海界の村を歩く
第7話 ため壱岐紀行 〜長崎県壱岐〜

博多にいる
。明日朝、港から高速艇で壱岐島(いきのしま)へ渡る予定である。壱岐の名を聞いたことがある人は多いと思う。太古から日本と朝鮮半島との間を行き来する際に飛び石的な中継地となっていたのが壱岐や対馬だ。この前、隠岐(おき=島根県)に行った後、「どこへ行ってきたの」と問われて「隠岐(おき)」と答えると、「ああ、対馬の近くの島ね」と何人もから言われた。「それは壱岐(いき)でしょ」と突っ込んでもピンとこない様子。地理にうとい人には、隠岐の存在はあまり知られていないが、対馬のそばにもう一つあったなぁという程度には知られているということか。
今回の旅、ちょっとだけ心配なことがある。
台風2号(ソングダー)が石垣島の南海上にいる。まだ5月の台風だし、九州からそれるかまっすぐ北上したとしても2日間のうちに北部九州へ近づくことはないだろう。


新博多駅ビルのカフェで朝食 この後壱岐で大きくため息をつくことに、、、

閉じ込められた郷ノ浦のカフェで流れていた曲を聴きやがれ!
 
博多港〜郷ノ浦港
中森明菜「22才の別れ」

海は濃霧で時化ている。遠くにいる台風2号の影響なのか。博多港8:00発壱岐郷ノ浦行の高速船は巡航速度を上げられず、遅れて郷ノ浦港についた。


高速艇 博多港にて

湯本

さっそくレンタカーを転がし、島を時計回りに走る。島は隠岐の島後に比較して小さいので一日で回れる。始点の郷ノ浦は明日朝歩き、明日昼の船で博多港に戻って夕方5時には東京に居るという寸法だ。

あっさりと島の北部にある湯本へ着いた。湯本は壱岐で唯一の温泉場だけれど、ホテルのあるエリアと町は離れていて、町の方は思い切り寂れている。
浴衣を着て下駄を転がすなんていう街では全くない。それでも、かつて営業していたであろう旅館らしき建物や造り酒屋、煉瓦蔵なんかがあって、最初に訪問する町としては適度にパンチが効いている。
しかし、町の奥の方の「なぜここに?」というような場所に格子の町並みがあって不思議に思った。

下調べによると、期待できる町並みは勝本ぐらい。気合を入れなきゃならなそうな町並みは他にはないと見ている。
だからのんびりペース。こういう時間に余裕のある旅というのはいいものである。
 

湯本 煉瓦蔵と疑石看板建築のある町並み

湯本 疑石看板建築の造り酒屋

湯本 町の奥に場違いな格子の町並みがあった

勝本

壱岐には水田がたくさんある。島は険しくはないが多少の起伏はあるので、水田は棚田となる。
美しい棚田めぐりだけでもこの島に来た甲斐はあるが、、、こちとらそんな暇はない。

さて、壱岐で唯一古い町並みとして文献等で紹介されている勝本。出っ張り引っ込みのある勝本港の
海岸線に沿って丁寧にトレースしながら町が形成されている。こういう集落形態は大きな漁港によく見られる。
 

勝本 海岸線に沿って家がびっしり並ぶ

シークエンスが楽しい勝本の町並み
北の端っこから歩くと漁村らしい町並みがどこまでも続いてゆく。町の中心に近づくとやっと大きな民家が現れた。商家を改修した「大久保本店」というこじゃれたカフェ。ちょっと早いがここでランチをすることにした。この店、地元では人気があるのだろう、お昼に家族連れやカップルが続々と入ってくる。


勝本 モカジャバ カフェ 大久保本店

勝本の中心商店街の周辺には木造3階建ての旅館や煉瓦の袖壁を上げた商家が登場。勝本は、でっかい漁村と漁師町の両面のある町並みだ。


ようこそ勝本へ
 

勝本 金毘羅宮から町を見下ろす

勝本 中心部の商店街に木造3階建の旅館

勝本 小雨が、、、台風が近づいてる?
芦辺印通寺

島を半周し芦辺港。壱岐には、本土からの定期船(高速船・フェリー)が就く港が郷ノ浦、芦辺、印通寺の3カ所ある。港は東からの入江で、北に瀬戸浦、南に芦辺浦という2つの漁師町がある。町並みとしては☆☆。
印通寺も定期船が発着する割には栄えた痕跡はあんまりなく、見どころとしてはDataBaseの1ページを飾るほどではなかった。

久喜

そして、今日最後の集落町並み久喜にやってきた。この町は特に文献などで紹介されているわけではないが、地形図でみると集まった等高線の上に家が密集している。さらに空中写真でそれを確信。行ってみると
よしよし予想通りの密集系漁村だった。ところが、集落を歩き回っているうちになんかおかしいことに気付く。

いわゆる密集系漁村というのは、狭い緩斜面に民家が所狭しと密集するので、道は狭く家は主屋だけで、庭なのか共用通路なのかわからないような場合が多い。集落の中心部には塀が回って小さいながら庭を持つような大きな家があったりする。

瀬戸浦の町並み なまこ壁の大屋敷があった

芦辺の町並み

久喜集落全景
しかし、久喜はほとんどの家に小型自動車でも寄れる道路がついているし、一軒一軒の家屋は大きく立派、塀が回って庭のあるようなもの多い。そして、門や玄関のところに「○○海運」なる表札が出ている家が何軒も見られた。「こりゃもしや!」。後で調べてわかったことだが、久喜は帆船時代から海運業で栄えた船主の集落だったのである。
 

帆船時代からの海運業で栄えた船主の集落だった
郷ノ浦
中森明菜「雨の物語」

今日一日雨は降ったりやんだり。久喜を歩いているところから降り続き、雨足も強くなってきた。もう夕方で暗いし、無理して郷ノ浦を今日のうちに取材する必要もない。早々にレンタカーを返却し店の人にホテルまで送ってもらった。「島の定期船は止まることあるんですか?」「
壱岐では船が止まることはあまりないですね。まぁ高速船の方が弱いですけどね。」と、台風のことなど全然心配いらないという調子。まだ台風は奄美大島あたりだし、明日の午前中なら問題なさそうだ。一応、安全を見て、早朝ウォーキングの後九州郵船へ電話で確認し、ヤバそうなら10時ころの船で本土へ渡ろう。前回の隠岐同様、島旅でのリスクマネジメントは万全である

夜は地元の食堂で一人打ち上げだ。地酒と地魚。最後には奮発してうに丼をおごり、いい気分になった。あー島旅、最高!


一人打ち上げ 最後の夜のはずが、、、
 

郷ノ浦の町並み

郷ノ浦の町並み
二日目の早朝、依然雨。風もやや強まってきた。やはり大事を取って10時の船で本土に渡ったほうが無難そうだ。横殴りの雨にズボンを濡らしながら郷ノ浦の町を急いで取材した。ホテルに戻って帰り支度。ここで、一応確認しておこうと、定期航路の九州郵船に電話を入れた。
「10時の船は予定通り出ますか?」
「本日は全便欠航になっております」

ガーン。なんでぇ。全便欠航?。これはまずい。空路はどうかと全日空にも確かめたが、こっちも全便欠航。うーむ、帰る手段がない。。。
台風2号はなんと時速60kmで北上を続けているため、九州全土の空と海の交通機関をストップさせてしまった。
こうなってはあきらめるほかない。そして、なにもすることがない。。。


なんじゃこりゃ
郷ノ浦塞神社の境内に祀られていた
九州の神社ではこの手のものを良く見かける


中森明菜「わかって下さい」

ホテルの客室でNHK衛星放送のアーカイブ番組を何本もみて感動したりして、、、まだお昼前だ。ちょっと早いけど昼飯でも食べに行こうと強まってきた豪雨の中、街にくりだした。
誰も歩いていない商店街。ピザのおいしい店があるというので行ってみたら、昼はカフェ夜はスナックみたいなお店。しかしまだ開いていない、、、中からオカミさんが出てきて「今開けますからどうぞ」。

「船が出ないんで参りました」
「私も今日は地元高校の同窓会みんなで旅行に出かける予定だったんだけど、中止になっちゃったのよ、もう残念!」
客は自分一人のカフェ。でもピザは噂通りで、東京で出しても流行りそうなくらいおいしい。店では
昭和の名曲をカバーした中森明菜のCDアルバムが流れている。このまったりとした時間はなんなんだろう、とても心地いい。


郷ノ浦で入ったカフェ

ホテルへ戻り、洗濯機を借りてお洗濯。午後も部屋でずっとテレビを見ていた。
あ〜なんで私はここにいるのぉ

予定外の3日目の朝。風は止み、朝日がさしている。ホテルのフロントでチェックアウトするとき、短い時間だったが
自分の家を離れるようでちょっと寂しい気持ちになった。

朝一番の博多港行きフェリーは定刻通り出航した。
ふーっ、よかった
 
 

郷ノ浦 台風が近づき風雨が強くなってきた

郷ノ浦 商店街には人っ子一人いない

郷ノ浦 夜の飲食店街の一角

郷ノ浦 2日目の夜にもう一回一人打ち上げ

郷ノ浦 港の夜景 

郷ノ浦 3日目の朝天候は回復した