旧中山道 京発二日目(2004.01.22)
 


夜明け前、あたりは真っ暗である。京都市内のホテル前のバス停で京都駅行きのバスを待つ。とてつもなく寒い。
京都からのJR琵琶湖線(東海道線)は通勤通学者で結構混雑していたが、南草津と草津で3割、近江八幡で自分も含めた3割が下車した。旧中山道の宿場町は、京都から守山宿まではJRで辿れるが、ここかはJRと街道が離れており替わって近江鉄道が街道に沿って走っている。近江八幡駅で近江鉄道に乗り換えて一駅目が最初の訪問地武佐宿である。が、乗った電車は平日朝だけ運行されている急行列車で、武佐を通り越し八日市まで行ってしまった。鈍行で戻ってさいさきの悪いスタートとなった。

武佐駅は小さな駅で、そこから武佐宿の町並みが始まっている。あまり大きな町家はなく、厨子2階の塗籠め造りの家々が途切れ途切れに残っていた。カメラを持つ手が凍え、右手左手と持ち替えながらポケットで手を温める。

鈍行でまた八日市へ、ここで彦根方面の電車に乗り換えなければならないが接続が悪い。先ほどの失敗の時間的ロスを取り戻すため、八日市からタクシーに乗り換えた。愛知川宿の南端の料亭「竹平楼」の前で下車した。宿場の端から歩けるので往復しなくていいのもまたロス時間の回復に有利である。愛知川宿は商店街となっているので余り古い町家は残っていないが、近代洋風建築が混ざっていたりしてなかなか面白い。商店街だから駅は近いだろうと思っていたらこれが結構離れている。1km猛ダッシュする破目となってしまった。頬っぺたや耳がちぎれるほど冷たい。

滑り込みセーフで電車に乗り高宮へ向かう。愛知川まではところどころに雪が残っている程度であったが、高宮では真っ白な雪景色になった。高宮の町は街道を中心になかなか見ごたえのある歴史的な町並みが多い。雪が汚いものを隠すからそう見えたのか。それだけではなさそうで、近世〜近代と中山道の宿場町、多賀神社の門前町、商工業の問屋町という3つの理由で大いに栄えた様子が、立派な商家の佇まいなどに現れている。高宮では、アイスバーンの路面ですっころびそうになりながらも町中をじっくり歩いた。

さらに近江鉄道で北上する。天守閣の残る城下町彦根に入り、彦根から一駅米原よりの鳥居本駅で下車した。鳥居本駅は近江鉄道開業時の駅舎で、駅を出て振り返ると赤い屋根のかわいらしい建物であった。最近の駅は橋上にあるため町の玄関口としての顔に乏しいが、かつての駅はそれぞれに個性があったものだ。国道を渡り100mほど歩くと旧街道の宿場町である。駅前の商店街などなく、素朴な宿場町の佇まいが残っている。

鳥居本からタクシーで米原へ、そこから新幹線で名古屋へと向かった。米原は北陸本線への乗換駅として有名だが、町は駅東側にあるのだがどこにあるのだろうか思われるほど小さい。車窓から見える家並みから、結構いい町並みが残っている気配を感じた。
名古屋では仕事で訪れた中区錦町で見覚えのあるインパクトのある街が。長者町通りは各々の交差点にすべて「長者町繊維街」の看板が掲げられている。思えば名古屋生まれの私の血には繊維業界の血が流れている。祖父は名古屋で洋服屋を営んでいたし、親父もこの繊維街のなかの企業に就職した。そんなことを考えて歩いている途中、気がついた。「もしや、この街が記念すべき1000ヶ所目か?」。そうこの街が1000ヶ所目に数えられる集落であった。これも何かの縁なのか・・・。

 
武佐
愛知川
高宮
鳥居本
長者町