銀山温泉 大正浪漫の木造多層旅館建築が並ぶ温泉街

山形県
尾花沢市
銀山温泉



交通

JR奥羽本線大石田駅よりバス





銀山温泉




2001.08.13
2005.05.22
銀山は1456年(康正2年)尾花沢の儀賀市郎左衛門により発見され銀の採掘が始まり、江戸時代の1634年(寛永11年)に御公儀山となりピークを迎えた。1703年(元禄15年)頃から採鉱量が減少して温泉は労働者によって利用されており、湯治場として現在に至っている。
山形盆地にある尾花沢の市街から、最上川の支流である丹生川、さらにその支流である銀山川と、南東の山間を入っていくと谷が狭まってくる。やがて車両は通行できなくなり、銀山川の両側に木造の旅館群が見えてくる。銀山川は緩やかにS字を描いており、川の両側の通りを結ぶ橋が小刻みに8箇所かけtられている。
川と山の間の狭い敷地に建てられた旅館は拡大のしようが無く、湯治場として賑わうとともに必然的に高層化した。基本的には木造3階建てであるが、中には能登屋旅館のように中央だけだが5階建てのものもある。
ところ狭しと建て並ぶ旅館建築の見所は、軒を重ねた多層屋根の形態のみならず戸袋などに施された鏝絵の表現である。
能登屋旅館では、入口のまわりの2本の柱頭に洋風オーダーの装飾が見られ、向かって左の戸袋には富士を眺める風景が、右の短冊状の袖壁には主人の名前とそれを取り囲む尾長鳥と桐の葉の装飾が見られる。
これら鏝絵の作者は、鏝絵の中に書かれているサインから大石田の玉舟という左官職人であった。伊豆の長八に弟子入りまでしており、大正末期から昭和初期に大石田・尾花沢・山形を中心に活躍した職人で、能登屋旅館の鏝絵は昭和7年の仕事である。
銀山温泉の旅館は大正時代はまだ平屋建てだったそうだ。大石田出身の銀行頭取であった田中保らの助言により、昭和初期につぎつぎと木造3階〜5階建てへと改築されたという。おそらくこの時期に銀山温泉がブームとなったのであろう。町並みは意外と短時間で造られるものなのではないだろうか。
銀山川を挟んで木造多層建築が向かい合う。特徴的な屋根形状や塔を載せてアイデンティティを表現している。川の上流がかつての銀山。

木造5階建ての能登屋旅館。両袖に短冊状の鏝絵がある。

旅館永澤平八(左上)と旅館小関館(左下)。

能登屋旅館と旅館永澤平八の戸袋の鏝絵。能登屋には「木戸佐左衛門」の名が表示されているが、銀山温泉の古い旅館はみな創業者の名前が付けられている。(上)
源泉館の玄関。
古山閣の玄関。
旧銀山の疎水抗。
訪れた5月下旬は、ちょうど「花笠音頭」のデモストレーションがあった。高層木造建築に挟まれた銀山川縁の空間は、窓から欄干越しに覗き込む人もいて屋外劇場のようであった。
参考資料 リンク
尾花沢市商工会
尾花沢市

参考文献
『日本の町並みV 関東・甲信越・北陸・北海道』 西村幸夫監修 平凡社