2010.09.11出発数日前
来週は今年最大の旅です。夏休み。
水曜日の夜に新千歳空港へ飛び、札幌から夜行バス(宗谷バスはまなす号)で稚内へ。翌木曜日の朝には礼文島香深港に降り立っています。そこから3泊4日で、礼文島、利尻島、南下して日本海に浮かぶ天売島、焼尻島の漁村を歩くという超ハード計画がはじまります。4日間で離れた4島の集落をすべて回れるというのも絶妙な計画のなせる技で、何通りも検討した中のベストプランです。したがって、バスでも船でも一つ遅れれば、簡単に計画は狂い一つの島に渡れなくなってしまう。どうか船が遅れませんように!
<画像は27年前の礼文島、ニシン御殿を活用した桃岩ユースホステル(YH)>
|
|
2010.09.15 札幌大通公園
札幌大通公園バスセンター23:00。深夜バスにのって最北の町稚内へ向かいます。ところで、バスの乗客は七割が外国人。なんで?
社内は快適そうにみえる3列リクライニングシートだ。けど眠れるかなぁ。
発車して30分。辺りは石狩川の河口の平野。さすが北海道、人家が少なく真っ暗です。どうやら日本海岸を北上するようです。
|
宗谷バス 札幌大通公園バスターミナル |
2010.09.16 礼文島香深港
羽田から12時間強!稚内からハートランドフェリーで礼文島香深港にやっと着いたぞ!
おお、いたいた奴らが!桃岩荘YHの連中だ。ユース全盛時代には全国に名をはせたキ〇ガイユースの一つ。客を送るときに大声で「遠い世界に」を歌うのです。27年前と何にもかわっとらんなぁ。懐かしさで涙ぐんでしまった。
さぁ、青春の思い出に浸ってるヒマはない。おやじになった万訪が、最北のスコトン集落から礼文を攻めるぞ!
|
礼文島香深港 |
2010.09.16 礼文島鮑古丹
島をバイクで走るのって超きもちいい!でも風ツエーって。
礼文島の北半分から攻めています。礼文島の漁村集落は北海道らしく石のごろごろした浜辺に直接家が一列に建っていて、海側に舟屋が陸側に母屋という配列です。民家は下見板張りのシンプルなもので、玄関あたりにやや装飾が見られます。トタンで覆われたものもあり、錆びた風情もまたよろし。そしてそして、その集落の一部には北海道日本海側ならではのニシン御殿があったりします。
礼文島は東海岸に道があって集落も多い。しかし、今回初めて知ったのですが、西海岸にも割とあって風景が素晴らしいのです。西海岸の集落は互いに車道でつながっていないので、東海岸沿いの道で縦移動してから横にからアプローチしないとなりません。
右上画像は最北のスコトン岬のすぐ南西海岸にある鮑古丹(アワビコタン)。ものすごい強風のなかの小さな小さな集落でした。
|
礼文島鮑古丹(アワビコタン) |
礼文島須古頓(スコトン) |
2010.09.16 礼文島船泊
礼文島船泊港近くの集落で見かけた古そうな家。これが母屋で道を挟んで一軒ごとに自分の家の前に舟をつける場所と舟屋(漁業関係の作業場兼倉庫)があります。カラフルなトタンとグレーになった木壁がいい。
|
礼文島船泊大備 |
2010.09.16 礼文島知床
礼文島最南の集落、知床。ここは比較的集落規模が大きく、古い家もよく残ってる。荒波が迫る場所なので防波堤があって、船溜が四五軒毎ぐらいに等間隔で離れて造られているのが珍しい。
ちょうど干した昆布の取り込みをされていましたので撮影をさせていただきました。礼文満喫です。
|
礼文島知床 |
2010.09.16 礼文島元地
礼文島の西海岸は地形が険しい(山が海に落ちる地形)にも関わらず所々に集落があります。そしてニシン番屋が残ってる。つまり、住むには適さないがニシン漁に適した立地ということでしょう。その一つ、元地は今回一番見たかった場所でもあります。
期待を裏切らない素晴らしい集落でした。絶景の自然と人工物とが織り成す漁村の集落景観としてはわが国の中で十に入るでしょう。何故このような斜面の上まで家を建てたのか。そうです、ここは鰊漁の最適所だったのです。感動しました。
|
礼文島元地 |
礼文島元地 |
2010.09.16 礼文島桃岩荘YH
これが桃岩荘YHです。元地のハズレにある元鰊御殿。建て変わってやせんかと確認してきました。外装と内部の一部を改修されて綺麗になっていたものの健在!
起床は今でも石狩挽歌がフルボリュームで流れているそうです。こんどまた泊まってみようかなぁ。
今しらべていて驚いたのが、27年前、桃岩荘YHと向こうを張ってた礼文YH、利尻オシドマリYHはなくなっており、北海道3大YHと呼ばれていた内、知床岩尾別YHは残っているけど、えりも岬YHは今では民宿とのこと。ユースホステルってほんとなくなっちゃったんですね。礼文香深港で桃岩荘のヘルパー達が27年前とまったく同じように歌って踊って見送ってたけど、あえて頑なに守ってる姿だったんですね。
いやー時代って変わるんだなぁと改めて思う。今の若いヘルパーさんと話しをしてて、「27年前に来ました」と言ったら、「ちょうど全盛期の頃ですね」としみじみ言われた。彼も27年前のヘルパー長と同じ格好(カーボーイハット)してたんで記憶の人とダブってたけど、彼は全盛期を見てないんだなぁ。ほんと、あれはすごかったですよ。
ユースに着いたら大声でただいまぁ、ユース前で夕日を見ながら吉田拓郎の落陽をみんなで熱唱、夜のミーティングでのばかさわぎ、朝5:00にフルボリュームで流れる北原ミレイの石狩挽歌、愛とロマンの8時間コース(礼文島西海岸縦走)、ユース内では厳しい規律、そして港でお見送りの歌と踊り。。。
すべてが当時のままに継承されている。ヘルパーさんは変わっているわけですから容易いことではないですね。素晴らしい!
|
元地のはずれにあるYH桃岩荘 |
桃岩荘へ向かう道から桃岩を眺める |
YH桃岩荘 |
2010.09.17 利尻島鷲泊
二つめの島、利尻島スタート。今日も快晴だ!
そうなんですよ。昨日も民宿に泊まってた一人旅の若者と語らったりして。この地へ来ると学生時代へトリップしてしまいます。
|
利尻島鷲泊港からみた利尻富士 |
2010.09.17 利尻島本泊
本泊は礼文島を眺める集落。利尻岳の裾野上にあるため海辺の岩は溶岩です。ごろごろとした溶岩の浜辺に舟を引っ張り上げるために緩やかな斜面を作って舟屋が並んでいる。背後はとおくに利尻富士がそびえていました。万訪発見の掘り出し物だ!
|
見つけた!感動!本泊集落 |
2010.09.17 利尻島沓形
利尻島最大の町沓形。港に近づくとこの島には似つかわしくない巨大な客船がいるじゃありませんか。でかいでかい!にっぽん丸と書いてありました。商船三井の豪華客船だとか。日本一周かなにかの長期クルージングで停泊してるんでしょうか。
|
利尻島沓形港に停泊していた「にっぽん丸」 |
2010.09.17 利尻島仙法志
円形の利尻島を時計に例えて12時の方向を北とすると6時半に位置するのが仙法志(センポウシ)。利尻島にあった旧村の一つです。切妻妻入りのリズミカルな景観の町で、丘の上には板壁の揃った町並みがありました。背後には海と利尻山。
資料館に町の古地図と昭和初期の写真が展示されてましたが、昔は賑わってたんですね。
|
利尻島仙法志 |
2010.09.17 利尻島オタトマリ沼
利尻島の南、沼浦にあるオタトマリ沼。観光地らしく駐車場と二軒の土産物屋がありました。昼飯に観光地価格で少々お高いですがウニ丼を食べました。でも、ウニの量が多すぎてちょっと気持ちわるい。。。
バイクばっかり乗ってて健康ウォーキングの歩数が延びない。よーし、沼を一周歩こう。この沼越しに見る利尻富士は圧巻です。
|
利尻島オタトマリ沼でウニ丼 |
2010.09.17 利尻島鬼脇
利尻島の東南にある比較的大きな町。かつて漁業とともに水産加工業が盛んだったらしく、古い缶詰工場みたいなのが多く残っていました。フェリーまでの時間がたっぷりあるのでとてもゆっくり歩きました。
利尻島を反時計回りに一周した。二時間余った、なにしよ。まずは姫沼の周りをウォーキングで二周。その後、鷲泊近くの共同温泉で汗を流しました。
|
利尻島鬼脇 |
2010.09.17 稚内駅→幌延駅
フェリーが稚内港に到着した時は、もうすっかり暗くなっていました。
日本最北端の駅、稚内駅。27年前、ここからフェリーターミナルへ走ったことを思い出します。駅舎は以前のままでしたが、建て替え工事直前で、駅から北へ延びて終わっていた最北端の線路は剥ぎ取られていました。かつては札幌への寝台急行列車も走っていましたが、いまでは稚内発19:24幌延行きが終電車です。小さなホームに一両の気動車がぽつんと客を待っていました。そして私一人を載せて走り出した。あーなんと寂しいんだ。ところが、南稚内からどっと乗ってきて車内の雰囲気はがらんと変わった。街の中心が南稚内に近いのかな。今晩の宿がある幌延まで一時間です。
幌延駅下りたら待合室に学生がたむろってた。なんとストーブに火が入ってあたってるじゃありませんか。東京では猛暑の9月中旬だぞ。たしかに寒いけど、さすが道北だぁ。
|
宗谷本線稚内駅 |
宗谷本線幌延駅 |
2010.09.18 焼尻島焼尻港
道北はかつては北海道観光の目玉の一つでしたが、交通利便性が悪すぎるので、今や取り残されているかんがあります。でも古きよき北海道が見られる場所でもあり。
幌延駅発6:30の沿岸バスは予定通りきました。季節運航とか土日運休とかあるので心配してましたが問題無し。羽幌での乗り換えも間に合った。
ホッとしたのはつかの間、羽幌から焼尻島へ渡る小型フェリーが揺れる揺れる、ものすごいのです。普段酔わない私でもかなりきつかった。フーッ、でも着いたぞ!焼尻島。三つ目の島巡りの開始だ。
|
羽幌→焼尻 フェリー内部 |
焼尻港到着 |
2010.09.18 焼尻島焼尻東浜
船から下りた親子が船酔いしてしばらく動けず、待合室で休んでる。かわいそう。
焼尻島(やぎしり)には、東浜と西浦という二つの集落があります。本土からの入植者は、羽幌より天売焼尻両島のほうが早かったらしい。その証拠に、東浜集落にはニシン漁で財を成した明治年25築の旧小納家が残っています。一見、ニシン番屋に見えますが、ここは居宅でヤン衆達が寝泊まりする番屋は別にあったそうです。小納家は明治期に石川県塩屋から移った家。いやーすごい!離島の民家とは思えない家でした。九谷焼の便器やら千本格子の欄間やら、見応えありました。
|
焼尻島東浜 |
旧小納家住宅内部 |
2010.09.18 焼尻島焼尻西浦
焼尻島を反時計周りに歩いて一周します。西浦集落は島の北西にあって、集落は海岸より離れた丘の上にダラーとしまりなく家家が間隔を開けて並んでいます。潮騒の音が聞こえなければ、嬬恋村みたいな高原の集落のようです。
風が吹き抜けるので、古い家は板垣の防風囲いにしっかりまもられていました。しかし寒いなぁ。
|
焼尻島西浦 |
2010.09.18 焼尻島鷹ノ巣
天売島がすぐ近くに、そして遠くに昨日歩いた利尻島がうっすら見えていました。
|
焼尻島鷹ノ巣から天売島を眺める |
2010.09.18 天売島天売富磯
北の四島の旅、最後の島、天売島に無事予定通り渡ることが出来ました。海は今日から冬モードだそうで荒れ放題でしたが遅れたり欠航したりは免れました。よかったよかった。それにしても焼尻→天売も揺れた。ジェットコースターに乗ってるようでした。
陽が傾き始めていますが、明日は10:25の船で離れるので、今日のうちに集落の半分を歩いておきたい。弁天から和浦まで3km延々と続く集落の西側を歩きました。広い道路に等間隔に家が並ぶ、北海道らしい単調な町並み。しかし、郵便局が見えてから伝統様式の家が現れ始めました。それがなかなか面白い。
詳しくは明日レポするとして、まずはこの右下写真の家、なんでしょう。旅館のように見えるけど一階建てだし何だろう。これで二階建てなら遊郭建築っぽいのですが。民宿の女将さんに聞いたら、かつてニシン番屋だった建物だと言われました。
|
天売島和浦 |
天売島富磯 旧ニシン番屋 |
2010.09.18 天売島天売前浜
最後の宿は天売島の民宿栄丸。インターネットで良さそうなところを調べて予約したけど大当りだった。船に乗ってた若い人達もこの宿でした。目玉は海鮮バーベキューで、若い人たちはそっちを選んだようでしたが、外は寒いのでおじさんは部屋食にしました。海の幸満載で焼ウニをサービスしてくれた。シーズンずれてるといいことあるねぇ。
|
天売島民宿栄丸での夕食 |
2010.09.19 天売島天売和浦
今朝はまず民宿でチャリンコ借りてフェリーターミナルのある弁天地区を歩きました。他の集落がすべて段丘の上なのにここだけ下。おそらく港と漁業関連施設だけだったところに旅館などが建ち並んだものと思われます。
昨夕歩いた段丘上の前浜地区を順光のもとで再取材。画像は店蔵の建物。この周辺に伝統様式の民家が並んで見られます。ニシン番屋もこの近くです。
|
天売島和浦の店蔵 |
2010.09.19 天売島天売相影
ながーい一本道集落のここが一番端っこ。防風の木柵がすごく美しい家がありました。板の長さ、控え柱、屋根との関係、補修後などバランスがいい。
よーし!ここからチャリで島一周だ!いやいやもう余力はございません。そそくさと宿に戻り、朝飯食って船が出るまで部屋でのんびりです。
天売港から最後の船に乗ります。民宿の女将に揺れないのは船底だと聞き、外が見えない船底二等に早くも寝転がっています。隣の90歳近くとおもわしき地元おばあちゃんと二人きりです。彼女はビニール袋を用意しました。乗り慣れているはずの人でもきついのか、不安。
さあ、船が出港します。北の島達よ、さらばじゃ。そしてありがとう。
|
天売島相影の木柵の家 |
羽幌→札幌 国道から焼尻島天売島に別れ |
2010.09.19 札幌ススキノ
羽幌でのバスへの乗り換えが順調で、札幌へは予定より一本早く到着しました。時間余っちゃった、どうしよう。まだ取材していない薄野遊郭跡と白石遊郭跡でも取材しようか。薄野はご存知現役の遊里「すすきの」でして、この時間の写真はとても撮れません。あたりは薄暗くなってきたし白石遊郭跡へ足を運ぶ気力はもうない。有名なニッカのネオンビルの対面にあるデパートに入り、エステでマッサージしてもらうことにしました。そして北海道といえば必ず一回は食べねばならぬジンギスカンだ!と店に行ったらどこも満席と長時間待ち。三連休で札幌は道内外の観光客であふれかえってた。人混みはきらいだぁ。。。と、毎度の如く、空港の松尾ジンギスカンでひとり打ち上げをして帰ろう。
日本最北4島の主要な集落を4泊4日で巡る強行軍な旅。すべての予定が計画通り、天候も危うい場面もありましたが概ね良好。集落の取材、宿の善し悪しと味覚、人とのふれあい。どれをとっても上手くいきました。心残りは一点、天売島だけ島を一周できなかったことでしょうか。
みなさん、長らく応援ありがとうございました。おつかれさま〜乾杯!
|
札幌ススキノ |
新千歳空港で一人打ち上げ |