佐々並 橙瓦と白壁の宿場町は最新の国重伝建地区
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第8日から本州攻略だ。中国地方に残している重要未探訪地は、山口県1、岡山県1、鳥取県1、兵庫県4となる。それなりに分散しえいるので、まとめては無理。だから、今回の北部九州にくっつけて山口県を終えておこうという作戦だ。
本州最西の地 下関
新山口駅(かつての小郡駅)でクルマを借り、国道9号線を北上。木戸山トンネル手前からは国道262号線(萩往還)を上がっていく。今日最初に訪れる佐々並も長崎県大島神浦と同様、ノーマークの町並みだったが、去年国の重伝建に指定されたので行かねばならなくなった。古い町並みの質が高ければ必ず重伝建になるかというとそういうわけではない。失礼な言い方になるが、大したレベルでなくても地元が積極的であれば重伝建に指定される場合もなくはないようだ。佐々並はいい町並みだとは思うが、重伝建に指定するほどかといわれればちょっと疑問が残る。まぁ、それだけ質と量を兼ね備えた古い町並みが無くなってきているということも背景にあるのだろう。佐々並の町並みは、橙瓦屋根と白壁が特徴、茅葺屋根の民家も2棟並んで残っている。
佐々並 萩往還の宿場町
萩往還を萩に向かう。峠を越えた明木集落も取材しようとして入った。そして、下見板張りの郵便局のところへきて気が付いた。ここ、以前に取材している。データベースを確認したら、、、あった。
気を取り直して萩市内(平安古、堀内など)をパスし、国道191号線を西へ向かう。ここからはしばらく充てのない探りながらの旅となる。萩の西側半島の付け根に三見という集落があるので探ってみた。甍並みの様子からいい集落の予感がしたのでクルマを下りて歩く。山陰本線三見駅と海岸との間に集落は形成されており、海側から眺めると結構なボリュームを感じる。その理由は、一軒一軒の家がしっかりした瓦葺き入母屋屋根をのせた2階建てであるためであろう。港に面する家は地形の段差を利用して1階に車庫を備えた3階建て、海岸線に沿った内側の通りがメインストリートで、上記のしっかりした家々が並んでいる。これらは古いくはなさそうなので、戦後、漁業で繁栄したのであろう。瓦の色は橙が混じってはいるが、萩に隣接する立地らしく黒瓦が多く感じられた。
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佐々並 山口方面から集落に入ると寄棟民家二棟が迎える |
佐々並 橙瓦と白壁の町並み |
佐々並 俯瞰全景 |
【回想】 萩平安古 |
【回想】 萩堀内 |
三見漁港のさらに西に、集落の文献に紹介されていた三見明石というところがある。緑の田園を背景に橙の瓦屋根がとっても美しく映えている。日本海を臨む農村集落としても良さそうだ。地形にしたがって段々や曲線を描く田園の中に、入母屋屋根の民家が美しく重なる村である。現在、瓦屋根は橙瓦一色であるが、かつては萩に近接する農村らしく黒瓦であったようだ(「日本の集落第3巻」p61より)。「日本の集落」の中で、高須賀晋氏は、装飾の少ない直線的な入母屋屋根が折り重なる造形がシンプルで美しい」と評している。現在の家並みはその頃のものと同様ではないだろうが、屋根の直線的な造形と田の曲線的な造形、そして遠く青い海を背景にした様は、山陰長門地方の代表的な農村風景といっていいだろう。
明石 田園の緑と橙の瓦屋根が調和した集落
長門市仙崎や青海島通もいい町並みはあるが、今回は立ち寄らない。今日は新山口から新幹線で東京まで帰らなければならず、どうしても俵山温泉にだけは行きたいからだ。俵山温泉は2006年に長門地方を歩いた時、時間切れで歩けなかった町である。こういう町には悔しさが残っており、なんとしてでもやっつけておきたいのだ。
黄波戸の町並み
青海島の西側、深川湾西岸に臨む黄波戸漁港にやってきた。20世紀初頭まで長州捕鯨の基地だったが、現在は地元の小型漁船が利用している港である。古い町並みは漁港に近い上黄波戸地区にみられる。通常の漁村集落と同様、後年埋め立てられた海岸線には広い道路が通っているが、それとは対照的に一本入ると海岸線に平行な細い道が通っている。これが古くからの村の主軸で、集落奥部エリアはさらに細くクルマは侵入できない。中ほどには醤油を醸造していた家があり、続く家並みも石垣を築き漆喰の蔵を備えた屋敷が続き、また斜め向かい側には漆喰になまこ壁をあしらった平入りの商家がある。一方、さらに家と家の間の路地を分け入ると、石段があり集落は斜面を登っていく。高いところに上って集落を俯瞰すると、橙と黒の混ざった瓦屋根が折り重なる中に、醸造家の煉瓦煙突がニュキッと出ていてアクセントになっていた。思わぬ場所に思わぬ質の高い町並みが存在するものだと感心させられた。
俵山温泉の町並み
さぁ、山中の俵山温泉に向かおう。俵山温泉は、山口県北西部、長門市の山中にある国民保養温泉。木屋川の上流にあり、延喜年間(901~923年)薬師如来の化身である白猿が発見したという伝説がある。天保年間(1830~44年)ころには湯屋2軒があって湯治場として知られた。泉源は3カ所、泉質はアルカリ性の単純泉、「川の湯」「町の湯」「白猿の湯」の三つの外湯がある。町は、周防灘にそそぐ木屋川の上流谷合いに形成されており、川の両側に約40軒の旅館が集まっている。川の南側に主軸の通りがあり、木造2階建て、3階建ての旅館や店舗が連続し、ところどころに外湯がある。一方、川の北側は川に面するような形で数件の木造大型旅館が並んでいる。また、南側の町は後ろの斜面にも伸びている。俵山温泉の町並みは、昨今の秘湯ブームに迎合する様子は全くなく、根強い愛好者に支えられているのであろうか、昔ながらの湯治場の風情を今に伝えている、全国的にも貴重な町並みといえよう。それでも40軒もある旅館すべてが活きているとは言い難く、廃業しているものも少なくないようだ。
時刻は16:00。小郡(新山口)へ急ぐ。県道から国道435号線を経て美祢に出ると、そこから中国自動車道を走って小郡に戻った。新山口から広島までこだま号で移動。広島駅ホームの駅名表示を撮影して旅は終了した。
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明石 遠くに見える海は日本海 |
黄波戸の町並み |
黄波戸の町並み |
俵山温泉の町並み |
俵山温泉の町並み |
にっぽん縦走紀行は第8日を終了。沖縄県と九州地方を制覇し、中国地方山口県を終えたところである。総探訪数は16カ所を加えた1975ヵ所。他にも縦走紀行と並行して単独での探訪を行っていたので、その数を加えると2012年3月31日現在で、1988ヵ所となり、区切りの2000ヵ所まであと12ヵ所となった。
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