吉舎 吉舎

広島県
三次市
吉舎町
吉舎




交通

JR福塩線吉舎駅下車






吉舎



2005.03.23
三次から再び三良坂を通り過ぎる。今日最後の目的地である吉舎に到着した時にはもう17:00を回っていた。日没が関東より遅い西日本であることで少々助かった。
吉舎も石見銀山街道の町。街道は直線だが馬流川が蛇行するため町は2つに分断されている。その間にあるのが巴橋。橋の袂には、南側に大きな造酒屋、北側に3階建ての奇妙な洋風建築である写真館。両者が両町のランドマークになっている。写真館は昭和2年に竣工したもので当時は珍しく見物にきた人が結構いたという。吉舎は銀の道で栄えた面影が残るいい町並みであった。

中世に至ると、吉舎は次第に街道集落としての重要な役割を占めるようになる。尾道より高野山領であった太田荘(現甲山町)を経て三次に通じるルートの中で、平野部への玄関口である吉舎は交通の枢要で、物資の集うところとなった。自然発生的に馬洗川の西岸に市が立った。その後南寄りの東岸部にもかつての古市に対し七日市・四日市という市が発達した。
 江戸期に入ると、街道は石見銀山(島根県大田市)と瀬戸内を結ぶ石見街道、通称銀山街道の沿道で、吉舎は後になって備中笠岡へ向けて開かれた新しい街道との分岐点となり、宿駅となった。銀の輸送部隊は相当なもので、約400人、300匹の馬をもって輸送されていた。その際この吉舎で昼休みを取るのを例とし、宿泊することもあったという。一方、瀬戸内から逆に北に向う荷は塩で、「塩の道」とも言われた。
 伝統的な家並は七日市地区を中心に見られる。現存する建物はおそらく明治以降のものが多いように見受けられるが、小規模ながら袖卯建を両端に構えた旧家、洋館風の建物も幾つか見られる。また馬洗川に架る巴橋南詰には造り酒屋福六酒造の白壁の酒蔵がある。川沿いの一本松と取り合わせたこの景観は吉舎のシンボルのようだ。
 観光客はおろか散策する外部の者もほとんど無く、町並を案内する看板や標識も一切ない。町の西側にある小高い丘にある尾崎山公園に上ると、街道に沿って集落が発達した様子が良くわかり、石見との繋がりを示す赤瓦の民家も見られた。
参考資料 リンク
三次市

参考文献