日吉 | 昭和初期 学園と住宅地がセットでつられたまち | |
神奈川県 横浜市 港北区 日吉 交通 東急東横線 日吉駅下車 綱島街道日吉駅前 |
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大正15年、東京横浜電鉄神奈川線の丸子多摩川〜神奈川間が開通(現、東急東横線)し、沿線の住宅地開発が始まった。当時は都心部の居住環境の悪化とラッシュアワーを解決するため、郊外に大学を移転させ住宅地と一緒に整備した。「学園都市」という住宅地のイメージアップを図るとともに、通勤と通学の方向を相対することで鉄道の混雑を解消しようとした。 日吉の町は、昭和初期、鉄道の開通に伴って「日吉台」という台地の上を開発した町である。鉄道(+綱島街道)の東側に慶應義塾大学のキャンパス、西側に放射環状の住宅地という構成。鉄道が掘割であったため駅の東と西は障害なくつながっており、キャンパスの軸線がそのまま駅上を突っ切って西側住宅地のセンターの放射街路に抜けている。 現在の日吉駅西側の住宅地を歩いてみると、放射環状街区のうち4本目の環状街路までくらいは商業地。その外側が住宅地となっている。先の田園調布の場合は駅西が住宅地特化、駅東に商業というのと異なっている。住宅地の敷地は分割も進んでいるため田園調布に比べるとずっと小さい。当時の住宅もあまり見られないが、台地の段差部分には比較的大きな敷地の家が見受けられた。 駅の反対側、綱島街道を渡ると慶応大学のキャンパス内で、一直線の銀杏並木が続いている。行き着く先は記念館前の広場で、円柱の列柱が特徴の白い校舎に挟まれる。振り返ると銀杏並木の先に日吉駅が見える。 |
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日吉駅西口広場 半円形の駅前広場に放射街路沿いの商店街が3本ゲートを構える。駅前に建つと町に見つめられているような妙な気分になる。 |
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内側の商業地区は道路が狭く交通量が多く、落ち着いて歩いていられない。そこを抜けると、放射街路には商業ビルが建っているが、環状街路には住宅が貼りつくようになる。 | ||
駅広からみて右斜め45度方向に歩いていくと、台地の縁のエリアがある。その辺りに分譲当初に建てられたと思われる住宅や大きな屋敷が見られる。 | ||
慶応日吉キャンパスから銀杏並木越しに日吉駅を見る。 | ||
銀杏並木を上りつめると白亜の校舎に挟まれた広場にでる。 昭和9年、曾根中條建築事務所の設計。 |
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参考資料 | リンク 横浜市 慶応義塾大学日吉キャンパスの歴史 参考文献 |