日本最北端の都市、稚内。1月に最南端の集落波照間島からスタートした日本縦断の旅の最終日を迎えている。繰り返しになるが、この旅をわが集落町並み探訪人生の区切りにしたいと思い旅立った。あれから10ヶ月間、今後の生き方についていろんなことを考えた。わが愛する街である信州松本を歩いた時は早くリタイヤしてこの街に住んでしまおうかと本気で思ったり、本拠地東京を35年前の最初の町歩きをトレースしながら歩いた時は心が不安定になったり、三陸の大津波に被災した街を歩いた時は自分がやるべきことが何なのか真剣に考えなければいけないんだと、、、日本を駆け抜けるには短い旅だったが、わが国の集落町並みと自分の今までの人生を一気に俯瞰する体験ができたといえる。まだ旅は終わっていない。今日一日しっかり歩こうと思う。そして、最北端の碑を前にしてひとつの決断を表明したい。どんよりしていた空から日がさしてきた。
まず、新しい稚内駅の再確認から始める。かつて線路は稚内駅のホームを通り越してやや北のところで終わっていた。駅が新しくなってホームの先がコンコースになったので、最北端の線路は無くなちゃったと思ったら、何と床に埋め込まれてるではないか。床に埋まった線路をたどっていくと風除室を横切って駅前広場に続き、線路の最後に設けられていたストッパーも「最北端の線路の碑」とともに設置されていた。
稚内駅のコンコースに延びる最北端の線路
稚内は道北の最北部にある水産都市。市街地はノシャップ岬と宗谷岬に抱かれる宗谷湾の西側に形成されており、背後は80mの段丘崖がひかえている。利尻・礼文島への発着地として、第二次世界大戦前は樺太への要衝として栄えた。現在、市街地南部の埋立地(南稚内)に魚市場、石油基地があってロードサイド型の商業が集まっており、商業中心はこっちに移っているようだ。旧市街は稚内駅周辺で、南北3本の主軸から構成されている。一番東は国道40号線、一番西側は県道106号で、真ん中の通りにアーケードが架かった商店街や飲食店街があり、看板建築を主体とした町並みが見られる。さらに、段丘崖下のエリアを北へ向かって歩いてみた。この辺は住宅街。下見板張りの切妻妻入りの古い木造住宅が残っていた。そして、最後に稚内港のシンボル北防波堤ドームに行ってみた。礼文や利尻に渡るときにフェリー乗り場から見える巨大な構造物。初めて中に入ってみたが美しい構造体である。マラソン人が行ったり来たりしていた。
稚内 ノシャップ岬(北海道)
稚内の街をどんどん北へ進んでいくと灯台が見えてくる。ノシャップ岬である。そして、段丘崖の上には沢山のアンテナが築造されている。すなわち我が国の北の防衛線というわけだ。
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