幸袋 川港から企業門前町と繁栄した重厚な町並み

福岡県
飯塚市
幸袋
本町



交通

JR筑豊本線新飯塚駅よりバス

国道200号線




幸袋




2003.12.27
国道200号線を直方から飯塚に向かって走ると幸袋という町を通る。ここに古い町並みがあるというので、てっきり旧長崎街道沿いの街村であろうと思っていたが古い町並みは旧街道に直交した通りにある。「おや、旧街道はこっちかな」と思って調べてみたが旧道は国道そのものである。町並みサイト「郷愁小路」によれば、幸袋は遠賀川の川港として発展したとあるが、この直交した通りの先に河岸があったからであろうか。幸袋は近代になって炭鉱と炭鉱機械工作業で栄えたというが、どちらかというと近世の川港として栄えた町並みの印象を強く受けるのである。
河岸と長崎街道を結ぶ通りに町並みが形成されたとすれば理解できるが、その町並みは長崎街道を突っ切って西側のバイパスにまで達している。長崎街道の西側は和洋折衷の旅館や遊郭っぽい建築が見られかつては歓楽街だったと思われる。また町の構造がわからなくなった。そういえば、長崎街道(国道)と並行しているバイパスは町のすぐ南で国道といったんくっついてまた離れるのであるが、合流しないでくっついて併走する変な線形なのである。なんでだろう?。
実はこのバイパスは炭鉱鉄道の幸袋線の軌道跡で、歓楽街は旧幸袋駅の駅前だった。駅の向こうには炭鉱機械を製作していた「幸袋工作所」の工場(現在はリサーチパーク)だった。つまり、幸袋の町並みは河岸集落を原型にしながら、近代になって発展した企業門前町だった。町並みの中には一際大きな屋敷があるが、これが創業者の家である。町の中心部の真っ只中に創業者の大きな屋敷があるという典型的な企業門前町(城下町)スタイルであるが、企業も鉄道も無い今、富を蓄積した重厚な町並みだけが過去の栄光を物語っている。

旧長崎街道の入口に近い家。シンメトリのファサード。木の破風。銅板の緑鮮やかな窓。出角を押さえた石。そして漆喰壁に現された鏝絵。この町並みが只者ではない証である。
旧長崎街道から遠賀川へ向かう通りにひと際重厚な町並みが現れる。
ものすごい門を備えた住宅。只者ではない。それもそのはず、町が企業門前町として栄えた「幸袋工作所」の創業者の屋敷。
遠賀川方向から長崎街道方向を見る。
鼠漆喰の出桁つくりの町家。北九州には入母屋妻入り町家の次にこの出桁平入り町家を良く見る。
旧長崎街道の西側に建つ前面洋風+後面和風の旅館らしき建築。
かつて駅前だった場所にある町家。2階の大きな開口部とバルコニー、1階建具周りの意匠から遊郭建築であることは間違いない。
参考資料 リンク
飯塚市

参考文献