戦災にあったエリアには、純度の高い戦後の町並みが見られる。いわゆるモルタル系看板建築もそうだが、終戦直後に造られた闇市の名残であるバラック街は再開発により姿を消しつつあるが、全国随所にまだまだ見られる。仙台にも芭蕉の辻という商業地域の中心部に近い場所に壱弐参(イロハ)横丁というバラック街がある。戦後の混乱期、仙台で最初に復興したのが中央公設市場であり、現在の壱弐参横丁の原型となった。中には二本の通路があり、青葉通り側の通路を「青葉小路」といい衣料品や雑貨などの物販店が、南町通り側の通路は「松竹通り」といい食料品店や飲食店が軒を連ねていた。現在の壱弐参横丁では店舗の入れ階が進んだため、上記の区分けは崩れている。
仙台 壱弐参(イロハ)横丁
日が暮れた。今日はよく歩いた。脚はパンパンに張っている。歩けないので、旧奥州街道北部はあきらめてホテルへ向かう。一休みした後、仙台名物である牛タンを食べに仙台一の繁華街国分町へ出かけた。でも、お酒を飲んだら間隔が麻痺したのか筋肉痛が和らぎ、店を出ると旧奥州街道である国分町通りを北へ向かって歩き始めた。歓楽街は次第に普通の商店街に変わり店の数もだんだん減って行く。そして戦災地区のエッジを過ぎると、沿道に戦災に免れた店蔵が現れた。近くに古い木造の家屋をもつ大きな屋敷も発見。やはり残っているものだ。ついに仙台の旧市街を南端から北端まで歩き切った。これで「戦災のない仙台」として南北軸を押さえたことになる。
仙台 通町界隈の町並み(画像友人提供)
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