東京の郊外住宅地T(2003.11.23-24)
洗足・田園調布・日吉・桜新町

3連休だというのに体調がすぐれず遠出ができない。かといって家の中にじっとしていられない性分でもある。こんなときのためにとっておいた町がある。東急沿線の洗足と田園調布。いずれも大正期に田園都市株式会社が開発した東京郊外の住宅地である。
東急目黒線で目黒駅から10分ほどの洗足で下車。駅前の地図で歩く範囲を定めようとするが定まらない。大正期に開発された当初の街区割の範囲が地図を見ただけでは見当が付かないのである。情報としては、洗足2丁目、小山7丁目、旗の台6丁目という住所だけ。一応、この住所の範囲をすべて歩くこととした。なかなか当初の住宅は残っていないが、丘の縁の段差のある場所や視界に入る大きな木がある家を目指すと、開発当初に建てられた屋敷や住宅を見つけることができた。
田園調布は今や有名人の住む高級住宅地。放射環状の街区を、環状の通りを内側から順番に歩いて巡った。生垣と大きな木がある家はかつての佇まいを残しているが全体の2割程度。有名人の住宅なのか塀と門で立派にガードされている新しい住宅の佇まいが4割程度。細分化した宅地が4割程度、というのが印象である。放射環状街区が地形によって崩れる南部エリアに矢野一郎邸があったが日が暮れてきたこともあって見落としてしまった。現存していればだが・・・。


翌日、矢野一郎邸を見落としたことが気になり再度、田園調布に出かけた。まず駅の東側の商店街を歩くが、その背後の住宅地に割りと古い住宅が残っていた。つぎに昨日歩かなかった南部エリアを丹念に探すが矢野邸が見つからない。そうこうしているうちに、台地南端の田園調布カトリック教会に出会った。修道院を併設しておりなかなか見ごたえのある建築である。矢野邸については住所を頼りに探索したが、そこは戸建住宅群に建て変わっていた。見た感じ建て替わって10年ほど経った様子。もっと早く訪れていればと悔やまれる。これだからおちおち家で寝ていられない。
その後、東急東横線に乗って横浜市の日吉へ。田園調布と同様の放射状のつくりだが、宅地は狭く商業施設が入り込んでいるのでまったく町の雰囲気は異なる。
最後に東京世田谷区の桜新町。大正初期に計画された分譲地は、真ん中を国道が分断しているものの、かつての佇まいは変わっていないのでは、と思うほど。東京23区とは思えない風景と環境だ。

洗足
田園調布
日吉
桜新町