九段 山手と下町を結ぶ長い坂と旧富士見町花街

東京都
千代田区
九段南1,3



交通
営団東西線九段下駅下車徒歩ほか




九段花街



九段下




2008.02.23
2011.11.03
 都心部山手台地上の住宅文教地区。江戸時代、幕府が傾斜地に九段の石垣を築き、御用達屋敷を建てて九段屋敷と呼ぶようになったのが地名の由来という。明治2年に九段坂上に招魂社を設置し、明治維新前後の戦死者を祭った(後の靖国神社)。九段坂は山の手と下町を結ぶ急坂で、江戸時代は石段だったが明治期に坂道となり、関東大震災後の復興事業で大改修され現在のような長い坂になった。現在でも坂上は武家屋敷町、坂下は町人町という江戸期の土地利用の様子を体感できる場所。
 九段坂上の靖国神社からみて靖国通りの反対側には戦前まで富士見町と呼ばれた花街があった。昭和初期には芸妓置屋100軒、芸妓340人、待合120軒があったという。九段から麹町にかけての一帯は戦災に遭っているので古い建物は残っていないが、花街の面影がほんの少しだが残っている。一方、九段下には九段会館がランドマークになっているが、その前の一角に戦災を免れた町並みが残っている。
靖国神社の参道(左)

靖国通りに面する町並み(した)

かつては料亭であったと思われる建物

料理屋だったと思われる建物(上、左上)

九段下にある九段会館(旧軍人会館)

九段下にある九段下ビル
関東大震災後の復興事業の一環として不燃化事業に低利融資する制度を活用して建てられたという。1階は店舗、2階は店舗オーナーの住居、3階は賃貸住宅だった(下)

九段下ビル(上、左上)

九段会館苗に残る戦前の町並み(左)
 

九段会館苗に残る戦前の町並み(左)  
現千代田区役所のタワーが建てられる前にあった集合住宅。この撮影に入ったとき、不審者として警察に突き出されそうになった苦い経験がある。
参考資料 リンク
千代田区

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社