桜新町 大正初期に計画された桜並木の郊外住宅地

東京都
世田谷区
深沢7、8
桜新町1




交通

東急田園都市線桜新町駅下車


国道246号線
桜新町





桜新町




2003.11.24
大正2年、桜新町は東京信託(現日本不動産)が関東ではじめて郊外住宅地として計画した街である。当時の町名は「新町」だったが、住宅地を一周する道路に桜が植えられて、一躍街は有名になり、「桜新町」に改称された。
古い地図をみると、旧大山街道東側の田園の中に長方形の住宅地が確認できる。旧大山街道の路面を走っていた玉電の駅から商店街を抜けると道が二股に分かれている。その辺りからが住宅地である。現在の住宅地は、長方形の約1/4位のところを国道246号線が分断しており、国道から西側が桜新町1丁目、東側が深沢7、8丁目となっている。周辺の住宅地と連続してしまっているが、大きく整形な街区や外周の桜並木によってその範囲を認識することが可能だ。
桜並木は老木といえるほど成長し桜のトンネルを作っている。春の花咲く頃や秋の紅葉時にはとても美しい。また、住宅地の北側を並行して流れている呑川の桜並木も絶品である。
桜新町駅と住宅地を結ぶ商店街「サザエさん通り」
桜新町は長谷川町子が住んでいた町だった。
二又路を右へ折れると煉瓦壁の「長谷川町子美術館」
サザエさんの原画が見られる。多くの人が訪れている。
美術館の前の道から住宅地を一周する桜並木が始まる。
国道246号線を渡って目抜き通りを東へ向かう。東西の目抜き通りは2本ありいずれも桜トンネル。
大きく古い屋敷は、立派な門構えと生垣、高く育った庭木の構成。
中の家が見えないほどの屋敷も多い。
南北の通り。ここには桜はない。
住宅地の中で見かけた純和風住宅。お寺の庫裏のような住宅だった。
桜新町住宅地の北側を並行して流れている呑川。川幅の小さい水の流れと桜の老木並木の組み合わせがなんともいえない。ここからちょっと下流に行ったところから川には蓋がされ、桜並木の遊歩道となる。
参考資料 リンク
世田谷区


参考文献