松前(まさき)
二日間は太泉さんと一緒です。今回は運転手に徹し、太泉さんプロデュースの酒蔵のある町並みを巡ることになります。松前(まさき)は松山空港から県道ですぐ近く。街はすでに歩いているのでパスし、目的の造酒屋へ。
「武士心」という銘柄の武智酒店。御主人にお酒の話を聞いて太泉さんが小瓶を一本買ったら、丁寧に外でお見送りまでしてくれました。さすが「武士心」です。
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松前(まさき)市街のはずれにある武智酒店
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中山
郡中から国道56号線で内子・大洲方面へ走ります。ここからは四国山地西端エリアの山間を往く。その途中に旧大洲街道の宿場町中山があります。
町並みを歩いていてふと横を見るともの凄い急な階段が背後の山の天辺まで伸びている。階段は荒々しく青石が積まれたもの。青石はこの地方の石垣で共通して見られます。佐田岬半島の集落など(井野浦、大佐田)。
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旧大洲街道中山宿の町並み |
旧大洲街道中山宿の町並み
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旧大洲街道中山宿の町並み
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石畳
中山からは国道を離れて山道を登っていきます。標高こそ1000m未満の山々ですが、道はクネクネと折れ曲がって険しい。猪の峠を越えると内子町で高原のように棚田が広がっています。重伝建にもなっている内子の郊外にある山村石畳。何気ないけど、棚田と青石の石垣が美しい集落です。
そこに地元の方々で運営されているそば処があり入りました。ところが、店に入っても一向にオーダー取りに来ない。声かけてやっと注文はできたものの、オーダーの先後はめちゃくちゃ。まさに素朴なお店でした。
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内子町石畳集落
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地元で打たれたお蕎麦 おつゆが濃くて甘い! |
五十崎
山を下り内子の町を通り過ぎて五十崎へ。町並みに中には重伝建地区の内子に繫がる白壁の商家がありました。
小田川を渡っても町並みが続いています。その終点にあるのが「千代の亀」の亀岡酒造。白壁の建物は立派でしたが、どうやら営業していませんでした。
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五十崎の町並み |
五十崎平岡の亀岡酒造
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新谷
国道56号線をさらに進み大洲を越すと新谷。ここは、かつて陣屋町だったとのこと。
陣屋町の面影は、陣屋の遺構や藩の会所の土蔵、武家屋敷などに残されており、旧大洲街道沿いには町人町の姿もみられる。町家は切妻平入りで、温かみのあるベージュ色に塗られた白壁や海鼠壁は、伝統的な町並みを色濃く残している内子や大洲に通じるものです。 |
陣屋町新谷の旧武家屋敷町 |
陣屋町新谷の旧町人町 |
大平
そして、初日の最後は八幡浜大平集落です。去年の「日本集落町並み縦走紀行」で八幡浜に来たときに、町の背後にそびえる蜜柑山の「天界の村」。を確認していたのでした。ところがその際は時間がなくて上れなかった。今回こそはと、八幡浜の町はずれから上りました。
いやはや、想像を絶する天界度でずっと興奮しっぱなしでした。
集落へ上る道はまさに山岳部の「天界の村」に匹敵する険しいもので、家々は山の斜面にへばりつくように建っています。集落に上ると南方には八幡浜市街と遠く宇和海を一望できました。
集落の構成は、天界の村らしく等高線に沿って棟を並べるのが標準形。石垣は近く佐田岬半島でも見られる細長い青石が混じる。
このエリアにはほかにも着目すべきねむった天界の村が多く存在しているものと思われます。 |
八幡浜の背後の山の中腹にある集落 |
蜜柑栽培の「天界の村」 |
これは必見の集落です |
旧宇和町の卯の町に着きました。宿は古い町並みの真っただ中にある松屋旅館。西日本組の皆はまだ到着していなかった。
さっそく太泉さんと宿の撮影です。外観こそ古いままですが、内部は伝統的なつくりを損なうことなく上手に改装していました。
とそこへ、全員が集合した!
さぁて、風呂入って飯食って宴会だぁ。
卯の町の松屋旅館 |
卯の町の松屋旅館 |
松屋旅館の前で「いらかぐみ」6人衆 |
法花津
昨夜は遅くまで宴会で盛り上がりました。太泉さんはお疲れだったか早々とお休みになっていた。ところが翌朝、早起きです。つし二階(中二階)の寝室は天井が低く斜めになっているため、低い側に寝ていた太泉さんが起き上がると見事に頭をゴン!私も目が覚めました。
2日目の朝の天候は雨。朝食前に豊後水道に面するリアス式海岸の入江へクルマを飛ばし、法花津(ほけづ)という町を取材しました。造り酒屋があるというので探しましたが、すごく奥まったところにあった。また、町の端に長屋門を備えた家が三軒並んでいる。漁村というよりは、背後の山での蜜柑栽培に従事している人が多いのでしょう。 |
法花津の造酒屋 |
法花津の長屋門を備える民家 |
卯の町
宿に戻り、朝飯食べてから卯之町を歩く。ところが雨が降ってきた。いらかぐみのKさんは、軒下に居所を据えて、早速、町並みを描き始めました。雨止んでぇ。
さて、これから「いらかぐみ」の面々の行動はというと、卯の町をみんなで歩いた後は、もう解散。何とも水臭いといい無かれ、これが「いらかぐみ」の掟です。とはいうものの、行きたい町並みが一致した太泉、孫右衛門、Yasukoさん、万訪は2台のクルマで同行。Kさんはスケッチ紀行。七ちょめさんは、なんと高知県宿毛市沖ノ島へ向かうとな。七ちょめさんを卯の町駅へ送りがてら、みんなで旧宇和町小学校を見に行きました。ここの廊下は、雑巾がけグランプリが開催される名所でもあります。
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卯の町の町並み |
昭和3年の旧宇和町小学校 |
野村
メンバー4人は2台のクルマで、山間部へ入ります。まずは野村という町から。町は比較的大きいのだけれど、見所ポイントがぼやけている。
だがしかし、私の名前と同じデスからねぇ。多少ひいき目で歩いて、何んとかDataBaseに取り上げるに足り得るネタを探しました。 |
野村の町並み |
肱川
このエリアは、肱川という川の流域に属するのですが、この川が面白い。四国には四万十川という有名な清流がありますが、海の近くに源流があり山間部をぐるっと回って海にそそぐ川。この肱川も同様で、海の近くの高所にある西宇町(卯の町のある盆地)が源流で、そこから山間部をぐるりと回って大洲を経て長浜とうところで伊予灘に注ぐのです。
その肱川の中流域にある山間部の町が肱川。小さいけれどグッドな町並みでした。 |
肱川の町並み |
肱川の町並み |
総津
さぁ、太泉さんプロデュースの高速町並み探訪が続きます!
砥部町の総津。中々よろしいではないですか。
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総津の町並み |
のってきたぞぉ。
ランチは街道沿いにあった川辺のうどん屋さんで。
たらいうどん! |
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突合・寺村
総津から小田方面をめざし走っていると、太泉さんが「ちょっと待ったぁ!」。ここから発見の町並みが連発です。旧道方向に町並みがチラッと見えた!良さそうだ!
突合という旧街道が分岐する小さな町でした。古い家が連なり、橋もあったりして素晴らしい。
つづいて、 小田手前、寺村というところでもヒット!アタリ始めると立て続きだぁ。 |
突合の町並み |
寺村の町並み |
小田
そして内子町最奥の地、小田もヒット!緩やかに曲がる町並み景観は良くできています。
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小田の町並み |
久万
峠を越えて、久万高原町の久万へ。ここで東京組と中国組は別れ、松山空港へ。
久万の町並み
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久万の町並み |
久万の町並み |
「一路一会」の太泉さんを空港で見送って、私は松山市内のビジネスホテルにもう一泊です。疲れ果てて夕食に出かける気力はない。ピザをとって部屋で晩飯。もう一日、力を振り絞れ! |
松山のホテルから |
いらかぐみオフ会は無事終わりました。今日は続けて松山沖の島巡り=里島紀行です。中島、津和地島、怒和島、二神島の4島を予定しているのですが、フェリーと高速艇が複雑に運行しているので、それらを一日で巡る計画は大変でした。しかし何とその計画書をホテルに忘れてきてしまった!慌てて松山の高浜港で再計画です。なんかいやな事が起きそうな予感がするなぁ。。。
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伊予鉄道高浜駅 |
中島大浦
まずは中島に渡り、大浦の港町から開始。かつては瀬戸内海航路の風待ち潮待ち港だったとか。忽那諸島最大の島である中島の中心集落でもあり、港町らしい町並みが何となく感じられる。ユニークなのは商店の前にだけアーケードがかかってるという特徴があること。この現象は、以前、瀬戸内のほかの島でも見たことがあるが、一定のルールなんでしょう。この後、忽那諸島の他の島でも見られました。
島内バスに乗って神浦へ。うーむ、大浦より小さな集落。ここで一時間半つぶさなければなりません。ここは漁村ではなく見るからにみかん栽培農家の集落です。ある家の裏に玉ねぎが吊るされてた。中島は日本一の伊予柑の産地ですが、玉ねぎの産地でもあるそうな。
この集落に唯一のガソリンスタンドがあった。郵便局を兼ねている雑貨屋さんが経営してます。店内にはプラグも売ってた。
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中島大浦の町並み |
中島大浦の町並み |
中島神浦の町並み |
中島神浦のガソリンスタンド |
元怒和
中島神浦港からフェリーに乗って津和地島を目指します。最初はデッキに出ていたけど、寒いんで船内の二等雑魚寝部屋に入った。するとスヤスヤ寝てしまい、気がついたら怒和島の元怒和港町に停泊している。ヤバイ!飛び起きて階段を駆け下りると今まさに渡し床をあげようとしてるではありませんか。「待ったぁ!」と叫びギリギリ降りられた。のはいいのですが、降りる予定の津和地島を寝過ごしてしまいました。まぁしょうがない、気を取り直して元怒和を歩きます。
港の縁にいきなり長屋門を構え屋敷を囲った家々が現れた。集落としては車が入れない密集系漁村の形式ですが、生業は蜜柑栽培です。蜜柑栽培で経済的にかなり潤ったのでしょうか。
怒和島元怒和の町並み
ほっそ〜い路地だけどメインストリート。雑貨を置く萬屋さんが店を構えています。そこを過ぎると舟板の民家。道がいくら細くても長屋門を構えています。ここはかなり町並み度が高いですね。今まで知られていなかったけど凄い!これだから島旅はやめられない。 |
怒和島元怒和の町並み |
怒和島元怒和の町並み |
怒和島元怒和の町並み |
怒和島元怒和の町並み |
元怒和港で船を待つ人たち |
上怒和
さぁ、どうしましょう。時刻表を開いて急きょ再検討。その結果、二神島を諦めれば津和地島に行ける。何とかリカバリーできて良かったぁ。時間があるんで、途中の船便を駆使して怒和島の元怒和から見ると裏側にある上怒和集落を挟みます。
ところがこれもヒット!集落のオバやんに聞いたら、上怒和の方が元怒和より一人当たりの蜜柑畑面積が大きく裕福だそうな(だいたい地元で話聞くとこういうことよくあり)。確かに家が立派である。密集系集落はやはり面白い。
段々畑もお見事でした!
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怒和島上怒和の町並み |
怒和島上怒和の町並み |
津和地
里島紀行、最後の島は津和地島。二神島はさっき寝過ごしたせいで今回は行けなくなっちゃったけど、怒和島の良い二つの集落が見えたからイイか。
津和地集落は、海岸線に沿った一直線の二枚下ろし形状で、すごく長い。2kmくらいあるかなぁ。ここも長屋門形式ですが、怒和島より素朴で小さい。それに背後の山の斜面が急すぎるためか蜜柑畑が少ない。蜜柑栽培はあまり盛んではないようで、漁業の方が主のような印象を受けました
海側に長屋門があって中庭はさんで主屋があるというのが基本形。漆喰のグレードのある屋敷もみられましたが、ボロボロの廃屋が多い。生業が乏しく過疎化が進んでいるようです。同じエリアの島でこれほどのグレード差が見られるのは驚きです。
ふぅ、、、終わったぁ。高速艇で松山市高浜港へ戻るべ。
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津和地島津和地の町並み |
津和地島津和地の町並み |
津和地島津和地の町並み |
朝飯食べず島に渡ったものだから、食事どころなく腹ペコ。怒和島ではアイスクリームで繋いだ。夕方だけど、松山市大手町の天領ラーメンにてやっと昼ごはんです。一人打ち上げだい!
そういえば、伊予鉄道の大手町駅のところ、市電と平面交差している珍しいものでした。 |
松山市内 伊予鉄道と市電の平面交差 |