四国東逆巡礼

2005年1月に香川県→高知県→室戸岬→徳島県と四国東半分の外周を反時計回りに一周した。しかし、日の短い真冬だったので慌てたせいか、見落としミスが目立った旅でもあった。今回は日の長い夏、前回とは全く逆周りで取りこぼしを拾う旅である。
梅田発徳島行きの高速バスは阪急梅田駅の直下から出発する。ここは大阪始発の長距離バスの総合ターミナル。約10分おきに東や西へ長距離バスが出発しているバス乗り場で、独特な空気が漂っている。21:50発徳島行きは時刻どおりに発車した。阪神高速から明石大橋、淡路島、鳴門大橋を経て徳島駅前には0:25に到着する。車窓の明かりを眺めていたら三ノ宮あたりで居眠りをし、目が覚めたら窓の外は真っ暗であった。どうやら淡路島を走っている。しばらくしたら鳴門大橋で四国に入り高速から一般道に下りた。徳島市街の手前のバス停に止まると何人かの客が降りた。回りは大駐車場である。このバス停に車を置いて大阪方面に出かける人が多いようだ。
 
翌朝、宿泊した徳島市街を歩くことからスタートする。「戦災都市地図」によれば徳島は戦災でほぼ全焼した都市である。かろうじて眉山の麓にある寺町が焼け残ったかに見える。
駅前から眉山ロープウエイの乗り場がある阿波踊り会館まで歩く。戦災復興の町らしく道幅が広くさわやかな朝だ。古い町並みなど全く有りそうには無い。阿波踊り会館のところから寺町が始まるが、お寺も含めて古いものは殆ど無い。徳島は完全に戦災で焼けた町のようだ。
撫養(徳島県鳴門市)
四国の東の玄関、鳴門市の旧市街撫養に行く。旧撫養街道はJR鳴門線に沿って右に左にうねりながら鳴門市街に入っていく。その沿道にも古い町並みが見られる。南浜付近は道路が拡幅されて鳴門市街の商業中心である。さらに東へ進み、鳴門線の踏切と撫養川を渡るところから道幅は再び狭くなり古い町並みが再開する。通りの前方には妙見山があって町を見下ろしている。
旧撫養街道沿いは見所が点在しているため、車を頻繁にとめながら町並みを歩くこととなった。
高島(徳島県鳴門市)
うずしおで有名な鳴門海峡を渡る鳴門大橋の四国側は大毛島という島である。島の西側のウチノ湾岸は赤穂と並ぶ塩田のメッカだったところ。湾に近いところに重要文化財の塩田農家が保存されている。その近くにある高島は塩田で働く人たちの住んでいた集落である。集落内には切石積みの塀で囲まれた屋敷が目立つが、防風と放牧していた馬の侵入を防ぐためだといわれる。石垣と木質の組み合わせが美しい町並みであった。
伊座利(徳島県美波町)
さて、ここからが1年前の取りこぼしを拾う行程となる。国道55号線をひたすら南下する。昨年、狭隘な一本路地を特徴とする漁村集落「椿泊」を訪れたが、同じ半島の南側の伊座利集落が今日の目的地である。地形の厳しい隔絶性の高い漁村で、例によって落人伝説もある集落だ。「イザリ」は漁(いさり)を語源とすると言われ、山と海に挟まれた中に人家の明かりがポツリといった場所だ。海からの強風を防ぐための石垣が高く積み上げられた板壁の民家が寄り添っている。その景観は文献そのものであったが、住んでいる気配が感じられない家が殆どであった。
白浜(高知県東洋町)
海岸の険しい地形に従って小刻みにカーブする県道を走って行く。前方に視界が開けウミガメの産卵で有名な日和佐の大浜海岸を見下ろす。いくらウミガメで有名でも町並みが無ければ車は止まらない。再び国道55号線に戻り南下する。高知県に入って去年も来た甲浦である。港付近は昨年歩いたが白浜地区をやり過ごしてしまった。「ブッチョウ」と呼ばれる可動式の板戸が残っている珍しい町並みだ。直線的であまり面白く無い町並みであったが、雑誌に紹介されていては歩かないわけにいかない。
高岡(高知県室戸市)
今日は町並みを歩くより移動に時間を要している。効率があるけれど自分の蒔いた種である。
いよいよ室戸岬に近づいてきた。太平洋に突き出す室戸岬の東西両側にはそれぞれに防風石垣塀の集落がある。高岡は岬の東側で、台風常襲地域らしくとてつもなく高い石垣やコンクリート塀が国道に沿って並んでいる。塀の奥の主屋は見えず、塀の写真しか撮れない。この集落、作業小屋のようなものは全て港近くに集める形態をとっていた。
行当(高知県室戸市)
ずっと南下してきて室戸岬で180度折り返し、今度は西海岸を北上する。岬の西側の防風石垣の集落である行当に入る。国道は海岸線を走っているが旧道は集落内を通っている。防風石垣はこの旧道沿いに面して見られた。近年取り壊しが進んだのであろうか、あまり連続性は保たれていない。
津呂(鳥取県羽合町)
室戸岬町は町村合併で隣の室戸市になった。津呂は室戸岬町の中心だった漁業の町である。今回歩く予定の無い町だったが、バイパスから見える特異な景観に魅かれた。室戸市の中心室津の漁港もそうだったが、ここ津呂港の舟溜りは町から極端に低い。これは台風の常襲地域ならではのもので、高潮に備えているからである。町には多段水切り庇の民家が見られる。
奈半利(高知県奈半利町)
土佐湾を見下ろすリゾートホテル。このホテルチェーンの会員になっているので、必要も無く広い和室を独り占めして宿泊した。5:00に出発したいというのにフロントには誰も居ない。チェックアウトにてこずって出だしが遅れてしまった。リゾートホテルを朝5:00にチェックアウトする客など想定していないのであろう。
奈半利は木材の集散地として栄えた町。土佐ならではの水切り庇の民家がたくさん見られる。さらに興味深いのが丸石を積み上げた石塀。職人の工夫が凝らされた様々な意匠は、現代建築デザインにも生かすことができそうだ。しめしめ、我がデザインソースに加えることとしよう。
安芸(高知県安芸市)
安芸市といえば、プロ野球のキャンプ地と土居廊中の野良時計が有名だが、町場の本町に古い町並みは無いものかと探索してみた。たくさん残っているわけではないが、土佐名物の水切り庇の漆喰系町家が見られる。特に通りを挟んで並んでいる場所があり、その好印象によってデータベースに加わることとなった。水切り庇の民家は平側の正面よりも庇の付く妻側側面の方が見ごたえがある。
土居(高知県安芸市)
野良時計で有名な町並み観光地の土居廊中。かつて訪れたのはかれこれ20年近く前のことである。大学院を卒業して社会人になろうという3月に四国から九州にかけて旅したときに歩いた。野良時計はその頃から有名ではあったが、田園の中にひっそりと建っていて思ったより小さかったと感じた。20年ぶりに訪れたら、野良時計の前になんと広い道路が横切っている。何もここに通さなくてもいいではないか。写真を撮ろうとしたら、案の定観光客が野良時計の真ん前に車を停めやがった。発する言葉も無い。
赤岡(高知県香南市)
赤岡は土佐湾に面した砂丘上に形成された町である。旧市街の中で旧街道が直角に折れる所に僅かながら古い町並みが残っている。町を歩いていると「絵金蔵」の表示が溢れている。なんのこっちゃと調べてみたら、
絵師金蔵、略して絵金。もとは土佐藩家老桐間家の御用を勤める狩野派の絵師でしたが、贋作事件に巻き込まれ、城下追放となります。野に下った絵金は叔母を頼りにこの赤岡の町に定住し、酒蔵をアトリエに絵を描きました。」
とか・・・・・?
池田(徳島県池田町)
高知自動車道で再び徳島県の内陸部に戻る。これから吉野川沿いの「三大袖卯建の町並み」を歩くこととしよう。最初の町は阿波池田。池田は刻み煙草の生産で栄えた町で、重厚な袖卯建の町並みが見られる。脇町は国の重伝建に指定されているが、池田も負けず劣らずの町並みである。観光地化されておらず生きた自然の町並みであるところがいい。じっくり時間をかけて歩きたい町並みである。
貞光(徳島県つるぎ町)
袖うだつの町並み第二弾は貞光。立派な袖卯建の家が並ぶが、中には高さの高い2段構えの卯建も見られ迫力がある。町並みの街道は剣山のふところにある一宇村・祖谷山に通じるもので、町並みの背景は山の天辺に家々が建つ「天界の村」だ。山の上にある農村と平野の町、このコントラストこそ徳島県の代表的な町並み景観といえよう。
(徳島県美馬市)
20年ぶりに訪れた脇町は、袖うだつの町並み第三弾。脇町は早くから国の重伝建に指定されており、民家の外装の復原もかなり進んでいる。記憶にある脇町は袖卯建が傾いたり土壁の漆喰が剥げ落ちたりしたもので、先ほど歩いた阿波池田のように自然体の町並みである。今見る脇町の町並みは記憶の脇町とはどうしても場所としか思えない。唯一、記憶と現実をつないでくれるものは、赤いトタンの三角屋根をあげた付属屋をもつ民家の存在であった。
この旅の最後に吉野川を下り藍の生産で栄えた農村集落である「藍住」「藍畑」を訪れた。しかし、写真で見たことの有る目的の民家が探せど見つからない。徳島空港へ向かうリミットの時間が迫っている。とうとう諦め空港に向かうことにした。また取りこぼしをしてしまった。