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海界の村を歩く |
第6話 隠岐らく紀行 〜島根県隠岐〜 |
1日目へ
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島後 釜 隠岐最古の住宅旧佐々木家 |
2日目
島後
福浦〜布施〜西郷
「悲しみ本線日本海」
隠岐らく紀行2日目は、昨夕観光船が出航した港のある福浦(10時の位置)から歩く。隠岐の集落の特徴は、なんといっても赤瓦と板壁。古い民家になると瓦は鈍いオレンジで、棟に石が載る。福浦は古そうな民家が多く、由緒ありそうな大きな屋敷もみられた。
島後 福浦 竹垣に谷垣(自民党総裁)
隠岐は自民党ポスターが目立った
福浦からやや内陸に入った米どころにある郡の隠岐郷土館を訪ねる。例によって郷土館に町並み情報はないが、建物は西郷から移築復元された明治28年の旧郡役所庁舎である。
ここで、今晩宿泊予定の旅館みつけ島荘(島前西ノ島)の女将から携帯に電話が入った。今日はこれから天候が悪化し海が時化るので高速船が欠航になる可能性が高い、ついては確実に昼のフェリーで渡ったほうが良いと。私もかつての島旅では何度も船の欠航に泣かされている。ここは島後からの勇気ある撤退をし、早々に島前へ渡ることにしよう。こういうアレンジができるのも、ゆとりあるスケジューリングのなせる技なのだ。我ながら見事なリスクマネジメントだと評価したい。
さて、昼に西郷着となればお気楽なペースでは残りの島後を巡ってはいられない。これから3時間で要所を巡りつつ島を半周しなければならない。
ワインディング状の外周道路を本格的走り屋モードで攻め、移動時間を短縮しつつ布施の町を急いで取材した。布施は由緒ありそうな猟師町で、面白いことに大きな屋敷の屋根だけが黒い。これは山陰共通の現象であり、他との差別化を意識したものであろう(事例:太田市宅野)。
おっと勢い余って隠岐最古の旧佐々木家住宅のある釜集落への分岐点を通り過ぎてしまった。Uターンして戻って取材。これでは急いで走っている意味ないじゃないか。
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島後 福浦 |
島後 郡 隠岐郷土館 |
島後 布施 大きな屋敷だけ瓦が黒い |
島後から島前へ 隠岐汽船フェリーで移動 |
島前中ノ島 菱浦 |
島前
中ノ島菱浦〜西ノ島別府
フェリーは中ノ島菱浦港で2時間も停泊した後、すぐ近くの西ノ島別府港へ行く。西ノ島へ向かう乗客は、菱浦港で下船し島前3島を頻繁に行き来している内航船に乗り換えている。私は菱浦のフェリーターミナルの前にある隠岐牛の店に入り、1600円の隠岐牛焼肉ランチを食した。うまい!
早々と島前に渡ってしまったので、この余った時間を利用して最終日の中ノ島探訪に余裕を持たせるべく、菱浦の町並みだけを今日歩いてしまおう。
この時期、草花がとってもきれい
内航船で西ノ島別府へ渡る。まだ16:00だが天候も大荒れになってきたので早いが宿に入る。今晩のお宿は、みつけ島荘という旅館。女将が田中美佐子さんと小学校時代同級生だったそうで、ならば美佐子情報が手に入るものとわざわざこの宿を選んだ。
夕食は隠岐の幸のテンコ盛り、どれもこれも旨いものばかり。ビールより日本酒が進む。銘柄はもちろん地酒隠岐酒造の純米酒で、肴をつまんでは飲みつまんでは飲みのハイペースだ。
女将がテーブルにやってきたので、さっそく美佐子情報の聞き込みだ。田中美佐子さんは役人だったお父さんの仕事の関係で隠岐西ノ島で生まれ、小学校3年まで過ごしたそうだ。実家も公務員宿舎だったようだが今はないという(現在の実家は松江)。隠岐時代の実家を拝みたかったのに残念。本土から来た一家ということで、島の人から見れはすっごくハイカラだったそうな。
さて、地酒隠岐誉は軽く飲みやすい。気が付いたらベロンベロン。大広間での周りの客は誰もいなくなっていた。
3日目へ
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島前中ノ島 菱浦 |
島前西ノ島 みつけ島荘の隠岐の幸ディナー |
島前西ノ島 みつけ島荘ロビーに飾られていた
田中美佐子さんのスナップ写真
旦那がうらやましい、、、 |
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