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天界の村を歩く |
第4話 四国山地東部 |
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東の空がうっすら明るくなり始めている高知市街。道路はガラガラ。高知は戦災復興した町なので縦横の道路が広く、いちいち信号に引っかかる。これから四国山地東部の山岳集落を一つでも多く歩いて高松空港で羽田行き最終便に乗らなければならない。出だしから気持ちが焦っている。
吉野川の上流域の本流支流は四国山地に深い谷を刻み込んでいる。その谷の両側には山上に形成された山岳集落「天界の村」がたくさんあり、わが国最大の密集地域となっている。このエリアは、1988年、1995年と2回訪れているが、まだその3割も見ていないだろう。今回は残りを巡ることに力を注ぐのではなく、今まで行った中から良かったものを再訪することにした。
高知自動車道はトンネルと橋で尾根や谷を一跨ぎ。あっという間に四国山地の真っ只中にある高知県大豊町に着いた。高速道路が無く熱にうなされながら国道を走った19年前とは大違いである。 |
吉野川支流の南小川谷 柚木集落から対岸の西峰集落を臨む(高知県大豊町) |
吉野川の上流域 高知県大豊村
徳島県を横断して流れる吉野川の上流は、大歩危小歩危と呼ばれる峡谷を経て高知県に入る。四国山地の山岳集落といえば徳島県が有名だが、高知県大豊町の吉野川本流域と支流南小川の谷にも多く見られる。国道32号線(徳島北街道)豊中より分岐する国道439号線は南小川谷の地形に丁寧に従った道幅の狭い谷底の道である。谷の両側の山を見上げれば、斜面中腹の高いところに集落が形成されている。日出時刻は過ぎているもののまだまだ暗い。山岳集落は夜明けが遅いのである。
国道をはずれ南小川の南岸に渡って斜面を上ると11年前に訪ねた柚木集落がある。上り詰めて斜度が緩やかになると棚田が広がった。棚田の水面は鏡のようにだんだん明るくなる空を映している。クルマを降り対岸の山をじっと眺めていたら朝陽が差し込んできた。太陽が昇るに従って山の影がどんどん短くなっていく。
柚木集落には、四国の集落の特徴といえる主屋と隠居屋が並ぶ農家が点在していた。朝陽を浴びている谷の対岸の西峰地区には、いくつかの集落が斜面の中腹に連続している。
柚木から谷に下り、今度は西峰地区に上って柚木集落を眺望する。さっき立っていた棚田の広がりはとても美しいものだった。
国道439号線を上流に向かって走る。やがて道は谷底から離れヘアピンカーブを繰り返す。頂上には高知徳島県境である京柱峠がある。その峠に立ち、今訪ねてきた南小川谷を振り返るように展望した。両側の山の斜面には、山岳集落がズラッと視野の奥まで続いていた。
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水田が鏡のようにあたりの民家を映している |
柚木集落から西峰集落を見る |
京柱峠から南小川谷の集落群を展望する |
落人伝説の里 秘境祖谷
京柱峠を越えると徳島県祖谷である。観光名所は「かずら橋」というツル性植物を編んで造った吊橋であるが、この一帯こそ「天界の村」密集地域のコアだ。
東祖谷村阿佐地区は集落としては大きくは無いが平家の落人の子孫と伝えられる「阿佐家住宅」がある。真ん中に玄関がある左右対称のお寺のような風変わりな民家である。右の写真は11年前のもの。現在は茅葺屋根にトタンカバーがなされていた。
祖谷は東祖谷山村と西祖谷山村からなる。西祖谷山村から旧池田町(三好市)にかけての山岳集落は1995年に歩いている。旧池田町川崎は土讃本線の祖谷口という駅の近くにある吉野川本流に面する大きな集落。祖谷川を遡ると祖谷渓があり有名な「かずら橋」は川の北岸の街道から南岸の今久保集落へ渡るための吊橋だった。今久保集落に上って対岸の斜面を見ろと南に突き出した日当たりのよい凸状の斜面に大きな善徳集落が一望できる。東祖谷山村に入って釣井集落には祖谷で最も古い民家「木村家住宅」が残る。さらに上流に行くと大枝地区があり、これらが祖谷の見るべき「天界の村」といえよう。
何れの集落も日当たりのよい緩斜面上であることが条件のため祖谷川の北岸に多い。 |
平家の子孫と伝えられる阿佐家 |
今久保のかずら橋 |
釣井の民家 主屋と隠居屋がセットになっている |
1995年に撮影した落合集落(東祖谷山村) 台風が近づいている怪しげな天候だった |
美しい天界の村 東祖谷山村落合
1988年の時は風邪をひいて祖谷を満足に見られなかったので、1995年に祖谷の山岳集落を地形図片手に総ざらいした。そのとき、集落景観としての美しさに魅せられたのが落合である。上の画像は1995年に向かえの中上地区より撮影した落合集落である。台風が近づいていたので雲行きが怪しく、雲の狭間からの光がちょうど集落を照らした。
今回、まったく同じ場所に立って集落を眺めた。茅葺屋根にトタンがかぶされたりトタン屋根の色が変わったりしているが、今では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、だんだんと茅葺屋根に戻されていくのだろう。屋敷は主屋・隠居屋・倉庫・納屋などが等高線に沿って一列に並ぶ、山岳集落共通の構えである。主屋の屋根が寄棟なのが四国山地の特徴だ。落合は何度訪れても美しい集落だと改めて思った。
谷に下り国道439号線を剣山の方向へ進む。途中、久保という場所に街道沿いに建っている旅館建築のようなものがあった。険しい山越えながら阿波と土佐を結ぶ重要な街道であったことが伺える。
名頃集落を過ぎると峠越えである。四国山地で石鎚山(1982m)に次いで高い剣山(1955m)には雲ひとつかかっていない。見ノ越は東祖谷山村、一宇村、木屋平村の3村からの街道が集まっている峠。今日は西から東の木屋平村へ抜ける。 |
等高線に沿って家々が並ぶ落合集落 |
阿波と土佐を結ぶ旧街道沿いに立つ旅館建築 |
剣山1955m 1988年撮影 |
剣山を越えて
徳島県木屋平村へ
四国山地東部の山岳集落(山の上の集落)はどのエリアに分布しているのであろうか。剣山周辺の祖谷や一宇は知られているが、その周りはどうか。1/25000地形図をもとにくまなく調べてみた。すると面白いことに吉野川流域にしか見られないようである。剣山の南側の木頭村や木沢村は那珂川流域で同じように山深いのであるが地形図からは確認できないし、高知県物部川流域の物部村もそうである。従って、天界の村が分布しているのは、旧市町村名で言うと西祖谷山村、東祖谷山村、一宇村、木屋平村、池田町、山城町、井川町、三加茂町、半田町、穴吹町、高知県大豊町あたりということになる。
今回は以上のエリアのうち、いままで歩いていない木屋平村を歩こうと思う。剣山麓の見ノ越から東の穴吹川の谷へ下る道は、舗装こそされているものの山岳林道の雰囲気満点で、聳え立つ剣山が大迫力である。下り切ると割りと平坦な道となり谷は広い。
木屋平村の山岳集落は祖谷のように大規模なものはない。あらかじめ地形図で絞り込んできた森遠という集落を訪ねる。集落に上ると見晴らしは良く、遠くに剣山が眺められた。
国道439号線は木屋平村の中心である川井で穴吹に向かう街道と徳島市に向かう街道とに分岐する。川井の町を通過しようとしたらなかなか趣のありそうな町ではないか。山岳地域の中の町といった風情に魅かれ、予定には無いが町を歩いてみた。家々は大したことは無いのだが、板壁の町並みと背景の山に集落が見られ、その組み合わせが面白いと感じた。
街道の分岐から穴吹川を下る。流域にも天界の村は見られるが小規模のため下から眺めるだけにする。
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見ノ越から穴吹川の谷を見る |
森遠で見かけた森の中の家 |
木屋平村の中心 街道の分起点でもある川井 |
わが国最大級の山岳集落のある村
徳島県一宇村
木屋平村からいったん平野部の貞光まで出てから再び一宇の山に入る。貞光は「四国東逆巡礼」で訪れた袖卯建の町並みである。貞光の町並みを通って一宇に向かう。
一宇村は祖谷に負けず劣らずの山岳集落の村だ。吉野川の支流一宇川が南から北へ流れており、谷の東西両側斜面に集落が形成されている。1988年に初めて訪れたときは3月で粉雪が舞っていた。各所を調査した結果、一宇村で最も印象に残る集落は2つであった。
一つは最奥にある桑平。この集落を過ぎると人家はなくなり剣山見ノ越へ向かって道路は上っていく。桑平のいいところは、各戸に道路が付いていないことである。したがって集落景観が壊されていない。斜面上に石垣を積んで屋敷地が造成され、寄棟屋根の民家が点在している。
そしてもう一つが、山一つを集落にしている大宗・赤松だ。 |
見ノ越から眺めた一宇村 大きな集落は大宗赤松 |
一宇村桑平集落 車道が接道しない集落 |
一宇村 大宗・赤松集落 おそらくわが国最大の山岳集落であろう
谷底のやや日陰に家並みが見えるがそこが古見地区である |
わが国最大級の山岳集落のある村
徳島県一宇村
一宇村の中心である古見の町の背後に屏風のように立つ集落が大宗・赤松である。四国東部の山岳集落はその規模において全国でも大きいほうである。その中でも大宗・赤松集落はひと際大きいので、おそらく日本一大きな山岳集落といって間違いないだろう。1988年、初めてこの集落を眺めたとき、その規模の大きさに圧倒された。
古見の町を抜けて赤松地区へ上る。大きくS字カーブをして集落の前を抜けてまたS字カーブと繰り返しながらどんどん高度を上げていく。上段の大宗地区に上ると茅葺屋根の民家も廃屋ながら残っていた。そして最上部から南を見ると深い谷の果てに剣山がある。谷が深いせいか、同じような高さに感じられた。
山を下り谷の対岸の集落に上る。19年の時を経てまた同じ場所に立った。じっと大宗・赤松集落の全容を眺めていたらあの時の感動が蘇ってきた。つくづく思う、何と素晴らしい天界の村の風景なのだろう。 |
大宗地区の民家 |
大宗地区から剣山を臨む |
大宗・赤松集落の全体を眺めて感動していた場所のすぐ後ろには一軒の家がある。この家の人はこの風景を日常的に眺めて暮らしている。「天界の村」に住まう感覚とはいったいどんなものなのだろうか。対岸の集落の家とはいつも見る見られるの関係にありながら近所でもないので基本的には付き合いが無いと思われる。しかしどうだろう、もしかしてこの感覚は都会のマンション同志と同じなのかもしれない。
天界の村シリーズの次回は九州山地をお送りする予定である。 |