南九州W 日南〜大隈半島 (2003.04.24〜25) 

高岡の町でレンタカーのタイヤのパンクが発覚。前日、西米良村の狭上稲荷に行く途中のダート路でパンクしたものだろうか。都城市内で修理した後、飫肥街道を海に向かって山を越えた。いよいよ終盤の日南地方と大隈半島探訪にとりかかる。

飫肥
今回の旅で、甑島のつぎにどうしても行きたかったのが飫肥である。日南地方は過去2回訪れているが、鉄道だったため飫肥まで足を伸ばす事が出来ないでいた。期待通りのすばらしい町だった。
飫肥の町は、北から延びる鰐塚山地の末端部に押し出されるように酒谷川が南を下にしてUの字を描いた内側に形成されている。北側は山地の麓の高台で、その上に城と田ノ上八幡神社がある。城下町として、自然の地形を見事に利用している。城の大手門と田ノ上八幡神社から南下する2本の南北通りと、町の中央を横切る本町通りと並行する県道という2本の東西通りを基軸にした整然とした町割りである。
武家屋敷の町並みは、城の東側の十文字地区が最も残っているが、大手門下の大手地区、国道沿いの本町の南側にあたる前島地区もグレードの高い町並みが見られた。本町地区の商家は残念ながら道路拡幅によってかつての町並みは残っていない。


大手門から大手通りを見下ろす。

十文字地区の武家屋敷の町並み。

十文字地区にある旧藩校振徳堂。

本町の商家のうち保存された商家資料館。

大手地区の東端にある洋館 旧飯田病院

前島地区は下級武士や藩御用職人の屋敷町。写真は藩医屋敷の梅村家。
 

油津
油津は、藩政時代は飫肥杉の
積出港として栄え、現在でも日南海岸では第一の漁港・商港である。堀川橋や石積の護岸を今に残し、ゆっったりと流れる堀川運河とその東側に残る賑わいし頃の旧港町の遺構が見所である。なんとも良い感じの堀川橋を中心とした港町の佇まいからは、大正から昭和初期にマグロ景気で繁栄した近代の港町を感じることができる。

杉村金物店は明治から続く商家であるが、現店舗は昭和7年に店舗兼住宅として建てられた銅版貼り外装の木造3階建て建築。大正から昭和初期にかけてのマグロ景気で油津がたいそう繁栄したことを物語る。(登録有形文化財)
前面が国道で、大型トラックが頻繁に行き交うため、落ち着いて眺めながら歩けないのが少々残念であった。

大正10年に河野家の倉庫として建てられた赤レンガ倉庫。左手奥は杉村金物店で同じく3階建ての赤レンガ倉庫を併設している。(いずれも登録有形文化財)

港町の町中に建つ古い商家 京屋酒造本店。この建物の向かいに旧河野家住宅(登録文化財)がある。写真右手路地を抜けると港に出る。

堀川運河にかかる堀川橋。明治36年に飫肥の名石工によって完成された。映画「男はつらいよ〜寅次郎の青春偏〜」にも登場した油津のシンボル。(登録有形文化財)

堀川運河沿いの石積の護岸。写真の階段は映画のラストシーンのロケ場所。

海岸地区の石倉倉庫。
 

宮ノ浦
日南海岸を漁村をチェックしながら南下する。夫婦浦は日南海岸らしい景勝地ではあったが集落的には特筆するべきものではなかった。
さらに都井岬に向かって南下すると、都井岬の付根にあたる太平洋岸に宮ノ浦というやや規模の大きい漁村があった。短い川の河口の僅かに広がった平地に集落が形成されている。寄棟平屋の廻りに下屋を回す典型的な当地方の民家形態が見られた。


小廻
最終日は霧島神宮を朝早く出発し大隈半島の先端までを往復して夕方の飛行機に乗らなければならない。霧島神宮近くのホテルを6:00に発った。国分の町に下りた頃から通勤ラッシュで交通量が増え始めてきた。時間調整ができるよう安全をみて、まず最も遠い大隈半島の先端まで行き、戻りながら目的の集落町並みを巡る事とした。
錦江湾に沿って国道を南下すると福山町でユニークな町並みを見つけた。小廻りという集落で、海に面して結構立派な一風変わった町家建築が並んでいる。福山町は背後のシラス台地の生産性が悪いため、サツマイモ造り、焼酎や黒酢製造を行っている町である。何で繁栄してこのような町並みが出来たか・・・。ちなみにさらに南の同町内大廻りにはこのような町並みは見られなかった。

両サイドの1階部分を石壁とする総2階の住宅。

店以外は石壁で囲む町家。

背後に洋館がそびえる住宅。写真右手の店ともつながっている。

旧田中別邸(町指定文化財)
 

島泊
大隈半島佐多岬近くの半島西岸の漁村集落。険しい地形の海岸線の中の、ちょっとした緩やかな部分に集落が形成されている。切妻板壁のシンプルな民家が密集する。海からの風対策からであろうか、海に面する面は妻面にし開口部が余り設けられていない。


墓地から集落を見下ろす。民家の板壁は薄いブルーが覆い様だが、黒や緑なども見られる。

墓地から集落を見下ろす。右手方向が海。
 
 

島泊まりから高山へ向かう途中は内陸部を走った。根占町野尻野という牧場地帯に突如、広範囲にわたり設置されている発電用風車群が登場した。高さはプロペラが12時の方向の時で90mある。

牧場の中に、法則性もなく巨大な風車が林立する光景は、クリストの環境芸術のようだ。
 

波見
大隈半島の東岸を北上する。志布志湾の端、肝属川の河口近くに波見という集落があり、良い佇まいを見せていた。海からの風が強いからだろうか、敷地を取り囲む役割としての塀は高く伸び建物と一体化している。

 

高山
薩摩藩は麓集落とともに商人町「野町」を置いたが、高山には野町を前身とした古い町並みが残っている。高山町の野町は、明治14年に大火で焼失しているが、直ちに復興してもとの商売を存続したという。


蒲生
錦江湾に注ぐ網掛川下流の小平野に位置する加治木は、麓集落発祥の町で、加治木駅の北側に武家屋敷町が見られるというので行ってみたが、余り残っていなかった。
最後に、麓集落である蒲生を訪ねた。麓の北西にある正八幡神社宮から真っ直ぐ南下した所に役所をおき、それを中心に武家屋敷が、東側に野町が整備された。武家屋敷、野町ともに若干ではあるが、セットで古い町並みが残っていた。

天候は加治木辺りから大荒れになり、夕刻鹿児島空港から、飛行機は若干の遅れを伴って羽田に向かって飛び立った。


野町の町家

正八幡宮の大クスの木

武家屋敷町