岡山
出石町
戦災の無い岡山 旭川の堤防上と下の町並み

岡山県
岡山市
出石町2
兵団
番町1,2
広瀬町




交通

JR岡山駅よりバス利用






出石町2
兵団
番町2
番町1



広瀬町





2005.11.14
岡山の中心部は戦災で殆どのエリアを焼失している。戦災復興により再整備された現在の都市は、城下町の町割をベースにしながら通りの拡幅を行った戦災復興都市計画の典型例である。ユニークなのは交差点で、当初は西欧都市のロータリーをイメージしたのであろう、大きな円形がうがたれている。しかし、ロータリーはわが国にはなじまなかったのか、普通の十字の交差点になっているために大きな円弧の部分は広い歩道空間となっている。
そんな戦災を受けた岡山の中で戦禍を免れた町がある。岡山城の堀を兼ねている旭川の西側で都心部の北側エリアである。空襲のとき、風が北東から吹いていたのであろうか、風向きと旭川が類焼を防いだ要因の一つであったに違いない。旭川の現在の堤防に沿う西側にかつての堤防があって、その上を旧津山往還が通っていた。古い町家が点在して残っている古い町並みはまずこの旧堤防上に見られる。切妻平入、つし2階または2階建て、本瓦屋根も残る。2階壁は漆喰で海鼠壁と虫籠窓が施されている。特に伊勢神社前のあたりはかつては伊勢宮町とよばれ雰囲気の良い空間となっている。旧堤防下の番町界隈は武家屋敷町がベースでその後住宅地となった。大きな敷地もまだ見られ、和館+洋館の戦前の住宅も結構残っている。
岡山城と旭川。川は堀の役割を兼ねていた。
旭川の旧堤防上に通う旧津山街道の町並み。切妻平入、つし2階または2階建て、漆喰壁に海鼠壁と虫籠窓が施された岡山らしい町家が点在して残っている。(上)

旭川方向から旧津山街道に出る路地。(左)
旧堤防下の番町から上の出石町を見る。
逆に旧堤防上の出石町から番町を見下ろす。
伊勢神社前の空間。かつては伊勢宮町と呼ばれたなかなか雰囲気の良い空間である。
番町の町並み。
番町の町並み。
番町の町並み。このように比較的大きな敷地が分割されず残っていて洋館も多い。
番町の町並み。
番町の町並み。
広瀬町の町並み。番町同様、古い住宅地。
広瀬町の町並み。番町同様、古い住宅地。

戦災復興都市計画された岡山市中心部の円形交差点。西欧のようにロータリーになっていないため、交差点の四隅は扇形の不思議な歩道空間になっている。しかし、交差点にしか面していない敷地もあるため、車が歩道に乗り上げてアクセスせざるを得なくなっている。(左、左上)
空中写真の右上が戦災を逃れた出石町界隈、左下が戦災復興都市計画で誕生した円形交差点。(上)
参考資料 リンク
岡山市

参考文献