奈良井 | 木曾中山道 日本一の宿場町の町並み | |
長野県 楢川村 奈良井 交通 JR中央線 奈良井駅下車 国道19号線 奈良井 2004.05.30 |
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中山道は江戸〜京でとらえると69次。そのちょうど真ん中に位置するのが34番目の宿場、奈良井である。京方に本州の分水嶺でもある鳥居峠をひかえ、関所を有する木曽福島と並んで栄えた南北約1キロの宿場町。その建物は、その殆どが幕末から戦前にかけて建てられたものであり、宿場町の古い町並みとしては質・量ともに日本一といっていい。 奈良井宿は小刻みに変化する一本の通り(中山道)の両側に町家が200軒余建ち並ぶ。京方から上町、「鉤の手」と呼ばれる桝形を挟んで中町、桝形の跡と思われる土塁を挟んで下町と三町に区分されている。北端に八幡神社と奈良井駅、南端に鎮神社、東が奈良井川とJR中央線、西が寺社と山といった構成である。道幅は上町・下町が4〜5mであるのに対し、中町が5〜8mと広がっているのが特徴で、中町が本陣や問屋のあった町の中心地区であったためといわれている。この道幅の変化がより町並みをパースペクティブに見せ奥行き感を与えている。 奈良井の町並みには背後の山から引いた8箇所の水場があり、この水場を管理するため町も8つの水場組合に分かれている。水場は木曾中山道共通の設備であり、旅人に目を楽しませてくれるファニチュァになっている。 町家は道のうねりにあわせて雁行して建つ。1階の庇はそろうが2階の屋根は時代とともに高くなるのでそろっていない。そのため、「屋根の側面のラインが細やかに幾重にも重なる」というのが特徴的な町並み景観となっている。そして、背景には常に高い山の緑があるというのが谷の狭い木曽路ならではの風景である。 町家の屋根勾配は緩やかで2階床レベルが出っ張った出桁造りというのは木曽路共通の形態だが、奈良井は中でも特に軒の出が深い。さらに、奈良井ならではの特徴は1階庇として深い小屋根が付くことで、猿頭と呼ばれる出し材とそれをひねった金具が吊っている。 奈良井は、木曽路では妻籠宿につづいて昭和53年に重伝建地区に指定されたが、隣の平沢や薮原と同じく漆器や木工産業に従事する人々も多く、「寂れて残って今や観光地」という町並みとは違い、現在でも産業や生活が感じられる伝統的な町である。 |
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下町の町並み(上) 道幅、各家の間口ともに中町と比較して小さい。 下町の若狭屋(右) 雁行せず通りに沿って建つ木曾では珍しいケース。 |
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下町の町並み(上) 中町方向から江戸方を見る。道がまっすぐでないためアイストップには常に町並みあり、道幅が一定でないので常に変化が楽しめる。 |
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下町の水場(上) 必ず屋根がかかって、消火用のバケツが置いてある。 中町の景観(左・下) 下町方向から京方を見る。だんだん道幅が広くなるので実際よりも奥行きのある町並みに感じる。背後は越えなきゃならない鳥居峠。 |
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中町の伊勢屋(上・左) 中町あたりは山と奈良井川との間が広い土地で、町にも道幅にも奥行きがある。本陣は街道に直接面さず山側に入った位置にあった。本陣からまっすぐ伸びた道が街道と交差する場所が、道幅が一番広いところで越後屋の前が広場のように感じる場所となっている。このあたりには大きな旅籠や問屋の町家が集中している。 (左:七ちょめさん(大阪府)撮影) |
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中町の町並み(昭和50年代) 左に伊勢屋、右奥が越後屋。電柱撤去前で伊勢屋斜め前の薬局も修景されていない。逆に修景する前でもこのレベルの町並みが残っていたことがすばらしい。 上町の町並み(下) 猿頭の小屋根が連続してそろう。屋根はそろわない。これが奈良井の町並みの特徴。 |
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参考資料 | リンク 楢川村 参考文献 『図説 日本の町並み5 中部編』 太田博太郎他 第一法規 『歴史の町並み 関東・中部・北陸編』 保存修景計画研究会 NHKブックス 『歴史遺産 日本の町並み108選を歩く』 吉田桂二 講談社 『日本の美術287 民家と町並 関東・中部』 清水擴 至文堂 『民家巡礼 西日本編』 溝口歌子・小林昌人 相模書房 『日本の町並みV 関東・甲信越・東北・北海道』 西村幸夫監修 平凡社 |