備後路紀行
 

全くけしからん。なんと3月のJRダイヤ改正で伝統のブルートレイン「特急あさかぜ」が廃止になってしまったのだ。「さくら」や「みずほ」もいつの間にかなくなっているし、一時大ブームを巻き起こした東京発西行きのブルートレインも「特急富士・はやぶさ」だけになってしまった。しかし、「富士・はやぶさ」では早すぎて仕事が終わってからでは間に合わないし広島到着も早すぎる。かといって始発の「のぞみ1号」や飛行機では到着が遅すぎる。広島まで夜行バスに揺られるのはさすがに体力的に厳しい。そうなると選択肢はいつもの「特急サンライズ」しかない。しかもサンライズのノビノビ座席は安くてバスより快適なため人気があって指定券がとれなかった。泣く泣くいつものサンライズ出雲の上段シングル個室を予約し、金曜の夜22:00に列車に乗り込んだ。今日は会社の飲み会があり結構酒がまわっている。気が付くと米原で、次に気が付くともう姫路であった。酒のおかげでぐっすり眠れたのは良いことだ。岡山に近づくと朝一番の車内放送が流れた。このまま乗っていると山陰に連れて行かれるので岡山で下りる。まだ肌寒い駅の階段を登って新幹線に乗り換える。古い車両のこだま号広島行はガラガラだった。7:03、広島岡山県境を越えてすぐの福山で降りた。
横尾(広島県福山市)
福山でレンタカーを予約しているが8:00からなので、それまでの1時間を使って福山市横尾の町を歩く。福塩線で2駅、横尾駅から100mほど歩くと国道182号線で、そこに旧横尾宿の町並みがある。町家は海鼠壁をあしらった漆喰壁でしっかりした造りのものが多い。中には洋館もある。現役国道沿いにしては良く残っている方で良いのだが、何せ交通量が多い。狭い道路をトラックやバスが、カメラを構える我が身の肩のすぐそばをかすめていく。神経が町並みにいっているだけに大変危険である。
上下(広島県上下町)
福山に戻ってレンタカーを借りる。レンタカーはホンダライフの新型。志摩紀行で借りた旧型のハンドリングはひどいものだったが新型では随分と改善されている。福山から北西へ芦田川の堤防上を走る。府中の町を過ぎると山間部となる。山間部とはいってもしょせん中国山地なので険しくはない。だんだん路肩に雪が現れてきた。一昨日、冷気が流れ込んで山沿いに雪を降らせたらしい。
上下町は屋根の上に雪が残っており、雪解けの水がそこここでポタポタ落ちている。なんだか北陸に来たような感じである。町並みは旧道沿いに展開するが、駅前付近から東方向に残っている。大森銀山から瀬戸内へ銀を運んだ出雲街道は当時相当賑わったのであろう。立派な商家や芝居小屋が残っていた。
東城(広島県東城町)
上下から国道162号線を北上する。景色はすこぶるよく、山の斜面には段々畑の石垣と草屋根を金属でカバーした背の高い三角屋根の民家が、とっても良い山村集落景観となっている。先を急がなければこのあたりの集落を探索したいものだが今回はやり過ごす。
東城は山間の城下町であり交通の要所。旧街道の桝形付近が道路拡幅のため面影を残していないのが残念だが、その前後に街道や砂鉄で栄えた、古い町家が連なるいい町並みが見られる。面白いのは、ここ東城だけに1階軒先に「板のれん」と呼ばれる雨や雪の吹き込みを防ぐ幕板が見られることである。同じ機能でも紀伊半島の出っ歯型とは形状が異なる。
西城(広島県庄原市)
東城があれば西城もある。ところが、東城から西城へは簡単に行けない。山を越えるのが最短距離だが雪のことがあるので国道で大きく迂回することにした。
西城はまさに中国山地の中の町という雰囲気で、大きな石がゴロゴロ出ている西城川の川岸に接するように町が形成されている。西城川は大雨の時には相当水位があがるのであろう、川岸の建物は水面から高く上げられている。しかし川からの荷揚げもあった模様で階段で上り下りできるようになっている。町並みには古い民家は少ないようだが、上部を芸備線が横切っておりその関係がスリリングで面白い。
三日市(広島県庄原市)
三日市は中国地方の町並みを精力的に歩いている郷愁小路の孫右衛門さんが見出された町並み。いい写真を見せていただいていたので今回是非訪れたいと思っていた。庄原の町を抜けた旧街道は西へ台地を上って行く。その緩やかな坂道に同じ規模の町家が連続して残っている。緩やかな傾斜は町並みに奥行きを感じさせ、段々に上っていく軒線が実にリズミカルである。
旧街道を庄原方向へ戻ると西本町に昭和の色濃い町並みが見られた。モルタル吹き付けの3階建て看板建築や旧銀行建築などが残っている。
三良坂(広島県三次市)
三日市からは西へ向い三次に行き、福山に戻る途中に三良坂と吉舎を歩く行程であった。ところが間違えて三良坂に先に向ってしまった。地図を見ながら走っていれば間違えないものを、カーナビに頼りきっているからこうなるのである。
三良坂は、出雲大森銀山から銀の積出港である尾道を結ぶ石見銀山街道の在郷町である。平入漆喰系の町家が多いが中には大きな商家もあり、往時の繁栄ぶりが伺える。
三次(三重県名張市)
三日市からのルートを間違えたので、わざわざ三次まで足を伸ばすような形になってしまった。日が長くなって来たとはいえ焦る。しかし、三次の町は大きく、車で流すがなかなか見所が絞りきれない。やがて川沿いの町に古い町並みが残っているとわかってきた。だが、通りは南北に長く、要所が南端と北端に分かれている。丁度中間地点に車を停めて北側から歩くことにした。
三次は「卯建の似合う町」で売り出しているが、本卯建は南端にある一軒だけで他はみな袖卯建だ。特徴的なのがその袖卯建に屋号が表示されているとこで、北端に屋号入り卯建が並ぶスポットがある。中間エリアには近代洋風建築が見られ資料館にもなっている。
吉舎(広島県三次市)
三次から再び三良坂を通り過ぎる。今日最後の目的地である吉舎に到着した時にはもう17:00を回っていた。日没が関東より遅い西日本であることで少々助かった。
吉舎も石見銀山街道の町。街道は直線だが馬流川が蛇行するため町は2つに分断されている。その間にあるのが巴橋。橋の袂には、南側に大きな造酒屋、北側に3階建ての奇妙な洋風建築である写真館。両者が両町のランドマークになっている。写真館は昭和2年に竣工したもので当時は珍しく見物にきた人が結構いたという。吉舎は銀の道で栄えた面影が残るいい町並みであった。
松永(広島県福山市)
広島攻めの2日目。今日は地元Walkerの孫右衛門さんと瀬戸内の芸予諸島を歩く予定である。山陽本線松永駅で待ち合わせとしている。なぜ松永駅なのか?。それは「しまなみ海道」に近く松永にいい町並みがあるためで、待ち合わせ前に松永の町並みを歩こうという計画である。
松永も孫右衛門さんが見出された水辺の町並み。さわやかな朝一番ということもあり、とてもいい町並みであった。松永は「下駄作り」の町。水路には原木が何本も横たわっていてその近くに製材所があった。下駄の材料を切り出しているらしい。
弓削島(愛媛県上島町)
孫右衛門さんの車で「しまなみ海道」を島伝いに走る。村上水軍の拠点として有名な因島の土生港から船に乗り換え愛媛県の弓削島へ渡る。弓削の集落は2つの島の間に砂州が発達してつながったような地形の場所で、町の両側が海である。2つの海を結ぶ目抜き通りがあって(といっても細い道だが)、そこに大きな屋敷が並んでいた。目を引くような町並みはないのだが、瀬戸内の島らしい海の静かな平らな漁村である。町を歩いた後、小高い丘の上にある寺と墓地に上り町を見下ろした。島の人々は常に先祖に見守られて住んでる。
岩城島(愛媛県上島町)
弓削島から岩城島に渡る。2つの島を含めるこの近辺の愛媛県の島々は最近合併し「上島町」となったらしい。弓削島で町のお祭りをしているため他の島から大勢の人々が弓削港で下船した。
岩城島は港に青い小船が浮いている。この島では青いレモンを栽培しているそうだが、この青い小船は農船らしい。岩城島は帆船時代の港町だったそうで期待して町の中に入っていく。しかし町には残念ながらあまり古い町並みは残っていなかった。見所が少ない割りに復路の船の時間まで2時間もあるのでゆっくり昼飯をとることにした。丁度いい料理屋があったので海の幸を肴に昼間っから酒を随分飲んだ。

椋浦(広島県因島市)
土生港に戻ると雨がしとしと降ってきた。土生の町を車で流すが目ぼしいものはなし。次の予定地、島の反対側の椋浦へ向う。因島の北東岸は山が海に落ちた険しい地形であり、椋浦集落はその間の小さな谷に形成されている。椋浦は因島でも古い集落のようで、明治時代には廻船業で栄えた船主の集落である。その歴史を物語るかのように集落内にはしっかりとした造りの民家が多く見られた。
高根(広島県瀬戸田町)
美しい斜張橋である生口大橋を渡り生口島へ、さらに高根島へ渡る。高根はみかんの農村の中に入母屋本瓦屋根の農家が点在する集落。家々は一つ一つが立派なもので柑橘系農業で古くから潤っているのであろう。天気はしとしと雨で潤った感じもまた良いが晴れていたらもっといいだろう。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌が聞こえてきそうなのどかな島の景である。
瀬戸田(広島県瀬戸田町)
生口島に戻る。瀬戸田は耕三寺という悪趣味?の寺の門前町として栄えた町。なにが悪趣味なのかというと、日光東照宮のフェイク寺?だから。鉄鋼事業で財を成した寺の創始者が母堂が生前、日光に行けなかったのを悔いてこの寺を建てたという。町並みとしてはその門前町と海岸線沿いの町が見所。双方が交差する角に最も大きな商家が居座っていた。しかし耕三寺、西の東照宮と言われているそうで、ものめずらしさに観光客が多く訪れているようだが、私は入る気がしなかった。門前町に旅番組で有名になったコロッケ屋があったので試しに食してみた。そのお味は、なかなか美味しかったぞ。

中野(広島県瀬戸田町)
瀬戸田の周りは高根と同様ミカン畑である。耕三寺の後ろに果樹園が広がる中野地区にも入母屋本瓦屋根の立派な農家が見られる。が、ここはさらにゴージャスで一軒一軒が塀をめぐらし、長屋門を備える。米作で潤った関東平野筑波山麓の集落のようだ。この長屋門、実はミカン小屋でもあるようだ。しかし、同じ芸予諸島でも広島県と愛媛県ですいぶんと印象が違う。どちらも果樹栽培が主力農業であろうか広島県の集落のほうが潤っているようだ。
帰りの尾道で「尾道ラーメン」を食べて孫右衛門さんと別れた。ご案内、本当にありがとうございました。
府中(広島県府中市)
福山に二泊した後の朝、福塩線に乗って府中の町を訪れた。町並みは駅から離れているのでタクシーで一番遠い場所まで行って下ろしてもらった。出雲へ続く石州街道の町並みは川に沿っており、緩やかに下りながらずかに蛇行しているためシークエンス感のある景観を楽しむことができる。特に石州街道沿いの町並みの南端付近はディープで、出桁造り漆喰塗込めの町家が白・黒・茶と並ぶ。しかも辻に建つ家は城郭のような造りだ。古くは国府が置かれた由緒ある土地、備後路の最後を飾るに相応しい重みのある町並みを味わうことが出来た。
広島攻略、次回は西部の安芸路を廻る予定である。