丸の内 明治大正昭和平成 100年の歴史を持つビジネス街 

東京都
千代田区
丸の内1,2,3
大手町1,2
有楽町1



交通

JR東京駅、有楽町駅
地下鉄二重橋前駅、大手町駅、日比谷駅、有楽町駅
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丸の内




2003.09.27

内濠沿いの高さ100尺の町並み(平成5年頃)
 
江戸時代丸の内はその名の通り、江戸城外堀の内側。大名の上屋敷が並ぶ「大名小路」と呼ばれていた。明治24年民間(三菱)へ払い下げられ「大名屋敷跡再開発」が始まる。三菱は、近代ビジネス街の建設を構想し、現在の馬場先通りに三菱1号館をはじめとする赤煉瓦オフィスビルを建設し、誕生した新しい町並みは「一丁倫敦」と称された。その後、オフィスビルは仲通りと呼ばれる南北の通りに沿って北へと建設が進む。それは、大正3年に東京中央停車場(東京駅)が完成することを予見していたからである。東京駅のオープンのより東京駅前地区が建設ラッシュになる。大正12年に近代アメリカ式の高層オフィスである「丸ビル」が完成し、今度は「一丁紐育」と称されるようになった。
戦後のオフィス不足を背景に、丸の内の大改造が開始される。第1世代の赤煉瓦ビルは姿を消し、丸ビルに習った100尺(31m)の大きなオフィスビルに順次建て替えられた。100尺とは建築基準法に容積制が導入される前の絶対高さ制限であるが、結果的に丸の内は100尺の高さのそろった整然とした町並みになった。現在見ることにできる丸の内の町並みの特徴となっている。
そして平成になり、丸の内は第三世代の建て替えが進んでいる。ビルは高層化し、ビルの足元には誰もが訪れ楽しむことにできる広場や商業文化施設が配置され、かつてビジネスマンのステイタスであった「仲通り」は今や高級ブランド店が並ぶおしゃれ通りへと変貌しつつある。
また、いままでは新しいものだけを追い求めてきた東京や丸の内だが、ここにきて町の歴史を尊重し過去と未来うつなぐ街づくりが進められている。数々の歴史的建築物の保存再生がみられ、ついに東京駅丸の内駅舎が戦前のドーム形状に復原され、そして最初に建設された三菱1号館が原位置に復元される。丸の内は、時間のベクトルが未来と過去の両方へ向いた四次元の街なのである。
内濠沿いの高さ100尺の町並み(平成15年)(上)

丸ビルのテラスから眺めた東京駅。三角の屋根は戦前のドームへ、中間部ももとの3階建てに復原される。(左)
昭和初期のモダン建築の代表作である東京中央郵便局。(左)

平成15年に竣工した「新しい丸ビル」。低層部には商業店舗やトップレストランは都内の人気スポットに(左)
アトリウムでは様々なイベントが催されている(上)
東京駅から見て丸ビルと対称に位置にある「新丸ビル」。約100m四方でコーナーが丸く光庭があるのは丸ビル譲り。
この新丸ビルもいよいよ建て替わる。
保存再生された「日本工業倶楽部会館」。大正9年より続く日本の経済界のトップ倶楽部の存在が街のステイタスシンボルとなる。

明治生命館は重要文化財。その後ろに未利用容積を活用したタワーが建設された(明治安田生命ビル)。(左上、左)
かつてあった南北の通称仲仲通りが復活したパサージュ(上)

八重洲ビル
丸ビルなき今珍しくなった戦前の賃貸オフィスビル。コーナーに棟を立てたりするのがかつての流行。

第一生命・農林中央金庫ビル(DNタワー)
丸の内での保存再生のさきがけ的存在

戦前のみならず戦後の有名建築が多いのも丸の内の特徴。
旧日本興行銀行本店:村野藤吾(上)
国際・帝劇ビル:谷口吉郎(左上)
東京三菱銀行本店:三菱地所(左)

東京海上ビル本館:前川國男(左)
旧AIUビル(上)

戦後の容積制導入前のオフィスビルの代表である大手町ビル。長さ200mの外観もさることながら、長い廊下は湿気が多い日は向こうがかすむ(?)。
参考資料 リンク
千代田区
丸の内ドットコム

参考文献
『日本の町並みV 関東・甲信越・東北・北海道』 西村幸夫監修 平凡社
『総覧 日本の建築3 東京』 日本建築学会編 新建築社