にっぽん集落町並み縦走紀行 
  
第23日 調布(東京都)~品川(東京都)
     九段  丸ノ内  霞ヶ関  銀座

丸ノ内(東京都)
 
 京王線調布駅、人が多い。お盆期間中ではあるけれど平日ゆえにそれなりに電車も混んでいる。鈍行で座って新宿まで行くことにする。若い頃、深夜残業した翌朝とかは睡眠時間をとるために鈍行で座って行った。このままずっと走り続けてくれって思ったもんだ。

靖国通りの古い町家

 35年前の東京めぐりの旅も今思えば都心に偏っていたなと思う。2日目も同じような場所を歩く。市ヶ谷駅から靖国通りを歩き九段の靖国神社へ。靖国神社では人がいっぱいいて何か準備してる。明日は終戦記念日だから行事があるのだ。終戦記念日の前日に靖国参拝する中学生、当時は何も考えていなかった。

 35年前の旅では九段下駅から大手町駅へ地下鉄で移動しているが、今日は大きな玉ねぎに誘われた。大きな玉ねぎの下とは武道館のこと(爆風スランプの唄)。武道館は前に1回ユーミンのコンサートで来たことがあったが、建築を鑑賞する意味では今日初めて。じっくり眺め回したけど良くできてる。さすが建築家山田守、感動した。科学技術館、国立近代美術館、竹橋のパレスサイドビルも戦後の古い建物だけど良い。今回の旅、普段通り過ぎている昭和戦後の建物がビンビン心に響く。見る目の時代を設定して街を観察すると面白いものだ。

竹橋のパレスサイドビル
 

靖国通り 靖国神社の長い塀

靖国神社

北の丸公園の武道館

北の丸公園の科学技術館
 大手町にやってきた。ここからが今回の旅のもっとも重要なところで、どの道を歩いたかという謎を解明する必要がある。35年前の旅の計画では、ここから皇居二重橋を経て霞が関となっている。素直に考えれば内堀沿いに歩き丸ノ内を歩くはずがない。しかし、記憶ではビルの外壁に取り付けられていた「ビルヂング」の銘板を見ているし、東京駅南口交番のお巡りさんに家出人と間違われ補導されている。当時のガイドブックには丸ノ内は掲載されていなくても東京駅はあっただろうから東京駅を見に行ったものと考えられる。東京駅は夏休みとかに名古屋にある母親の実家に行くときに乗り換えることでしか行ったことはなく、八重洲口の印象はあっても丸ノ内は未知だった。だから赤レンガの東京駅を見に行ったに違いない。そして、その途中に丸ノ内を歩き「ビルヂング」銘板に出会い「なんでこの町のビルはビルディングではなくビルヂングなんだろう」と思った。その場所はどこだったのか。大手町→東京駅→二重橋というルートを予想すると丸ビルの北西角であったと思われる。この銘板を見た後、お巡りさんに声をかけられ補導されている。おそらく丸ノ内ビルヂングの周りを珍しそうに歩いていて警備員の人に通報されたのであろう。当時の丸ノ内はオフィスビル街。子供が単独でうろつくような街ではなかった。補導された時、私たちは大きく動揺したが、計画書を見せて旅の目的を理解してもらい解放された。

ビルヂングの銘板

 「なんでこの町のビルはビルディングではなくビルヂングなんだろう」

 この瞬間から私の町歩き人生が始まった。町を歩いて古い建物やいい景観の場所を見つけたり、不思議を発見する面白さに出会った。そして、縁があったのか今この町で働いている。働き始めた頃の丸ノ内は純粋なオフィス街だった。ビルの1階に入っている店舗といえば銀行だったし、休日は誰も歩いていなかった。それが、2000年になって丸ビルが建て替えられたころから町も変わり始めた。古いビルは最新鋭の超高層ビルへと建て替えられ、1階の銀行店舗はブランド店に変わっていった。歴史的建築物の保存再生も図られるようになった。第一生命館に続いて日本工業倶楽部会館、明治生命館の保存、明治建築の三菱一号館の復元、東京駅の保存復原、東京中央郵便局の保存再生など。だけど、一番重要なのは、120年の歴史を持つ丸ノ内の過去と未来をつなぐ役割を果たしているビルヂングの存在であると思う。彼らが存在し続けていることで、歴史を見つめる立ち位置がしっかり定まっているのではないだろうか。私は、この町の変化をずっと見つめてきた。これからも見つめていきたいと思う。

【回想】新丸ビル(工事前)

【回想】東京駅(工事前)

【回想】東京中央郵便局(工事前)


【回想】御堀端の景観

丸ノ内 東京海上ビル

丸ノ内 仲通り

丸ノ内 丸の内ビルディングの丸ノ内ビルヂング遺構

「ビルヂング」銘板を見たと思われる場所(現丸ビル)

復原工事の進む東京駅丸ノ内駅舎

保存工事に終わった東京中央郵便局

丸ノ内 御堀端の景観

皇居 二重橋
 皇居二重橋を撮影して桜田門へ。内堀通りを渡ると霞ヶ関官庁街である。桜田門前の警視庁本部庁舎は1980年に竣工したものだから、35年前の旅では前の建物を見ているか工事中だったかどちらかである。法務省は復原工事をする前で屋根は陸屋根で見えなかった。霞ヶ関の官庁街は敷地が大きく、街路樹もかなり成長していて歩道がほぼ日陰になるくらいである。古い庁舎としては、法務省のほか大蔵省、文科省(部分保存)が残っている。戦後の建物であるが農林水産省などの建物も味わいがあっていい。

霞ヶ関 法務省

日比谷 日比谷公会堂

 日比谷公園の日比谷図書館、日比谷公会堂の前を通って日比谷通りまで来た。もう暑くてたまらん。日生劇場の1階に喫茶店があり「かき氷」なるサインに導かれるように店に入った。かき氷が700円とは高いと思ったけど口ので氷がとろけ、シロップも自家製でおいしかった。さぁ戦闘再開だ。

銀座 和光

 銀座四丁目交差点。35年前の旅の計画では日比谷公園の後、銀座の歩行者天国を見に行っているが、そこには「三愛ビル」とビル名までが書いてある。三愛ドリームセンターは、1963年に竣工した建物。周りがビルごとブランド店として改築されている中で、築50年近くが経過しているにもかかわらず大きな手を加えることもせず、今でも斬新さが失われていないのは驚きである。
 

霞ヶ関 警視庁

霞ヶ関 農林水産省

日比谷 日生劇場

霞ヶ関 三愛ドリームセンター
 銀座から銀座線→新橋→都バス→虎ノ門五丁目と乗り継いで、東京タワーにやってきた。やっぱり美しい架構である。東京スカイツリーも悪くはないが、東京タワーのような美しさが足りない。東京タワーは足を広げ細い部材だけで組みあがっているので向こうが透ける。足元ではマイナーなアイドルグループが唄っていて、追っかけ野郎連中がダミ声張り上げ応援してた。

 そして、三度目の新宿に戻って35年前の旅のトレースは終わった。西新宿へ向かう地下道にある中華料理屋で打ち上げた。この2日間はとっても不思議な感覚の旅であった。日常生活の中で通過している町を、35年前の記憶と重ねあわせながら歩いたためであろう。今回の東京めぐりの旅は、縦走紀行を終えた時に余韻として印象に残るような気がする。

 にっぽん集落町並み縦走紀行は東京で第23日を終えた時点で、小笠原を除き、残り6県15か所となった。わが本拠地天王洲アイルで東京の旅を終え、次回は東京を離れらさらに北を目指す。

東京タワー

天王洲アイル
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