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集落町並みの歩き方見つけ方 【宿場町編】


まず、集落町並み歩きの基本である宿場町・街道町から紹介していきましょう。
宿場町・街道町は街道に沿って線的に形成されているので、端から端まで歩けばいいのです。古い町並みを見つけることも比較的容易といえます。

旧道をたどる
宿場町・街道町の古い町並みが残っている町は共通した現象が見られる。まず徒歩時代に街道の主要な交通結節点などにあって繁栄ししっかりとした建物が建てられる。次に@鉄道時代になった際、鉄道が離れた場所に敷設され、町が衰退していった場合。また、鉄道駅は町の一番端に出来たが、その後自動車時代に入って街道がバイパスとして迂回し衰退していった場合。このような場合に古い町並みがまとまって残る。
中でも川や峠の手前にあった宿場町は、徒歩時代に宿泊する人が多かったから特に繁栄した。しかし、鉄道や道路は自然の険しさとは関係なくトンネルや橋が造られるのでかつての町から離れる場合が多い。
国道を車で走っていると二股があって細い道が真っ直ぐ行っているのに国道がそれていくような場所があると思うが、そういう細い道が旧街道なのである。したがって地図で見ていても実際に走っていても「これが旧道かな」と簡単に予測することが出来る。

ここでは福岡県北九州市にある長崎街道木屋瀬宿を例にあらかじめ町並みを調べ、実際に歩いてみよう。


町の構成を把握する
1/25000地形図は古い地形図から順次更新されていってるから、古い道路については必ず記載されているし旧市街の密集地についてはハッチングで表現されている。また、古い町並みに必ずある神社や寺、郵便局なども記されている。したがって、古い町並みを歩く時のベース地図としては1/25000地形図が最適である。
上は木屋瀬の地形図、左が北である。木屋瀬は遠賀川の河港でもあり水陸交通の結節点として徒歩時代に大いに栄えた。左上の小倉からやってきた旧長崎街道が九州自動車道の下をくぐったところからハッチング(斜線表示)が始まる。遠賀川に架かる中島橋の袂付近で旧街道が大きく曲がっていて神社や寺がある。このあたりが中心っぽい。さらに南(右)へ進むと道路幅表示が狭くハッチングも続いている。このハッチングエリアが旧宿場町であろうと推測がつく。一方、鉄道(筑豊電鉄)の木屋瀬駅は離れており、また現在の幹線道路も外れている。さらにハッチングの周りの市街化があまり進んでいないようなので、木屋瀬宿には古い町並みが期待できる。
次に空中写真を見てみる。
空中写真は地形図より前の時点なので九州自動車道は建設中。地形図では旧宿場町の範囲がわかったものの現在町並みが残っている核心部分がどこかまでは読み取れない。そこを補うのが空中写真である。街道に沿って建ち並ぶ屋根の形や向きがわかるが、はっきりと旧街道が大きく曲がっている場所の北側(左側)と南側(右側)で違いが見られる。北側半分は比較的大きな町家が平入で並んでいるのに対して、南側半分は比較的間口の小さな町家が妻入で並んでいそうだ。そして見所は北の入り口付近と折れ曲がり近くの北側であろう。南側半分は大きな町家はないが道路が道路幅が細いので(整備されていないので)良い町家が残っているかもしれない。

シークエンスを楽しむ
では、車で訪れたと想定し実際の宿場町を歩いてみよう。地形図でハッチングしてあったエリアを北の端から南の端まであらかじめ流してみる。予測どおり良い町並みが見られそうだ。車の置き場所としては旧街道に面しては無く(駐車場工事中だった)、丁度中央部にある神社の脇において歩きはじめた。中央部からいったん北の端まで街道の東側を歩いていく。北の端から南の端にかけては西側を歩き、中央部に戻る際はまた西側をあるく。こうやって歩くことによって撮影された写真や記憶の順序が混乱しなくて良い。
旧街道は地形に従って緩やかに曲がっているので北側半分はシークエンシャルな町並みである。

規則と変化の現象を見ていく
実際の町並みは間口の大きな敷地を持つ家が宿場町の中央部と北の端にあり、標準的な町家は妻入であった。北部九州特有の「居蔵造り」という防火性能の高い町家の並ぶ町並みであった。このあたりは地形図や空中写真ではわからないところである。しかし、防火性能の高い蔵造りや塗屋造りの町並みというのは、かつて大火があった可能性が強く、大火の後に防火性能の高い建物をいっせいに建てたためスタイルがそろった町並みが形成されたということもあるようだ。木屋瀬は不明だがその可能性が高い。
別の事例だが新潟県柏崎市では戦災にあっても道路拡幅もされていないのに古い町家があまり残っていない。しかし、残っている建物が妻入の蔵造りであった。これはかつて少なくとも2回大火があったわけで、最初の大火で蔵造りの町家が建てられ次の大火で燃えてしまったことを意味する。