妹尾 明治期に花むしろ生産で栄えた旧陣屋町

岡山県
岡山市
妹尾




交通

JR宇野線妹尾駅下車徒歩






妹尾



2005.10.27
中世、妹尾はは漁村であった。といっても水深が浅いため江戸時代は干潟漁が中心であったという。寛文9年(1669年)以降は明治維新まで庭瀬の戸川氏が開いた陣屋町となる。近世から始まった児島湾の干拓により海を失い漁業が衰退するが、周辺のイグサ栽培を背景に明治中期には花むしろの輸出で栄える。また、妹尾は「妹尾千軒まる法華」と言われるほど法華宗寺院が9つ集まる法華宗の町でもある。
宇野線妹尾駅を降りると駅前通に洋風近代建築が建っていて目を引く。300mほど歩くと旧金毘羅往還との交差点に出る。ここで旧街道には鍵曲りが残っていて、そこに屋根のかかった井戸があった。この井戸は陣屋のもので、明治以降も共同井戸として利用されていたものである。古い町並みは交差点から西へ500m程度の間に点在して残っていて、道幅が狭まったあたりから連続する。町家は切妻平入で、岡山県らしく海鼠壁で要所を押さえた土壁と黒い板壁の組み合わせが美しい。明治期に花むしろで栄えた町の面影を感じることができる旧陣屋町である。
駅前通りに建って目を引く近代洋風建築。「合資会社 浅越機械製作所」のレトロなロゴが残っていた。
児島湾を干拓した地域にはこのような水路が町中に存在する。佐賀平野や中国の上海周辺も同じように水路が見られる集落だった。

旧戸川陣屋内にあった井戸だが明治以降共同井戸として利用された。(上)

鍵曲りの近くにあった古い写真館の洋風看板建築。(左)
旧金毘羅往還の本町通りの町並み

平入の町並みが基本である。海鼠壁は岡山の特徴だが、板壁との組み合わせもそうで、町並みの基調なっていて美しい。
本町通にでる脇道。早朝だったため通勤の車や自転車の往来が激しかった。
旧金毘羅往還沿いの本町通りの町並み
道幅が狭くなったあたりから古い町家が増え、町並みとしての連続性が強まる。右手の建物は旧旅館。
町並みの最も西寄りのところ。神社の手前に見ごたえのある商家が残っていた。ただし道幅が狭く車の往来が激しいので歩くのには注意。
参考資料 リンク
岡山市

参考文献