2006夏みちのく合宿

巷の学習塾では夏休み中の勉強合宿が企画されており、わが娘の通う塾からも誘いが来た。合宿生活も面白いし、一日中みっちりと勉強をさせられるというのもまた良い体験だと思う。ところが、娘は行きたくないという。それじゃあと、パパ塾の合宿を企画することになった。現地で4泊の滞在型の合宿だが、私が企画するからには行きと帰りに集落町並みを歩かせてもらおう。現在攻めている西日本を希望したが、暑い時期に西日本なんかに行きたくないと家族からは反対され、例年と変わらず北へ向かうこととなった。岩手県八幡平高原のリゾートホテルに4泊、行きは宮城県から岩手県南部の太平洋岸の町を、帰りは秋田県日本海岸の町を取り入れることにした。
時は2006年8月12日(土)午前0時。夜中ではあるがすでにお盆休みの帰省ラッシュが始まっている。渋滞を避けて東北道を敬遠し常磐道からアプローチする。福島県いわき市で高速道路を降り北上。交通量の多い国道6号線を避けて抜け道の県道を走っているともう夜が明けてきた。朝もやが垂れ込める田園の中を気持ちよく飛ばす。今日の町並みWalkは宮城県石巻からスタートする予定である。
 
石巻(宮城県石巻市)
混雑と仮眠を繰り返し、予定より遅く石巻に到着した。ここでは、以前訪れたことにある洋風近代建築の残る交差点を再訪し、周りの町並みを歩くことが目的である。
タイル装飾過多の観慶丸商店の前の交差点に立つと何か足りない。そう向かいの洋風近代建築「第二SSビル」の隣に並んでいた洋風看板建築が姿を消して空地になっているではないか。石巻の町中を探索したが古い町並みはこの交差点しかない。それだけに失われたのはまことに残念である。
北境(宮城県石巻市)
石巻市街から旧北上川を8kmほど上ると旧河北町北境集落がある。この地域は雄勝町で採掘される粘板岩(天然スレート)で葺かれた屋根が多い。北境はその中でもスレート屋根の残存率が高い集落である。かつては茅葺だったものが明治中期から天然スレートに葺き替えられていったという。
北境の集落には規模が大きく立派な農家ばかりである。長屋門を構え、門から主屋まで天然スレートに似た稲井石(仙台石)が敷き詰められている。
登米(宮城県登米町)
北上川に沿って遡って、約15年ぶりの登米を訪れた。前回はカミさんと一緒でもちろん娘は居なかったけれど、今回は3人である。懐かしいけれど不思議に記憶が新しい。
三日町の町並みから警察資料館、武家屋敷跡と歩いて教育資料館(旧登米高等尋常小学校)と家族とともに歩く。教育資料館は素晴らしい木造校舎で、教室一つ一つが展示室になっていて大変興味深い。娘が興味をもって全ての展示室を見て回った。最後に建築家隈研吾設計の森舞台まで見学し、予定以上の時間を食ってしまった。やはり家族同行だと時間が読めない。
気仙沼(宮城県気仙沼市)
気仙沼は東北地方を代表する漁港である。美味しい魚を目当てに昼食に時間をこの町に合わせた。漁港にあるフィッシャーマンズワーフにある人気のレストランには長蛇の列だ。がんばって並んで鮪丼を食した。
腹ごしらえをしたあと気仙沼の町並みを歩く。気仙沼の町並みに関する情報は乏しいので場所の見当がついていない。旧市街を隈なく探索するとあるエリアにユニークな建物が集まっていることが分かってきた。これは昭和4年の大火の後に復興した町並みである。したがって昭和初期の特徴で統一された町並みとなっている。思いがけない掘り出し物である。
鮪立(宮城県気仙沼市)
テレビの旅番組で、気仙沼近くの唐桑半島にある鮪立という変わった名前の集落を知っていた。鮪漁で財を成した家々が建っている集落という。
集落内を廻ってみるとなるほど御殿建築が目立つ。古いものは天然スレート葺の屋根、新しいものは造形に凝った瓦屋根。港は三陸ならではの静かな水面だった。
今泉(岩手県陸前高田市)
国道45号線東浜街道を走って岩手県に入る。陸前高田今泉は近世に浜街道と今泉街道が交わる交通の要衝として栄えた宿場町。町には鈎型が残っており古い建物も僅かながら見られる。三陸海岸沿いにはあまり古い町並みが見られないので目立ってはいるものの、町並み紹介本で大きく取り上げられているほどのものではない。特徴は海鼠壁をあしらった蔵造りの商家である。

今日はもう一箇所「遠野」を計画していたが、ここで時間切れ。徹夜で走ったため途中で何度も仮眠をとったため予定から大幅に遅れてしまった。遠野、何度計画しても行き着けない遠い町である。
旧松尾鉱山(岩手県八幡平市)
八幡平のリゾートホテルでは3日間の勉強合宿。午前中勉強して昼ごはんを食べに外へ出かけた時のみ2時間程度の自由時間が与えられている。近くに廃墟マニアに有名な旧松尾鉱山という鉱山町がある。そこへ行ってみようかと持ちかけたら、いつに無く女房が興味を示した。こんなことは珍しいことである。
鉱山跡は八幡平アスピーデラインを上った山の上にある。高原の草原の中にコンクリートの建物の廃墟が残っている。役目を終えた人工物が朽ちながら草木に覆われ自然に帰っていく様を見るようだ。鉱山跡というのはなぜだか自然の真っ只中にあるケースが多い。長崎県崎戸炭坑端島炭坑などと印象が重なる廃墟である。

角館秋田県角館町)
3日間の八幡平での合宿を終え、秋田県経由で東京に戻る。秋田県では秋田市と本荘市周辺の集落町並みの訪問と角館の再訪を計画している。
八幡平の涼しい夏とはうって変わって秋田県の里はフェーン現象による猛暑である。
角館は以前、伝建群の武家屋敷町を訪れていたものの町人町を歩いていなかった。うっそうと茂った屋敷林によって武家屋敷町は涼しい。女房娘はこの町のカキ氷屋に残し、一人灼熱の町人町を歩く。煉瓦蔵で有名な安藤商店は町の一番端っこにあった。座敷蔵は内外とも一見の価値あり。そしてもう一つ一見の価値があるのが、デコラティブに彫刻された軟石が積み上げられた伊保商店、これはすごい!
秋田(秋田県秋田市)
私だけが持っていたイメージかもしれないが、秋田市では古都の名残を感じる町並みが見られと勝手に思っていた。しかし、秋田市はほぼ全域を戦災で焼失している。中心部には戦前の木造建築の遺構はほとんど残っていない。
旧秋田銀行本店は明治45年の煉瓦造で、歴史の色が薄い町の中では重要な歴史遺産となっている。また、土蔵や煉瓦の建物でも僅かながら残っている。中心部から離れた戦災を受けていないエリアに行ってみると古い町家が残っていた。
秋田の港町として栄えた土崎も訪れたが古い町並みとまではいえず、2,3の建物を確認する程度であった。
亀田(秋田県由利本荘市)
秋田市から本荘へ向かって日本海岸を南下する。道端の所々にパラソルを立ておばあさんがアイスクリームを売っている。灼熱の中で、それも数箇所で発見された。東京に戻って調べたら分かったことだが、秋田県内では「ババヘラアイス」といって有名だそうだ。秋田県人はそれほどにアイスクリームが好きなのか。
亀田は数年前に歩いているが、夕刻で不十分だったため今回ちゃんと歩きなおす。岩城氏の城下町として整備された町だが、戊辰戦争の戦場となり武家屋敷町の遺構は残っていない。町家筋には古い町家が残っていて歴史の面影を感じることができる。
石脇(秋田県由利本荘市)
本荘市街は区画整理で道路拡幅などの工事が盛んに行われていた。もしかするとそこには古い町並みが残っていたのかもしれないが今さら確認することは出来ない。
本荘市街の北側を流れる子吉川の由利橋を渡る。石脇は亀田藩の河港として発展した町で、湧水が得られることで酒造業、醤油醸造業が興った。町並みには立派な商家が今でも残っており、かつての隆盛ぶりを感じることができる。
由利正宗の齋彌酒造本店は真ん中を洋風建物を据えた珍しいもので、旅の記念に由利正宗の小瓶を購入した。
高屋(秋田県由利本荘市)
本荘市の南部、旧西目村の日本海岸はさ砂丘上に一つ一つの集落が塊状に形成されている。「日本の集落1」の秋田県で紹介されている鳥瞰写真に魅かれ、一度訪れたいと思っていた。今回の旅の目玉でもあった。しかしである、空から見て面白い集落は必ずしも地上から訪れてその特徴が分かるものではない。リストから外すのも気がひけるので残すことにした。何れ「平野の集落」として特集する機会もあろうが、その中取り扱いたいと考えている。
国道7号線を酒田方面に向かって走る。左手には鳥海山が綺麗に全容を見せている。象潟を過ぎたあたりで日本海に夕陽が沈んだ。酒田では、バイパス沿いに美味しいとんかつの店があるというので行ってみた。「平田牧場とんや」は三元豚という美味しい豚肉を使ったとんかつの店。全国ランキングでもトップ3に入っている店である。ここも待たされたが、噂の通りかなり旨い。しかも旨いのに安い。日頃評価の厳しい女房もこれには絶賛しているし、娘もぺロッとたいらげてしまった。これはお薦めの店である。
東北旅行の復路は一般道を走って帰るのが通例だが、今回は仕事の疲れもあってとてもその気が起きない。酒田からそそくさと高速道路に乗ったものの疲れから眠くてしょうがない。パーキングエリアで仮眠をとった。目が覚めて車の外に出てみると満天の星。庄内平野の満天の星空で2006夏の家族旅行は終わった。