北九州 筑前六宿(2003.12.27)
集落町並み探訪を始めて20年。北は北海道礼文島から南は沖縄県竹富島まで全国津々浦々歩き回ってきた。特に今年は精力的に歩き回って総数1000箇所に届かんとする勢いである。それでもまだ、集落町並みWalkerとして歩いていない県がある。SAGA さが!佐賀〜県!である。こうなったら40歳になる前に全国一巡を達成したくなってきた。やるしかない。
しかし、年末年始は飛行機も宿泊費も高い。いろいろ検討したが、家族3人であれば車で走っていくのが最も安くつく。何とか家族を説き伏せ、北九州3500kmの旅が始まる。
12月26日18:00東京を出発した。カーナビを最初の目的地である福岡県木屋瀬にセットするやいきなり1070kmが表示された。一瞬、ひるむ。
適度に混雑している東名→名神高速、吹田インターで0:00となった。ここからが遠い。山陽道は新しい高速道路なのでトンネルだらけだがくねくねの中国道とは大違いで運転しやすいし、交通量も少ない。順調に広島まで来た。が、ここで雪がちらつき始める。岩国を過ぎる辺りではかなりの雪がフロントガラスにぶつかってくる。しかし不思議なことに上空は星空なのである。宇部辺りまできたら雪は止んだ。広島は関ヶ原のように日本海側の気候に近いのであろうか。そんなこんなで何とか下関までたどり着いたが、関門大橋を見たとたんに睡魔が襲い壇ノ浦PAで仮眠タイム。夜が明けてから海を渡り、八幡ICで高速を降りて木屋瀬宿に到達したのは午前7:00ちょうどであった。13時間のナイトランは久々に効いた。
木屋瀬宿から旧長崎街道を南下する。道路幅に対して建物のスケールが大きく迫力のある妻入塗込造の居蔵造町家の町並みは、初めて見るものに大きなインパクトを与える。半年前に訪れた南九州では見ることの無かった町並みである。
遠賀川を渡って筑豊炭田の発祥地、直方へ。直方は丘の上に展開する二字町遊郭跡が目的地である。かなり空地が目立つが、かつて栄えた大きな妓桜が並ぶ町は、今や静かな佇まいの住宅地であった。
長崎街道を南下する。飯塚の町の手前に幸袋という縁起のよさそうな町がある。町並みはどうせ街道沿いだろうと思ったら街道に直交する方向にある。その理由はいかに。幸袋のページを見てくだされ。
飯塚は筑豊地方で最も栄えた町である。気だるいイメージで非常に興味のある筑豊炭田の町の中で、是非訪れたいと思っていた町であった。旧市街は駅から離れ、旧長崎街道はアーケードの商店街になっていた。華やかかりし頃の芝居小屋、和洋折衷の個人病院、商店街の裏手に広がる遊郭跡など、炭鉱は無くなったけど人はたくさん住んでいるという、近代産業で繁栄した郷愁の町だ。
ボタ山に分れを告げてさらに南下する。内野宿ではかわいい筑豊本線内野駅前に車を停めて歩く。地形にしたがって進む旧長崎街道の町並みは、ひとつひとつ個性的なデザインが施された窓を持つ塗屋造の町家が面白い。
冷水峠を越えると筑後川水系の平野部に出る。国道200線を走りながら山家宿の旧道や古い町並みをチェックするが目に留まるものが無い。一度通り過ぎたあと、らしい道に狙いを定めて入っていくと西の講口跡の説明版を見つけ、ここが山家宿であることがわかった。残念ながら、古い建物の遺構はあるものの建物そのものはほとんど残っていない。
今日の最後に、重伝建地区になっている秋月を訪れる。町の入口には石橋(眼鏡橋)があり、一直線の町人町の間をまず抜ける。車を置き、まずは城址近くの武家屋敷町から歩く。街中では「コットンコットン」と機織の音がしてくる。草木染の工場が街中に点在している。
町人町は一直線の通りに沿って上っており、アイストップの山と白い漆喰塗込造の壁の組み合わせが美しい。
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