丹波から豊後へ
 

週末の土日に熊本県天草諸島の集落を歩こうと計画していて、すでに切符やレンタカー、ホテルの手配を済ませていた。ところが土曜日に仕事で神戸に行かねばならなくなってしまった。週明けの月曜日も偶然にも神戸で別の仕事があるので、普通の人間なら旅先を関西に変更するところであろう。だが、すでに心はさらに西へ行ってしまっており九州上空をウロウロしている。さすがに日曜日一日で天草を周るのは無理だが北部九州なら何とかなりそうだ。無理してでも九州に行ってやろうと意地もある。兵庫県と北部九州、そういえばそれぞれの町並みにひとつの共通点がある。それは、丹波地方(兵庫県)と筑後地方(福岡県)に良く似た妻入り商家の町並みがあることだ。互いに遠く離れているが、連続して見ることによって何か感じ取れるかもしれない。私は妙な理屈をつけて、この離れた二つの地域を一つの旅として歩くことにした。
金曜日の夜9時、東京駅10番線ホームに寝台特急出雲号が入線してきた。久しぶりのブルートレインだ。B寝台下段に座り、ビールとおつまみで一人一杯やっていたら横浜でおばさんが向かいの席に乗ってきた。体裁が悪いので早々と寝ることにした。
携帯電話の時計アラームで朝5:00に目が覚めると、列車は山陰本線に入っており明らかに走行音が変わっている。洗面所で歯を磨いていると、車掌が私を福知山で降りる客だと知っていて声をかけてきた。信号機故障で列車がちょうど1時間遅れているという。窓の外を見るとまだ亀岡をすぎたばかりであった。
今日は福知山でこの列車を降り、福知山線に乗り換えて篠山口へ出てバスで篠山へ行く予定である。篠山の見所は広範囲なのでたっぷりとした時間が必要だ。午後の神戸の仕事の前に篠山と近くの古市の2箇所を歩くためわざわざ夜行列車に乗ったのだ。だが、その列車が1時間も遅れた。このままだと福知山での乗継はギリギリで、乗り遅れれば約1時間半の時間的ロスとなってしまう。
列車は1時間3分の遅れで福知山駅に滑り込んだ。もはや無理かと思ったがダッシュで連絡橋を渡る。幸運にも福知山線には間に合った!。
「3分遅れて発車しました」と車内放送。東京→福知山→篠山口という私の持っていた乗車券を特急出雲の車掌はチェックしていて、あらかじめ連絡を入れておいてくれたようだ。早朝とはいうものの3分遅らせて待っていてくれた福知山線には感謝である。しかし、この2日後、福知山線では史上最悪の列車事故が発生した。1分30秒の遅れを取り戻すためのスピードオーバーが原因らしい。この時の私はそんなことになろうとは思いもよらなかった。

福知山駅 福知山線の車内から特急出雲号を見る。
篠山(兵庫県篠山市)
篠山口駅に到着したときにはすでに遅れを取り戻していた。駅前には篠山営業所行きの神姫バスが待っている。バスは篠山盆地の田園の中を走った後市街地に入った。左折→右折→右折と篠山城の周りの旧市街を抜けていく。本篠山というバス停を過ぎると篠山川の土手に出た。京口橋という城下町の入り口らしいバス停で降りる。
河原町は妻入の商家が連なる町並みが見られる篠山最大の見所。早朝で観光客がいなくて良い。本篠山からは立町を北上するが、ここはパラパラといった町並み。バスで通った場所を逆行して城の北側の呉服町二階町の商業中心部を歩く。古い町家は少ないが昭和期の町並みが見られる。
さらに城の西側に回りこむとガラッと町は様相を変える。武家屋敷町である。長く続く土塀に茅葺の門、奥には同規模の曲がり棟の民家が間を置いて建ち並んでいる。さしずめ新興住宅地の江戸期版といった印象である。大抵、武家屋敷町というのは塀だけのところが多いが、ここは建物も古いのが残っていて風情がある。城の南も武家屋敷町だが堀の水面が鏡のように長屋門を映していた。
篠山城の周りを反時計周りにグルッと一周して本篠山バス停に戻ると2時間弱経っていた。スケジュールは当初の予定に戻していた。町にはまだ見所はあるようだが、篠山より奥地の福住や八上など行くべき場所は残しているので、その時また訪れよう。


古市(兵庫県篠山市)
篠山口駅から福知山線で2駅尼崎方面に行くと古市である。篠山からの旧街道は、この古市宿で三田を経て摂津大阪へ至る街道と播磨姫路へ至る街道に分岐する。
国道はバイパス化されていて旧宿場町の町並みはいくらか残っている。ここでは丹波で見られる切妻妻入の町並みはあまり見られない。土地の奥行きが短いためであろうか?。
町並みの中心部に大きな町家が並んでいて、あとは町の両端に見所があるという宿場町の典型のような残り方をしている。

芦屋(兵庫県芦屋市)
出だしのトラブルもあってちょっと急いで歩いたので、逆に時間に余裕が出来た。神戸に行く途中、芦屋で降り住宅地を歩くことにした。芦屋には建築家フランクロイドライトが設計した旧山邑邸がある。震災前に訪れたことがあったがもう一度訪れたいと思っていた。芦屋の町は六甲山の麓の南斜面に展開していて背後の新緑が美しい。
旧山邑邸では保存修復工事のビデオがあり、それをじっくり見入ってしまったため町を歩く時間が無くなってしまった。屋上から芦屋の街を一望でき、どこにどんな邸宅がありそうかチェックをして次回につなげることにした。

神戸の仕事とは、神戸大で開催されている建築史学会のシンポジウムを聞くこと。神戸大学のキャンパスは六甲山の山腹に移転していて超眺めが良い。しかし歩いて上るのは大変だ。行きはタクシー、帰りは歩いて下った。

さて、ここから九州を目指す。新神戸から乗った500系のぞみ号は時折時速300kmを表示していた。300kmといえが飛行機が離陸する時の速度。その速さはすごいが怖い。
今晩は福岡空港までわざわざレンタカーを調達に行く。空港の営業所は営業時間が長いからこれからでも借りられる。前日に借りておくのは、明日早朝から行動するためである。遅い夕食は中州の屋台に繰り出した。何処が旨いか予備知識があるわけでもなく入った店だった。焼き鳥は旨かったもののラーメンは東京のほうが旨かった。
英彦山(福岡県添田町)
博多駅東口のビジネスホテルを朝5:30に出発。よくぞ起きられたと自分をほめてやりたい。一般道は至って順調である。福岡県南部の山間部を峠越えすれば最初の目的地である小石原。途中、新緑の棚田がとてもきれいだ。しかし、やきものの里小石原は、車で走り回ったが集落としては見るべきものが無く残念ながらカット。次の英彦山を目指す。
英彦山は日本三大修験道とうたわれた山で、てっぺんの英彦山神社の門前に平安時代から続いているという山伏の集落がある。山頂の神社へ一直線に上っていく石畳と両側の住居跡。建物は草葺やトタン屋根の民家や旅館建築が建っているが、その自然や信仰と建物が一体化した集落のランドスケープは素晴らしいの一言である。
小鹿田(大分県日田市)
英彦山から狭いワインディングロードを攻めて峠を越える。今回借りたスズキスイフトはエンジンとハンドリングがとても軽快で気に入った。
福岡大分県境をここで一旦越えるとやきものでは知る人ぞ知る小鹿田(おんた)焼の里、皿山がある。
平野の町から離れた山の中に抱かれたやきものの里は、煉瓦煙突と土壁の登り窯が点在する集落で視覚的に楽しい。さらに、もっと面白いのは水の力を利用した唐臼で、粘土をつく唐臼の音が集落のあちらこちらから聞こえてきて谷あいにこだましている。皿山は五感で楽しめる集落といえよう。
比良松(福岡県朝倉町)
筑後平野に下って朝倉町の比良松という町を訪れた。ここは旧日田街道の間の宿であるが、ここでは丹波篠山の妻入の町並みに対抗する筑後の妻入の町並みを期待している。
車を置いて歩いていくと見えてきました三角屋根のギザギザが!。同規模の入母屋造りの商家が傾斜にしたがって段々になって並んでいる。その町並みは短いながら、吉井や八女福島に負けず劣らずの美しいものである。さて、ここで丹波篠山の河原町と比較してほしい。丹波は切妻を基本とはしているものの実に良く似ている。もちろん違いも明確だが、こういう意識をしながら遠く離れた町並みをひとつの旅の中で比較できるのも面白いではないか。
新川(福岡県うきは市)
きれいな風景写真で楽しませてくれるサイト「風に吹かれて」の「美しき棚田」で福岡県うきは市の棚田が紹介されていた。今回はここをさわやかな午前中に訪れたいと思っていた。平野からダム湖を経て山の中に入っていくと棚田がそこらじゅうに出現する。新緑の季節で緑がまぶしいと思えるほどだ。
最初は新川地区の2つの集落を歩いた。等高線に沿った層状の棚田と民家のとんがり屋根の組み合わせが美しい。草葺のままの屋根がもっと残っていたら日本でも有数の美しい集落景観と言ってよいであろう。
田篭(福岡県うきは市)
新川の谷をさらに奥へ行く。道路標識に「つづら棚田」の表示があったので右折し、山を登っていく。山の上は緩斜面になっていて広範囲に棚田が広がっていた。ここが「美しき棚田」で紹介された場所であろう。田植えの時期だったら本当に綺麗だろう。
広がる棚田の上部に葛篭(つづら)の集落がある。集落を歩いていると家々から人や車が出てきて一ヶ所に集まり始めた。何かと思ったら午後の農作業のために集合しているらしい。棚田の所有はどうなっているのかわからないが、みんなで集まって農作業に取り掛かるというこういう光景はあまり見たことが無い。
(大分県玖珠町)
再度平野部に戻り高速道路で豊後森へ向う。九大本線には豊後森という駅があり、学生時代に「栗めし」という駅弁を買って食べてとても美味しかった思い出がある。そんな豊後森駅からは随分離れた場所に森の旧市街はある。
森町は南北の2本の通りに町並みが見られるが、これがちょっと不思議である。去年、中山道の上松を歩いたときも同様の違和感を感じた。町家が妙に閉鎖的な土蔵造りなのである。装飾が少ないと土蔵造りはのっぺらぼうな表情になる。つまり、明治以降に大火があってそれを教訓に町が復興したということ。見よう見まねで建てた感がある。
湯平温泉(大分県湯布院町)
森からさらに東へ移動する。国道と鉄道は天ヶ瀬の渓谷を通っているが、大分自動車道は高原地帯を走る。天気がいいので噴煙を上げる九重山や由布岳がよく見える。湯布院ICから湯布院の町に下ってみたが人がいっぱい。湯布院は九州の軽井沢という場所で、今回歩いてみようと思ったがやる気がうせた。こういう場所は早朝訪れないと印象はすこぶる悪くなってしまう。
何度も歩けそうな場所を探すが見つからず、しょうがないので次の湯平温泉に向った。湯平温泉はミーハーな湯布院とはうってかわっての湯治場風。狭い石畳に木造3階建ての旅館が建ち並ぶ。建物は古い感じは受けないが、どちらかというと昭和レトロを感じる湯治場の温泉街。私にとっては大変好印象であった。
塚田(大分県日田市天ヶ瀬町)
湯布院をはずしたので、もう一箇所行ける。今日の最後は天瀬町南部の農村で締めくくろう。天瀬温泉は車で流しながらチェックを入れるが大したこと無いので通り過ぎる。
天瀬から小国町へ向う県道は九重山からつながる高原上の農村を走っている。やがて農地の広がる集落が見えてきた。塚田地区はとんがり屋根の民家が多く残っているが草葺のままは少ない。特徴は主屋と付属屋が2棟セットで建っていることくらいか。「日本の集落V」でも紹介された集落である。
姪浜(福岡県福岡市西区)
日が変わって月曜日の朝。今日は神戸に戻らなくてはならない。博多発9時の新幹線に乗ればよいが、予定表ではその前に福岡市西区の姪浜を歩く計画になっている。何度も姪浜へ行くかホテルで休むか悩んだが、がんばって行くことにした。福岡県はリストアップ数が多いので少しでも歩いておきたいのだ。
地下鉄東西線の終点、姪浜駅は新興の住宅地でマンションがドンドン建設されている町。そんな中に旧唐津街道の宿場町がわずかながらに残っていた。しかし、先日の福岡を襲った大地震の震源地に近いため、古い町家は数棟がダメージを受けていた。でも、地震が無いと思われていた地域で地震があったわりに被害が少ないと思った。
丹波、筑前、筑後、豊前、豊後と股にかけた旅は、天候もよく新緑が美しいとても気持ちのよい旅だった。
博多から神戸に向う新幹線の車内で、電光掲示板に「尼崎列車事故 マンションに激突」のニュースが表示された。2日前の朝、古市から神戸へ向う途中に通ったばかりのあの場所。伊丹からずっと直線で来て、尼崎駅手前の大きな左カーブに差し掛かる前に一旦右にカーブするあの場所は、二日前に乗ったときにもしっかり覚えている。「もうすぐ尼崎駅だ」と思うあのカーブ、そこで大惨事が起きた。今回の旅はこの事故とともに記憶に残ることになるのだろう。