北野 阪神大震災を乗り越えた異人館たちの町

兵庫県
神戸市
中央区
北野町




交通

JR山陽新幹線新神戸駅下車
地下鉄山手線新神戸駅下車





北野町



1988.11.30
2004.12.20
 幕末の安政5年(1858)、相次いで締結された5カ国との修好通商条約によって6年に長崎、横浜、箱館が開港、兵庫は慶応3年(1868)に開港した。条約で設置が義務図けられた外国人居留地は当初海に近い現在旧居留地と呼ばれている場所につくられた。しかし、明治32年の居留地解消後、旧居留地は神戸の商業地へと機能転換していった。一方、明治中期以降の外国人住宅は山の手に建てられるようになった。旧居留地の建物はヨーロッパ系の外国人が多く住宅様式もそれぞれのお国柄が反映されたものだったといわれているが、その後の山の手の異人館もその傾向が継承されているという。
 神戸の町は山と海に挟まれた東西に長い町であり、市街地の街路線形は海と山(六甲山)を結ぶ南北軸、横に結ぶ東西軸によって構成される。 北野町は明治22年に住宅地としての基盤整備がなされたが、市街地の南北軸に接続する形で不動坂、北野坂、ハンター坂などの通りが、等高線に沿った形で東西の北野通り、山本通りという目抜き通りがつくられた。また、内部は従前の田園の畦道が転じたといわれる小道で曲がりくねっており、六甲山麓の微地形に沿っている。このような明治期に開発された山の手の住宅地にはその後多くの洋館が建てられた。、現在でもその多くが残されており国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 北野の異人館は、テレビドラマの舞台になったりして早くから神戸町歩き観光のスポットとなり、1980年代頃から北野通りや山本通りにおしゃれなブティックやレストランが建てられた。しかし、第二次世界大戦をくぐりぬけることが出来た異人館も阪神大震災のダメージからは逃れられなかった。現在、被災した住宅の殆どが修復されており震災の爪跡は薄れてはいるが、まだ崩壊したまま放置されている洋館もある。異人館は公開されているものや動態保存として活用されているものもあり好ましいことだが、一方観光客相手の商売性が前面に出た装飾や呼び込みがあったりしては旅人は幻滅させられる。あまりやりすぎると造られたテーマパークと変わらなくなってしまう。多少の演出はいいとしても震災前の状態くらいにとどめてほしい。異人館の間には普通の住宅やマンションが建っている。古い町並み観察者からはこういった建物は普通邪魔に感じるものだが、ここ北野町では逆に街としてのリアリティを演出していると感じてしまう。

2004

1988

北野異人館の代表「風見鶏の館」旧トーマス邸。
前に北野町広場が作られたため建物全景を収め写真は撮影できるようになったのだが・・・。

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北野町広場に面する旧シャープ住宅。アメリカ領事館として明治38年に建築された。(左)

北野坂の現代の町並み。こういう新しい建物のデザインこそ重要である。(上)

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もうひとつの目玉の「うろこの家」。2004年12月に訪れたときは屋根の上にサンタクロースが・・・。こういうのはやめたほうがいい。

1988

1988
異人館通り(北野通り)に面する「ラインの家」(上)

異人館通りに面して立つ門邸(手前)とシュウエケ邸(右)。洋館が並んで町並みを作っている。(左)

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北野町は洋館ばかりではない。和風住宅も多い。

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最も東の坂道から三宮方向を見下ろす。左側には大きな屋敷があり和風住宅、蔵、洋館が建っていた。(左)

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うろこの家から下る坂道。(上、左上)

うろこの家の裏側から山に登る道。(左)

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等高線に沿った東西の路地。(左)

坂の下の商業地へ下る南北の坂道。下りきると生田神社東門前の繁華街。(上)
参考資料 リンク
神戸市

参考文献
『図説 日本の町並み8 山陽編』 太田博太郎他 第一法規
『日本の町並みT 近畿・東海・北陸』 西村幸夫監修 平凡社