども図書館を見に行くことであった。
久しぶりに上野の森は大勢の人出でありながらとても新鮮な印象であった。そして、「こんなにたくさん近代建築があったんだ」という驚き。さすが日本の近代芸術文化発祥の地である。
塩竃(宮城県塩竃市)
東北新幹線は一週間前に歩いた栃木県を縦断する。東京では散ってしまった桜だが、北上するにしたがって時計を逆に回しているかのごとく
散る→満開→7分咲と変わっていく。仙台では丁度満開ではと期待していたが、丁度福島あたりが見所で仙台では咲き始める前だった。
塩竃は事前の地形図・航空写真調査によって塩竃神社の門前町に当たりを付けて来た。仙石線の本塩釜駅で降ると道路が拡幅工事を行っている。「時すでに遅しか!」と思ったら何とか残っていた。関東につながる出桁造りや側壁が石貼の町家が見られる。
これらの町並みは塩竃神社の門前町として栄えたもの。塩竃神社は山の上にあって参道の階段が続いている。その参道はすべて石張りで石巻の稲井石が使われている。稲井石は三陸南部で取れる粘板岩(スレート)の一種である。
雄勝(宮城県石巻市)
今日の本題は雄勝のスレート工場を見学に来たことだ。三陸リアス式海岸の南部の半島のひとつに今でもスレートを採石している場所がある。明治18年に創業を始めた雄勝スレートは日本全国の近代建築の屋根材に多く使用されている。最盛期は登米や岩手県でも採れたようであり、仙台から旧気仙地方の民家の屋根材としても使われている。
雄勝町のスレート工場のある明神地区には、雄勝天然スレートの会社関連の建物に総スレート張りのユニークなものが見られる。また、中心集落である雄勝の町にも屋根や壁にスレートを使った町家が残っている。
今年のゴールデンウィークは平日2日を休むと10連休という最高のパターンである。でも、その2日は休めなかった。新潟への旅行を企画していたが家族が風邪をひいてしまってキャンセル。自分自身、先週の丹波〜豊後紀行の疲れもあって家でゆっくりしていた。それでも5/3となると旅の虫が騒ぎ出し、どこか行きたくなってきた。
鎌倉(神奈川県鎌倉市)
鎌倉を訪れるのは約20年ぶりである。というのは、寺を見て周るのは趣味に合わないし人が多いのがイヤだからである。ゴールデンウィークは当然混雑が予想されるので鉄道で行くのが定石だが、娘が車じゃないと行かないといって聞かない。先日の尼崎の鉄道事故が影響しているようだ。しょうがないから車を出すことにした。こういう日は、交通違反で捕まるか下手なサンデードライバーに車をぶつけられる確率が高いので本当はイヤなのだが・・・。

目黒からは1時間強で鎌倉に到着した。途中、危うくネズミ捕りに引っかかるところだった、危ない危ない。長谷駅の近くに車を停めて人の少ない長谷観音から歩き始める。
おや?参道には変わった建物が並んでいる。門前に集まった旅館建築だ。鎌倉といえども今やここに泊まる人はいないので寂れているが風情がある。長谷観音から由比ガ浜の町を経て鎌倉に向って歩く。北側の山裾には明治以降に開発された住宅地があって、かつてのお金持ちの別邸が建っている。洋館も多い。そしてなにより背景となっている山には一切人工物がなく新緑がとても美しい。さらに由比ガ浜の町には、出桁造りの町家のほか近代洋風建築や寺の多い鎌倉を意識しすぎた?近代和風建築など独特の町並みが見られる。鎌倉よ見直したぞ!、なかなかいいじゃないか。

江ノ島(神奈川県藤沢市)
ゴールデンウィークに江ノ島はさらに行くものではないと思っていたが、実際来てみてやっぱりそう思う。それほどすごい人だ。それでも町並み調査となればやめるわけにはいかない。江ノ島なんて若い頃何回行ったか知れない。すべてが遊びとかデートやらだったので、集落があることすら記憶に無い。
江ノ電江ノ島駅から江ノ島へ向かう通りには歴史ある観光地らしい町並みが少々残っている。そして橋を渡って島に入る。まずは江島神社への参道を人をかき分け上っていく。落ち着いて見ていられないが人さえ居なければまあまあの町並みではないか。途中から島の東側を下る。そうするといきなり静まり返った江ノ島の漁村である。磯料理屋の前には多少列ができているものの人通りは少なく漁村の雰囲気が残っている。それでも集落の海側はヨットハーバーである。
大磯(神奈川県大磯町)
海岸通りはとてもじゃないが動いてないので車を長谷に置いたままで鉄道で大磯に向うことにした。何のために車で来たのかわからない。
大磯は島崎藤村の旧宅や吉田茂別邸があるなど、有名人著名人の別荘地だった場所。今回は十分に歩くことができなかったが近代以降に開発された別荘地として、歴史を感じる佇まいが感じられていい場所である。
こうして湘南の旅を終え、また江ノ電に乗ってわざわざ車を取りに鎌倉の長谷に戻った。もう道路の渋滞は緩和されていて駐車場に残る車も少ない。と、そこに取り残されたマイカーのバンパーにはこすったキズが!!。これだからゴールデンウィークの有名観光地に車で行くのはイヤなのである。