三都物語 京都洛外・戦災のない大阪・神戸北野
 

今年秋から暮れにかけて歩いた京都・大阪・神戸の町並みをくっつけて紹介する。
今年は夏から秋にかけて台風が吹き荒れた。そのせいか紅葉があまり綺麗ではない。それでも秋の京都は大勢の観光客が押し寄せるトップシーズン。この時期に京都の有名どころを訪ねた。こういう場所は人が多く撮影には苦労する。
次は「戦災のない大阪」シリーズの第三弾。終戦直後のGHQ撮影航空写真から戦災を受けていないとわかるが、その中から港に近い下町の三軒家と郊外の平野を歩いた。
神戸では震災後初めて北野を歩いた。脚光を浴びたバブル期、阪神大震災による被災、北野町は今どうなったのだろうか。
鞍馬(京都府京都府)
出町柳駅で京阪電車から叡山電鉄に乗り換える。小さな電車は洛北の住宅街の間を縫って北上する。やがて鞍馬川の谷あいに入る。終点の鞍馬駅は門前町らしい寺院建築風の古い駅舎。周囲はすっかり山の中である。このような自然が都市のすぐそばで残っていることこそ京都のすばらしさのひとつである。
駅を降りた観光客はさっさと鞍馬寺の方に上っていった。一方町並みのほうは人通りも少なく静かである。鞍馬川から分岐して引かれた水路を流れる水の音が町並みのBGMとなっている。
宇治(京都府宇治市)
宇治といえば宇治茶と平等院。この二つのキーワードから想像される宇治のイメージは香り高く上品。中学生時代に修学旅行で来たことはあってもまるで覚えていない。
世界遺産は平等院のみならず宇治川の対岸宇治神社も含まれる。宇治神社から橋を渡って平等院へアプローチしたが、豊富な水量で滔々と流れる宇治川からの景観のなんとすばらしいことか。
古い町並みとしてはあまり残ってはいないが、高級茶である宇治茶の店舗が建ち並んでおり独特な雰囲気を持つ。
石塀小路(京都府京都市)
清水坂から祇園にいたる東山の一帯は京都最大の町並み観光スポット。その途中に明治期に開発されたいい感じの小路空間がある。石垣と石畳によりU字型に石につつまれた空間がとても心地よいため、石塀小路と呼ばれ最近脚光を浴びている。お高そうな料亭が並んでいて入りづらいが元々は祇園と同様遊郭であった。その狭い道をぞろぞろと観光客が歩いているがこれも祇園同様アベックが多い。なぜ遊郭にアベックが多いのか。そして、なぜ京都に中年のアベックが多いのか。
三軒家(大阪府大阪市)
所変わって浪花の下町。大阪の戦災から免れたエリアは、川などの防火帯の風下側(南西側)にあるケースが多い。三軒家はその代表例の一つで北西を川に囲まれている。
GHQ航空写真の黒い部分を丹念に歩く。同じ非戦災地区の谷町や野田では容易に核心部を捜し当てたが、ここ三軒家はなかなか見つからない。思い切って大通りを渡って泉尾町を入っていったらあったあった。どーんと現れた。そこに複数の屋根の卯建が複雑に絡んだ町家がある。古い町並みは大抵、核となっている大きな古い家があって周りにも残っている場合が多いのはなぜだろうか。
平野(大阪府大阪市)
平野は大阪南東部のかつての郊外に造られた寺内町だが今や都心部と地続きである。だからいきなりその地区だけ古い町並みが現れるといった感じ。町の中央を東西に横たわるアーケード街は昭和レトロといった風情で結構賑わっている。それとクロスするように南北に横たわる大通りがあるがこれがすばらしい。戦前の町家が一直線にほぼ軒を連ねている。この光景、かつては大阪都心部の筋筋に見られた町並みであろうが、おそらく現在見られるのはここだけではないだろうか。マンションなどに殆ど食われておらず大変貴重である。何とか残せないものだろうか。
北野(兵庫県神戸市)
JR新幹線新神戸駅を降りて西へ進むと北野の異人館である。最初に訪れたのは1988年だからもう16年前。あの頃はバブル期で通りに面してこじゃれたブティックやレストランが建ち並び、街ち歩きスポットとして脚光を浴びていた。あれから阪神大震災があってその後の復興。被災した洋館も殆どが修復されていた(中には崩壊したままのものもあったが)。しかし、以前よりちょっと商売根性が前面出過ぎている。入場券を取って洋館を公開しているのは構わないが、客を呼び込んだり、入場料を払わないとうろこの家へは抜けられないとかいうのはやめてほしい。こうなったら金払って入ってやるものかと、何度も坂を上り下りしながら洋館を撮影して歩いた。このままでは町歩き愛好者が離れてしまうぞ。