知多半島(2003.03.01) 大野、常滑、内海、師崎、ほか

 知多半島には、伊勢湾と上方・江戸を結ぶ尾州廻船で栄えた湊町がある。今回は、主にそれら湊町を訪ねることとした。
 江戸時代から明治前期にかけて、伊勢湾周辺の地域(尾張、伊勢、美濃、三河)と上方、江戸方面を結ぶ廻船の湊町として繁栄した町は、常滑、大野、多屋、北条、野間、内海、半田、亀崎などだ。
名古屋を朝早く出発したかったが、あいにくの雨。出足が遅れてしまった。予定通り廻れるだろうか。


大野
 常滑市大野町は、私の名前をつけてくれた和尚のいるお寺があった町で、幼い頃良く行っていた。かねてより、大人になってから一度訪れたいと思っていた。しかし、歩いてみるとまったく記憶にはなく、どこのお寺だったわからない。若い頃は、旅の内容は総て記憶していた。何時頃どの道を歩いたか、どんな場所だったか、事細かに覚えていた。社会人になってから急激に仕事以外の記憶が無くなってしまった記がする。最近では仕事の記憶もままならない。そんな状態で、集落町並みを歩くのだから密集した漁村や斜面上の山岳集落などどこがどうだったのか記憶は混乱している。
 大野は江戸時代から明治にかけて廻船総庄屋中村権右衛門の拠点として廻船業で、その後は繊維工業で繁栄した。日本最古の海水浴場として名高いようで、リゾートマンションらしき高層マンションもちらほら建っているが旧市街からは離れている。町は海に突き出した矢田川の小さいデルタ地形上に形成され、中心を通る旧街道と直行する矢田川によって、北東、南東、南西、北西に4分割される。
 古い町並みとしては、街道に面するものでは川より南側(常滑寄り)、北西エリアの川に並行して一本入った通り、南西エリア全体、駅付近に見所がある。特徴は、切妻平入りの
町並みで、伊勢湾沿岸で共通する黒板壁の町並みである。南西エリアの海沿いには敷地の大きな邸宅も見られる。
 町を歩いていると山車小屋がある。大野祭りは5月3・4日に行われ,小倉神社(高須賀町・唐子車),天満社(十王町・梅栄車),風の宮社(橋詰町・紅葉車)からそれぞれ山車が1台づつ曳き出され、からくり人形を備えた名古屋型の山車が巡る。また,町を流れる矢田川には権丸と呼ばれる巻藁船が浮かべられる。


谷田川沿いの町並み

矢田川に並行して一本入った通り(北西エリア)

谷田川の防潮壁の狭間から対岸の町並みを見る

旧街道沿いの町並み

街道から入った町並み(南西エリア)


常滑
 常滑は、日本六古窯のひとつに数えられる古くからのやきものの町。従来は土管・花瓶・土瓶・茶碗・人形などを焼いていたが、近年ではタイル・テラコッタ類の生産が産業主体となっている。タイル製造メーカーINAXの企業城下町でもある。また、江戸時代から明治前期にかけては尾州廻船のひとつ常滑船の湊町でもある。現在、常滑沖合いに中部新空港が建設されており、かつての海運の湊町は近い未来に空の港町となる。
 常滑のやきものは1000年の歴史をもち、日本最古とも言われている。常滑駅の南東にある小高い丘一帯を常滑焼の窯が覆っている。丘に上り迷路のような路地を歩くと黒い板壁の建物と赤レンガの煙突が点在する。建物のいくつかは主に陶器を陳列販売しているお店もある。庸壁や塀、屋根の棟部分、路地のペーブメントに焼き物が使われており、歩く者の目を楽しませてくれる。丘陵地のため視覚的な変化も豊富で、路地の正面に煙突が見えたり、ぱっと開けて煙突と家並みが見渡せたり、散策コースから外れて道に迷ったりと、ロールプレイングゲームのようで面白い町である
 かつての廻船問屋の居宅「滝田家住宅」が保存復原されており、廻船港時代の常滑も垣間見られる。また、建築材料としての焼き物「タイル、テラコッタ」の大手メーカーINAXのお膝元でもあり、町のあちこちに工場が点在している。奥条のINAX東工場前には「窯のある広場資料館」「世界のタイル博物館」がある。
「丸の内現象学」でも紹介している日本工業倶楽部会館・三菱信託銀行本店ビルの工業倶楽部の外装タイルや外装テラコッタもこの町で生産された。
 市内は、古窯の集中する丘を巡る「やきもの散歩道Aコース」とさらに足をのばして巡る「Bコース」があり、案内があって歩きやすい。たまに案内が不充分で道に迷うこともあるが、それもまた楽しいと感じる集落である。


古窯のレンガ煙突

建物は黒板壁で、2層3層

かつての廻船問屋の居宅「滝田家住宅」わきの通り
舗装にも焼き物が使用されている



野間 奥田
 常滑を後にしてさらに知多半島西海岸を南下する。美浜町野間も尾州廻船の船主のいた集落。上野間は野間からは4キロほど常滑よりの町で、国道247号線と海岸との間に集落がある。奥田と野間は、国道247に並行して国道の西側を走っている通りに面して黒い町並みが残っていた。
いずれも伊勢湾沿岸に共通する黒板壁の民家が特徴である。

上野間 国道上野間交差点から海に向かう通り

上野間の集落

野間 正蔵寺近くの民家

野間 国道の西側を並行して走る通りに面する民家
大きな屋敷で地元企業の事務所になっていた

奥田 国道と並走する通りの町並み

奥田 黒板壁の付属屋が囲む大きな屋敷
蔵も何もかも黒板で覆われる


内海
 内海は名古近郊のビーチリゾート。東京で言えば、三浦半島三崎口のような場所か。国道と海岸との間が丘状になっており、丘の上と周囲に集落が形成されている。丘の海岸線沿いはホテルが並んでいるが、丘の上や国道側に古い町並みが多少のこる。古い民家は点在しておりまとまった町並みはない。

川面に映る町並みがきれいだ

丘から川に下る坂道


豊浜
 内海からさらに半島西海岸を南下する。
遠洋漁業の基地として栄えた。通りから一皮入ったところにちらちらと町並みが見られた。

料亭旅館「東西屋」

豊浜の町角

超長い建築があった。酒蔵かなにかであろうか。


師崎
 師崎は知多半島先端の漁村。近海漁業を営んでいる。尾州廻船は消滅したが、師崎と伊勢の鳥羽や渥美半島の鳥羽を結ぶ伊勢湾フェリーの航路に名残を感じる。
 国道から分かれた旧道の周辺に古い集落がある。幅の狭い路地に面して商店が並んでいる。

写真は広角レンズなので感じないが路地は狭い

バルコニー付き民家。旅館か遊郭建築か?


豊丘
 師崎から知多半島東岸を北上する。ゆっくり海岸線を北上したかったが、朝の出だしが遅かったせいで暗くなってきてしまった。半田のミツカン酢工場倉庫が見たかったので、半島の背骨部分を走っている南知多有料道路を
利用することとした。終点の豊丘インター手前できれいな町並みに出会った。半田へ急いでいたためいったん通りすぎたが、やりすごしては絶対後悔すると判断しインター手前でUターンして歩いてみる事にした。
 小さな川沿いの非常にきれいかつ上品な印象を受ける町並みである。ひきかえして良かった。

川沿いの町並み


川と反対側の集落に分け入った 大きな屋敷が並ぶ



川を渡った集落の路地 なんとも心地よい集落空間である

長屋に囲まれた屋敷


半田
 半田は知多半島中央部に位置する。尾州廻船の湊でもあり、古くから醸造、繊維の町として栄えた。常滑同様、ゆっくり巡りたい町だがもうすっかり日が暮れてしまった。しょうがないので、ミツカン酢工場の一角のみ立ち寄ることとした。
 半田駅の東側、川をはさんでミツカン酢の黒い倉が建ち並ぶ。なかにはミツカンの社屋である近代建築も見られる。
町そのものが工場の敷地という感じだ。歴史の香りも漂うが、すっぱい香りも漂う町並みだ。私の職場に、半田駅の西側にある半田高校出身の同僚がいるが、彼いわく「駅東のミツカン工場方向からすっぱい匂いがしてきたら決まって雨が降る」そうだ。すっぱい匂いは天気予報にも役立っている。