海界の村を歩く
第8話 あまみえらぶ紀行


集落町並みWalkerとして、日本全国を歩いてきましたが、唯一まだ訪れていない地域というのがあります。もちろん細かく言えばまだまだありますが、いわゆる「○○地方」と呼ばれるもの。
それは南西諸島

鹿児島と沖縄本島の間です。実は去年の12月に狙っていましたが、奄美大島での豪雨による土砂崩れもあり延期していました。今回、その最後の地域にメスを入れようと思います。ところが、南西諸島にはたくさんの島があり、直行便があるのは奄美大島だけで、他は鹿児島空港で乗換となります。便数も少ない。したがって、1島1日半は必要で、お金をかけて行っても1週末1島がせいぜいなのです。まぁ、それがいままで敬遠されてきた理由でもあるのですが。

南西諸島事はじめとして、最大の島である奄美大島を軸に、加えることのできる島として沖永良部島をチョイスしました。

 
鹿児島空港のレストランロイヤルで早い昼食をとっています。レストランロイヤルといえば、ロイヤルホストの発祥となった九州での空港レストラン。うまくもないのに高い。。。

そんなことより、
これから未踏地帯の南西諸島攻め第1回を行う予定です。
ところが、飛行機が条件付き。沖永良部島に着陸できるか確実ではありません。

沖永良部島が見えてきました。
島の上をぐるっと回って、、、無事着陸!!よかったぁ。



天気悪いです。しとしと雨が、、、
こういう時はメインの集落をいち早く歩くに限ります。
 

鹿児島空港レストランロイヤル

沖永良部島に着陸
沖永良部瀬利覚
おじさんが、「何の写真撮ってるの?」
「えぇ集落の取材です」
やばい、長話につかまるパターン。でも時間あるし村の話きこう。ということで、色々と話を伺いました。



知名町が島で一番大きい町だった。昔は。
その中でも瀬利覚が古い由緒ある集落。和泊はずる賢く、知名はおっとりしていて島の中心の座を奪われた。

どうも島でふたつ町があると仲悪いんですよね。よくある話。
古い由緒ある町の方が保守的で、新しいものの導入に躊躇している間に、二番手の町に持ってかれてしまう

瀬利覚、いい集落でした。でも最後は土砂降りに。
 

瀬利覚 ホー川の水場

瀬利覚 切石の石垣

瀬利覚の町並み
島の半分はなだらかな山で、そこに昇竜洞という鍾乳洞があります。そうだ、八つ墓村のロケ地になった場所だ。

入ってみた。びっくりした。なんと美しいことか。綺麗な場所ではすごい湿気でレンズが曇ってしまってお伝えできないのが残念です。
後ろから、
懐中電灯頭に付けた田治見要蔵が走ってきそうで怖かった。

明日も時間がたっぷりあるんで、今日は切り上げ。和泊港近くのビジネスホテルに、、、っていうかただのアパートみたい。玄関は片付けられておらず、インターフォンしても誰も出てきやしない。しょうがないから電話をすると別の棟があるらしく、そこからおっさんがやってきた。ところがお待たせしましたもすいませんもない、挙句にはてに予約は入ってないという。そして、彼は何を考えたのか、何も言わずぬ私を置いて出て行ってしまった。暫らくして電話が入り、別棟が空いているという。当然、もう結構ですと。まったくもう、商売っ気がないんだね
 

素晴らしい鍾乳洞 昇竜洞

映画「八つ墓村」のロケ地にもなった 
気を取り直して町を徘徊し、良さそうな宿見つけて転がり込んだ。ジッちゃんが一人でやってるビジネスホテル。古いけど小綺麗にしてある。超安いわりに部屋に風呂もあるし。はぁ、良かった良かった。


  

和泊で泊まったホテル
さて、夕食に出かけるか。ジッちゃんに店を教えてもらった。
ところが、
おいっ!地元のカラオケパブじゃないかい!地元のおっちゃん達がいる。料理は酒のつまみだけど、適当に持ってきてもらう。

おっちゃん達の会話、
訛りが強すぎてなにいってるのかわかんない。まるで外国にいるみたい。「乾杯」と「三十年」だけわかった。
すると、となりで何かが。。。クリスマスのダンスパーティーが始まるそうな。取材してってもいいかと思ったけど、
怖くなって抜けてきた。なんでしょうねこの島は。ラーメン屋に寄ろうかとのれんくぐりかけて、また怖くなってやめましたぁ。



ホテルに戻ったら、
ロビーに昭和歌謡が流れてる。どこから?と探したら、ジッちゃんの仕事場に置いてあるラジオからAM放送で、、、昭和の映画の中に紛れ込んだみたい。
面白すぎるぞ、沖永良部島!

明日は晴れないかなぁ。おやすみなさい。
 

晩飯にと入った店だが、、、

カラオケパブでディナー

ホテルのロビーになぜか昭和歌謡が
沖永良部和泊
天気は回復の方向だけど、風が強く海は時化ています。
奄美大島への船出るかなぁ、壱岐の前例があるんで心配です。さぁ、ジッちゃんの朝飯食って出発だ。

和泊の町を歩きます。ここは、西郷隆盛が島流しになって幽閉されていた場所。牢屋が復元されその中に西郷さんが居た(こわい)。近くの川に
石橋が残ってた

和泊の集落には、旧家のお屋敷もあり(建物は残っていないけど)、
色とりどりの花が綺麗です
 

  

和泊の石橋

和泊の町並み
沖永良部余多
昨日和泊から瀬利覚へ向かう途中、
切石の石垣が綺麗な集落があったのでチェックいれてた。取材してみましょう。
街道沿いに大きな屋敷があって立派な切石の石垣があり、奥へとつながっている。しかし、いい建物がなくてデータベースにいれとかどうしようか迷うところ。瀬利覚に加えればいいかな。



王家の墓も一応観光として。やはり琉球=沖縄に似ていますね。
 

余多の石垣集落

余多 街道沿いの大屋敷
沖永良部国頭
国頭は島の最北部の内陸にある集落。サンゴ礁の石垣が美しいと思いながら歩いていたら、集落の中にぽっかり洞窟が口を開けていました。沖永良部島には海岸近くにしか川がありません。石灰岩質の地盤のため水は地中に染み込んでしまいます。
川は鍾乳洞をつくって地中に流れてる。したがって、集落は地中川=暗川(くれがわ)に下りられる場所や地表に現れた場所に形成されるのです。いやー、いろんな土地の特徴にしたがって集落ってつくられているんですね。

小学校の校庭に日本一とうたわれたガジュマルの木があった。


 

沖永良部島国頭

沖永良部島国頭 暗川へ下りる穴
やっと観光地らしい店があった。西郷隆盛が上陸した港。エビの店だそうで、テーブルにエビの殻が展示してあった。あまりありがたいものではないです。。。
しかし、ここでも昭和歌謡が流れてる。なんでや。
 

 
さて、沖永良部島を後にして奄美大島へ渡ります。海は相当時化てるんで揺れるぞ~。
揺れることを予測して雑魚寝ではなくベッドにしました。外も見ずひたすら寝るだけ。やっぱり、揺れはすごかったぁ。
今、徳之島に停泊しております。ここからまだ、3時間20分。

ひゃーゆれたゆれたぁ。徳之島停泊中に缶チューハイ買って飲んだのがいけなかった。胃の中でシェイクされて気分悪くなって吐く寸前(*☻-☻*)。やっとこ着いた。奄美大島名瀬港。

ホテルまで約1km歩く。
うーん、やっぱ違うな、街です。奄美大島の名瀬。ファミレスあり(ジョイフルだけど)、ほか弁屋あり、焼肉チェーン店あり。
結局、焼肉屋に入って遅いディナー。牛、豚、ホルモン、ついついたくさん食べすぎちゃいました。
 
 
フェリー マリックスラインで名瀬へ

フェリーの2等寝台

フェリー名瀬港に無事到着
奄美大島大和浜
奄美大島には、まだ昨年の土砂崩れの傷跡も残っているとは思いますが、念願の奄美探訪を開始します。外は寒波襲来で依然、強風がやみません。

名瀬の南、大和村にやってきました。
大和浜の集落から離れた川沿いに高床式倉庫=高倉が群をなして残っている。ずっとここは来てみたかった場所なんだけど、「なんだ、ここかぁ」ってな場所でした。道路脇。

集落は
火災の危険があるので、倉を離して群で建てたそうです。対馬の倉もそういう形態だったなぁ(鰐浦青海椎根など)。
 
 
大和浜の群倉

大和浜の群倉
奄美大島今里
大和村の一番端の
今里サンゴ礁の岩の石垣集落です。海に直接面しているから、風が強いんでしょうね。高倉は昔あったそうですが(群倉形式ではない)、今は取り壊されたそうです。すべて、この日の晩に入った郷土料理屋の女将さんからの情報。女将さん、今里の出身だそうな

奄美大島宇検
奄美大島の南部はリアス式海岸。焼内湾に面する宇検集落に着きました。今里からここまでの道は険しかったぁ。山越えして下ったところにあります。
あった~、高倉を改造したダチョウ倉!?。そう、茅葺屋根を落として低くしたもんだから、ダチョウみたいなのです。

さらにここにも別形式のがあった。八丈島坂下でも同様の現象を見たぞ。


 

今里のサンゴ礁の石垣 

今里の民家 分棟型住居

宇検のダチョウ型改造高倉
太平洋側の海岸を東へ戻ります。こちらはさらに山がけわしく、海岸沿いの集落へは尾根筋の県道から一つ一つおりて行って訪ねなければなりません。
嘉徳という集落。なんと
元ちとせの出身地だって。凄い隔絶性の高い村から出たんですねぇ。


 
 
嘉徳集落の入り口にあったアート?

マングローブの原生林
名瀬に戻った夜、奄美一の繁華街へ繰り出しました。
島唄が聞けるライブハウスや居酒屋へでもと思いましたが全部休み。ホテルのそばの文化センターで
島の紅白歌合戦をやってるそうな。歌い手さんは全員そこへ出場してるわけね。

郷土料理のお店に入りました。
定額でストップかけるまで島料理と黒糖焼酎がどんどん出てくる仕組み。奄美で客人をもてなすスタイルなんだとか。
お料理は沖縄に似てる。そういえば、言葉も似てる(口語はわからんから文語ね)。同じなんですね、奄美も沖縄も。江戸時代、片や薩摩で片や琉球だっただけ。

画像のお料理は、野菜と豚肉の炊きもの。
豚肉の塩っけと野菜のあっさりが絶妙な組み合わせで美味しかったです。島の黒糖焼酎も美味しくいただきました。
 

奄美の郷土料理

奄美の黒糖焼酎
奄美大島名瀬
さぁて最終日です。昨晩、島の紅白歌合戦をやっていた文化センターの敷地内に古民家が移築されていました。
いわゆる分棟型民家で寝るところと食べるところが別れています
 


昨日歩いた集落でも、茅葺屋根は流石に無いですが、屋根を落とした分棟型民家はたくさん見ました。一軒でも茅葺屋根があればデータベースにアップしちゃうんですが。台風常襲地域でもあり、その維持は大変ですよね。(画像は大和村今里)

名瀬の町を歩きます。名瀬の市街は細長い入江形状の名瀬港の先っぽと両側に展開。繁華街はその先っぽの所で、港から見て左が物販店街、真ん中が行政関係、右が飲食店街、バックはすぐ山という
典型的な港町形態です。

まずは、物販店街から。数本の直交した街路に商店街が形成。
川に沿った所にいい感じの町並みあり。この画像はその中の市場です。

次に飲食店街。
昨晩呑んだくれた街です。スナックが立ち並んでいる看板に「なんくるないさー」という名のお店が。意味は、「どうにかなるさ」。沖縄と同じ方言だ。



柳町?公園?こりゃ怪しい、、、
でたぁ、遊里建築だ。実はもう一軒見つけました。これは名瀬の旧遊郭に違いない。
 

移築保存された古民家

古民家の平面図

名瀬末広町にあった市場

名瀬金久町で見かけた遊郭っぽい建物
奄美大島秋名
名瀬から東シナ海に突き出す半島を廻ります。地図で見ていて、龍郷町
秋名という集落がなんとなく期待できそうな予感。
そして、集落へ入って行ったらびっくり!
「あった‼」現役の高倉。

さっそく探索。ダチョウ型が並んで2棟、トタンカバー(写真)も1棟発見。集落景観的にもなかなか良いぞ。やっと星3つかな。

笠利湾に回り込んで、番屋漁港近くの「ひさ倉」という地元や観光客で有名な店で、
奄美名物鶏飯(けいはん)を食しております。


 

秋名の現役の高倉

秋名の屋根を葺き替えた高倉
奄美大島赤木名
さぁ、ラストスパート!
奄美最北の笠利町。空港のある町です。その中の赤木名という集落。かつて大島代官所があった。というだけあって、
今までとは全然格が違う生垣の町です。家も立派なのがある。いわゆる薩摩の麓集落ですな、これは。

奄美大島節田
そろそろ空港に向かいましょう。昨日、空港へレンタカーをとりに行った際にチェック入れていた空港近くの節田集落を最後に歩きます。
小さい集落ながら、なんと4棟も高倉があった。1棟は寄棟トタンです。そして、ダチョウ型が2棟並んでる場所もある。



で、奄美終了です。
鶏飯フリーズドライをお土産に買って。

ご清聴ありがとうございました。



赤木名の生垣集落

鹿児島本土の麓集落のような町並み

空港近くの節田集落の高倉