旧中山道最終日(2004.05.28-30)
<いらかぐみオフ会

 

2004年5月末、町並みWeb集団「いらかぐみ」の第2回オフ会が開催された。場所は木曽路である。私が2003年9月にはじめた旧中山道を辿る旅は、江戸発が7日間、京発が5日間かけて木曽路の奈良井宿と贄川宿を残すのみである。そう、すべてがこのオフ会で江戸発と京発の旅を接続して締めくくることを目的としていたのである。
オフ会の前日、東京を早朝発った。中央道は順調で塩尻ICを降りたのはまだ8時であった。塩尻市街を抜け国道19号を南下する。まず最初に「是より南木曽路」の碑を見るため間ノ宿である桜沢を訪れる。
 
桜沢(長野県楢川村)
桜沢は今まで何度も通過していたが間ノ宿とは知らなかった。「是より南木曽路」の碑は宿場よりやや塩尻よりの国道の脇にぽつんと立っていた。まわりは狭く深い奈良井川の谷。江戸発の旅もいよいよ木曽路に入ってきたんだという実感がこみ上げてくる。
木曽福島の「車屋蕎麦国道店」で早い昼食を済まし、ここからいったん木曾谷と離れ御岳山麓を目指す。木曽馬の里である開田高原は約20年ぶりの再訪である。開田村では集落のスケッチをしてみようと思う。
末川(長野県開田村)
木曽福島を後にして国道361号線を西へ進むと狭い谷の町からのんびりとした農村風景に替わる。かつて、冬季に地蔵峠をチェーンなしの標準タイヤで越えようとして危ない目にあったことがあるが、今や新地蔵トンネルが開通してらくらく開田村へ行くことができる。
いくつか集落を廻っていたところ、開田村の中心である末川集落が目に留まった。開田高原らしい「木づくし」の民家集落。スケッチを始めたが日差しが強くて暑いわ眩しいわで落ち着いて描けない。そこでちょっと乱暴だが車をいい場所に横付けして、車内からのスケッチとあいなった。あ〜楽チン楽チン。何十年ぶりかのスケッチは3時間かかった大作だ!。

西野(長野県開田村)
開田村は2つの大字しかない。ひとつは末川でもうひとつは西野。末川から小さな峠を越えてさらに御嶽山へ近い西野へ行く。
西野の集落は広々としたまさに高原上の集落。ここには県宝「山下家住宅」なる文化財として保存されている民家がある。集落内を歩くと板葺石置屋根の板小屋も残っていた。道路わきになんとも温かみのある板小屋があったのでサクッとスケッチ!。
この日の宿は、西野集落と離れた別荘地にあるペンションを予約していた。ペンションの主人は木曽福島の出身だが都会へ出た後Uターンして、この開田村でペンションを始めた人。村会議員も勤めているというが、現在町村合併問題で村が揺れているという。木曽谷の7町村も合併して木曾町になるという。その中には、子供の頃「あの村とあの村は仲が悪い」などと教えられてきた町村も入っているという。議員になって調べてみると本当に仲が悪いそうだ。村の人たちの意識も様々で、なかなか合併問題は大変だとおっしゃっていた。
王滝(長野県王滝村)
開田村のペンションでの朝は上天気で気持ちの良い朝食を済ませた。御嶽山麓を走って王滝村の王滝に向かう。王滝はいまから20年以上前に訪れたことがあり、滝旅館という御嶽山の信仰登山組の常宿に宿泊した。滝旅館の朝、回りの縁側に白装束の人たちがびっしり座ってわらじの紐を結んでいた光景を忘れない。その旅では山麓の濁川温泉(御嶽山の南北の山麓に濁川温泉があったがその南側の方)に入り美しい濁川渓谷を見物した。しかし、その直後の1984年に王滝村を震源地とする長野県西部地震が発生。地震で24人の方々がなくなったが、濁川温泉の宿と渓谷は土石流でいっさいが流されてしまった。
王滝はそんな思い出のある場所だが集落の記憶は残っていない。しかし、信仰の集落らしい静かな佇まいで、点在する板小屋がスイスのツェルマットに通じる風景だ。滝旅館は外装がすっかり改修されていたが、1階の縁側は健在であった。
三留野(長野県南木曽町)
王滝村を後にし、再び木曾谷へ戻る。前回の「旧中山道京発5日目」では旧三留野宿の場所を間違えて歩いてしまったため再訪しなければならない。旧三留野宿は大火で大部分が失われているというもの、起伏に従いながら連続する町並みが残っている場所があり、なかなか良い町である。
「いらかぐみ」の西山さんと妻籠宿で待ち合わせているが、若干時間があるので、南木曽町の崖家造りの町並みを木曾川の対岸からスケッチしてみた。
妻籠宿寺下地区の生駒屋の前で「いたかぐみ」の西山さんと待ち合わせていた。集合場所に行くと西山さんがスケッチをしていた。「こんにちはご無沙汰しています」。顔を合わすのはご無沙汰だが、しょっちゅう掲示板で会話しているので不思議な感覚である。妻籠宿で蕎麦を食べ、木曽路がはじめてという西山さんを、三留野→野尻→須原→上松→寝覚ノ床→木曾福島→宮ノ越→薮原と超特急で宿場の見所を案内をした。
 
奈良井(長野県楢川村)
奈良井駅16:30。「いらかぐみ」全員集合。みんなで奈良井宿を京方へ上っていく。何度見てもすばらしい町並みだ。背後の山が屋根の上に常に見え、木曽谷の宿場町を実感させてくれる。木曾11宿の中で、どうして妻籠と奈良井の町並みだけがここまで完璧に残ったのであろうか。しかも、奈良井は妻籠と違って観光に頼っていない生活がある。紛れも無く日本一の宿場町の町並みだ。

中町の民宿伊勢屋に泊まり、夕食後にオフ会ミーティング。そろぞれの旅の報告やスケッチの披露などで盛り上がった。隣の外人宿泊客のお叱りが無ければ、何時までも語り合っていたことであろう。

奈良井の朝はツバメのうるさいさえずりで5時に目を覚ましてしまった。七ちょめさん、孫右衛門さんとの早朝町並み散策。Kさんと西山さんは早朝スケッチ。全員、朝飯前に奈良井宿散策が完了してしまった。
平沢(長野県楢川村)
奈良井に程近い平沢を全員で歩く。町並みとしては古くはないが、木曾漆器の問屋街という活気がある。朝早かったからみんな眠そうで、平沢駅の構内ベンチに座って缶コーヒーを飲みながらいっぷくしたのが印象深い。
贄川(長野県楢川村)
木曾中山道最北の贄川宿。私個人としてはこれで東西の旧中山道紀行がつながり完結した。一人感慨を深く感じていたが、みんな町並み探索の方は手ごたえがなさそうだ。贄川宿は度重なる大火で古い町並みが残っていない。それでも、木曾中山道の宿場らしく水場があって、一角だけだが風情は感じられる。

予定の時間より早々に解散することになった。Kさんと西山さんは寝覚集落でスケッチ、七ちょめさんは三留野、大妻籠、大井宿を歩いて家路へ、孫右衛門さんと私は、中山道を北上しての町並みめぐりとなった。
午後2時の解散が予定を大幅に早まり午前10時半の解散。われわれ北上組は、まだ行けるまだ行けるという調子で、本山宿洗馬宿郷原宿小野宿下諏訪宿塩尻宿と精力的に歩いた。
夕刻5時に孫右衛門さんと別れたが、この時間に他のみんなは自宅に着いていたそうな。私は中央道で一気に帰りたかったが、渋滞時間を避けて甲府のほうとう屋で晩飯を食べて時間調整。旧中山道紀行の終結を一人祝っていた。