岡山早朝紀行
 

私のデータベースでは、岡山県は東京都、長野県についで集落町並みが多くピックアップされている県である。実際その通りで古い町並みの宝庫と言ってよい。しかし、東京から遠い岡山を攻めるには一苦労だ。今回は2005年の秋に2回に分けて早朝の岡山に通った印象記である。
10月のある日、仕事を切り上げ最終の新幹線で岡山へ向かった。岡山駅に着いたのは23:56。駅前再開発を進めていて空地の目立つ寂しいところにあるビジネスホテルが今日の根城である。
茶屋町(岡山県倉敷市)
翌朝、ホテルを出たときはまだ真っ暗。岡山発6:04の列車が動き出したときようやくあたりは薄明るくなってきた。列車がひた走る児島湾を干拓してできた農村には朝靄が垂れ込めていて幻想的である。風景も眠いと言わんばかりだ。茶屋町という宇野線から瀬戸大橋線が分岐する新しい駅で降りたときはすっかり明るくなって靄も晴れていた。
岡山への通勤通学者が駅に向かって一所懸命歩いてくる。私は彼らに逆らって町に向かって歩いていく。このあたりの旧市街は駅から離れているので辿りつくまでの時間も計算に入れなければならない。しばらく歩いて本瓦の重厚な町家があったと思ったら足元に「金毘羅道」の道標が立っていた。ここが町並みの入り口のようだ。旧街道に沿って「いってこい」というふうに町を歩く。中に、海鼠壁が美しい土蔵がある堀のめぐらされた大きな屋敷があった。いや堀というのは間違いで、このあたりは江戸時代から開発された干拓地なので、水路が町中に巡っているのである。
早島(岡山県早島町)
早島は「古民家再生工房」という建築家集団が古民家の保存と再生を行っている町で、以前より深い関心を寄せていた。さっき歩いた茶屋町へ続く旧金毘羅道に沿って花莚の輸出などで栄えた古い町並みが残っている。ただ、もう少したくさんの建物の保存再生が図られていると期待したがさほどない。それでも連続して残っている場所は圧巻で、岡山らしい重厚かつ洗練された意匠の町家を見ることができる。通りから山のほうへ少し入ると茅葺屋根の民家があり、武家屋敷町の面影の残るところもある。早朝の通勤クルマが急いで走る道を右へ左へ危なっかしく渡りながら町並みを歩く。
妹尾(岡山県岡山市)
さらに岡山方面へ戻り旧金毘羅道の町並みを歩く。妹尾駅で8:34なので通勤通学者はもう駅へ向かって歩いてはこない。平日早朝の町並み探訪は通勤通学者から「朝っぱらから何やっとんねん」って目で見られている気がするのであまり好きじゃない。妹尾駅から旧市街に向かうと右側に近代洋風建築が建っていた。それに気をとられた瞬間、目の前で車どうしがガッシャン。急いで駅にお父さんを送って帰る途中のお母さんのようだ。
太陽も上ってきたので明るくなってきた。海鼠壁が眩しく光っている。それと調和した腰の黒い板壁もいい。岡山の民家はなぜこんなに洗練されているのであろうか。兵庫や広島にも共通要素が見られるものの岡山には勝てないと思う。
妹尾で一日目の早朝紀行を終え、急いで仕事の待つ神戸へ向かう。
庭瀬(岡山県岡山市)
早朝紀行二日目は、おなじみ寝台特急サンライズ号からの出発である。今回は経費節約でノビノビ座席というのを利用する。下駄箱みたいに2階建てのユニットになった雑魚寝床。しかし、案の定眠れなかった。岡山で乗り換えて庭瀬駅に付いた時間はまだ日の出時刻であたりは薄明るい状態である。
庭瀬の町並みは駅から離れているので、歩いているうちに明るくなってきた。岡山から倉敷に至る旧街道に沿った町家は海鼠壁と本瓦の建物。倉敷の町並みに繋がる質の高さを感じる。見所の味噌醤油屋さんの前にレトロな薬屋さんがあった。両方ともまだ営業していない時間なので入ることが出来ず残念だ。
岡山出石町(岡山県岡山市)
庭瀬から岡山に戻り、通学客にもまれてバスに乗る。岡山市内は戦災で殆どが焼けているが、旧市街のうちほんの一角だけ戦禍を免れているエリアがある。地元企業で有名な福武書店本店の近くから歩き始める。広瀬町から番町にかけては旧城下町の武家屋敷町だったところ。明治以降は住宅地となり現在でも大きな屋敷が見られる。中には和館と洋館がセットで建てられた近代住宅がまだたくさん現存している。出石町は旭川の旧堤防上を通る旧松山街道沿いの町。古い商家が点在ながら残っていた。堤防上のため下から見上げる形になるので古い建物が見栄えのする町並みである。しかし、建て替えが進んでいて古い町並みとしては風前の灯だ。
岡山中島町(岡山県岡山市)
まだ1時間ほど時間がある。番町からタクシーをひろって「京橋まで」と告げる。岡山市内を流れる旭川には、2つの中ノ島がある場所があって、その中ノ島には遊廓があった聞いた。そのロケーションの特殊性からどんな町並みが見られるのか、期待が膨らむ。
京橋でタクシーを降り、橋の上から眺めると、不思議な風景。2つの細い中之島に家が川にはみ出さんばかりに密集している。入っていくと直線的な通りに遊廓時代の建物がポツポツと残っている。東中島の西側の川岸に出て西中島を見ると妓楼が集まっていそうな場所が見えた。京橋まで迂回し、心躍らせて行ってみると、なるほど妓楼が向き合った良い空間であった。振り返るとさっき眺めた東中島が見える。東と西、お互いに遊廓で間に川を挟み、なんとも粋な関係ではないか。今日もまだ10:00だというのにこれでおしまい。再び仕事の待つ神戸へ移動しなければならない。
早朝紀行で岡山市近在の6ヵ所を歩くことができた。さて、次はいよいよ岡山県の備中地方、吉備高原の集落町並みを歩く予定である。だが2006年に入って仕事が忙しくなり、合わせて体調を崩してしまった。インフルエンザに副鼻腔炎の手術、親父が亡くなって葬儀と、全く何処へも行けない前代未聞の3ヶ月を過ごすことになる。