飯塚 筑豊炭田の中心 華やかな戦前の面影を感じる町

福岡県
飯塚市
本町
東町
西町



交通

JR筑豊本線新飯塚駅下車

国道200号線




西町


東町


本町





2003.12.27
西町の料亭
筑豊は九州でもなぜか興味をそそるエリアのひとつである。異常にはりめぐらされていた鉄道路線とボタ山の風景。それは明治から昭和にかけて栄えた炭鉱町の風景である。しかし石炭の時代が去ると町は急激に寂れた。鉄道路線の多くは廃止された、残っているのは多くの住人とボタ山と、かつての栄光を感じる町並みや建物である。飯塚はその筑豊炭田の中心。江戸時代は長崎街道の宿場町で筑前六宿のひとつに数えられていた。市街地は嘉穂平野を流れる遠賀川沿いに発達し、炭坑は1882年(明治15年)三菱鯰田炭坑の開鉱に始まったが、最盛期には筑豊炭の1/3以上を産出していた。
筑豊は何度も訪れてはいるが、今回初めて飯塚の旧中心地を歩いた。旧長崎街道にあたる本町の商店街はアーケードになってしまっているが、よく見ると古い建物も残っている。本町の東側が東町で、最盛期である昭和6年にオープンした嘉穂劇場が保存再生されている。西町は本町の西側で、宿場町時代の寺町とともに華やかな頃の遊郭もあった。今ではひっそりとした静かな住宅街の中に料亭や元遊郭の建物が残っている。
嘉穂劇場
大正10年に嘉穂劇場の前身である「中座」という芝居小屋が建てられたが、昭和10年に台風で倒壊。その翌年嘉穂劇場が落成した。平成14年に保存再生され飯塚市登録有形文化財になったが、翌年水害により浸水。現在、基礎や床の改修工事を行っている(平成15.12)。
東町の緑道に沿って建つ久保山医院。
旧長崎街道は本町商店街のアーケード
旧長崎街道にある福岡銀行飯塚支店
旧長崎街道から西へ伸びる大養院参道
建物は現在も営業している旅館
西町の料亭「松月」
周りの建物を見るとここが遊郭であったことがわかる。
料亭「松月」脇の路地
参考資料 リンク
飯塚市
嘉穂劇場

参考文献
『赤線跡を歩く2』 木村聡 自由国民社