三軒家 戦災のない大阪 川に囲まれた浪花の下町

大阪府
大阪市
大正区
三軒家西2
泉尾1




交通

JR環状線大正駅下車
市営地下鉄大正駅下車





三軒家西
 

泉尾



2004.11.29
 太平洋戦争で大阪は広い範囲にわたって焼けたが、川や鉄道、幅の広い通り、社寺の緑などが類焼の拡大を阻む役割を果たした。JR大正駅周辺は、大阪の旧市街の中で戦災から免れた地域のひとつである。大正区三軒家西2丁目泉尾1丁目は、木津川と尻無川に挟まれた三角地帯。木造家屋が密集する下町ながら2つの川がこの町を戦災から守った。
 町は五番目状で、表通りと裏通りの繰り返し。その中の何本かの通りに古い町家が散見される。大阪の戦前の町家は大きく2つのパターンがある。ひとつはうねった瓦屋根の派手な袖卯建を構えて2階の壁面から軒裏まで漆喰を塗り込めた町家。もうひとつは2階壁面にスクラッチタイルを貼り軒を蔵造りのように段々に漆喰(あるいは銅板)にして木部を覆ったもの。前者を「大阪名物ごっつ卯建町家」、後者を「スクラッチタイル町家」と勝手に呼んでいる。三軒家のこの地域には、2つのタイプが目を引く町並みが残っている。
三軒家の北を流れる尻無川は倉庫や工場が並ぶ川で、水際には運河らしい風景が見られる。しかし、川から引っ込んだ場所に高いコンクリート堤防があり、町を高潮から守っている。

2つの川とJRによって囲まれた三角地帯には数件の古い町家が残る。尻無川の対岸にはガスタンクと大阪ドームがどーんとある。
三軒家西2丁目の町並み。所々に戦前の町家が残る。(左)

大阪名物ごっつ卯建町家(下)
東京の出桁町家に相当する。両者を比較するといかにも大阪っぽいと感じる。この形態、京都には見られないような気がする。
泉尾1丁目の町並み。
大阪の被戦災地区を歩くとこのような交差点が多い。(左)
三軒家一帯で最も町並みとして残っている泉尾1丁目の一角。

向って左の家はごっつ卯建町家2棟と白壁の蔵が合わさったごっつ見ごたえのある家。
ごっつ卯建町家の向かいの町並み
ごっつ卯建町家を交差点から見たところ。屋根のかかり方、袖卯建の形状など複雑。
泉尾1丁目の「スクラッチタイル町家」。このタイプは長屋になっていることが多い。この家裏手から南側は戦災に遭っているため戦前の建物は残っていない。
三軒家西の町並み。
泉尾1丁目の町並み。
参考資料 リンク
大阪市

参考文献