平野 戦災のない大阪 中世より開けた自治都市

大阪府
大阪市
平野区
平野本町




交通

市営地下鉄平野駅下車
JR大和路線平野駅下車





平野



2004.11.17
 平野は大阪創生の上町台地の東、古代の難波江の東岸にあたる平地で、中世から開けた寺内町である。大和街道、高野街道、住吉街道、平野川水運などの交通の要衝で、港町堺と並んで、土塁や環濠を持つ自治都市を形成していた。近世には河内木綿の取引の中心地として栄え、明治22年に紡績工場が出来たが、現在は大阪への通勤者住宅地となっている。
 平野の町割りは東西南北の碁盤目状で北側を斜めに旧大和街道(現国道25号線)が横切る。JR平野駅前に突然瓦屋根のお屋敷が出迎えてくれるが、古い町並みエリアは斜めの奈良街道と南北に走る南港線(地下鉄平野駅がある大通り)との間に分布している。しかし、見所スポットが広い範囲にポツポツとあるため要領を得ないとなかなか歩きづらい。町を把握する上で重要なのは、東西に突っ切る中央商店街と南北に突っ切る大通り。中央商店街は関西名物のレトロチックなアーケードで、中には明治22年創業小林新聞舗の戦前建物が見所。南北の大通りは昭和初期の町家が一直線に軒を連ねるのがみごとである。南北の大通りの東側のエリア(平野東)は随所に古い町家が立派な屋敷構とともに残っている。西側のエリア(平野本町)はどちらかと言うと昭和初期型の町家が残る風景が印象的である。旧南海平野線の平野駅があったためであろうか。
 大阪の中心部が戦災に遭っているため、平野はかつての大阪を感じられる貴重な歴史空間として貴重であるる。
旧南海平野線平野駅につながる商店街。大阪でよく見られる戦前の町家、特に2階壁から軒裏にかけて銅板で覆われた建物が並んでいるのが珍しい。
南西エリアには戦前の町家が多く残る。大阪の戦前スタンダードであるスクラッチタイル町家。
南北の大通りにある大きな町家。右に洋風事務所、左にナマコ壁の蔵を構える。
南北の大通り。大阪でこれだけ戦前の町家が連なって残っているのは珍しい。

平野東の町並み。古い町家が随所に残っている。
平野東の町並み(上)

中央商店街の小林新聞舗(左)
JR平野駅前の町家
参考資料 リンク
大阪市

参考文献
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社