秋葉原 戦後から常に変化し続けてきた世界有数の電気街

東京都
千代田区
外神田1,3,4
神田佐久間町1,2
神田花岡町








交通
JR山手線秋葉原駅下車徒歩




秋葉原




2009.07.05
 明治2年に大火を受け、その後現在のJR秋葉原駅構内の場所に鎮火社が建てられた。それを江戸時代の火防の神である秋葉大権現と誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶようになり、火災時の延焼を防ぐための空地でもあった社域を「秋葉っ原」「秋葉の原」と呼んだことに由来する。鎮火社は明治22年に東北本線が上野から秋葉原まで延長されるのを機に移転された。また、明治期から戦前までの秋葉原駅から神田明神下の間は花柳界「神田講武所」としてにぎわっていた。
 戦後、高度経済成長とともに電気部品を扱う店が立ち並ぶ電器街となり、その後さまざまに業態を変えながら世界有数の電気街へと発展した。当初はジャンク部品とそこから発展した家電量販店が中心の電気街であったが、昭和中後期には音楽ブームを背景にオーディオやレコード・CDを扱う店が増え、その後パソコンの家庭への普及とともにパソコン本体やソフトウエアの店が核となる。一方、電気ゲームブームの到来とともにゲームショップが繁栄、続いてゲームの仮想空間を嗜好する需要に着眼したホビーショップやアニメショップも建ち並ぶようになった。
近年は駅前再開発によって秋葉原駅周辺に大型複合ビルが誕生し、電器街からの流れを核としつつ国際観光や年齢層も幅広い多様性を増している。秋葉原という街は常に時代の最先端を探りながら変化し続けている。
秋葉原駅電気街口駅前再開発ビル
ダイビルと秋葉原UDX
JR東北本線のガード下周辺はあつては青果市場だった。 
秋葉原電気街のかつての名残を伝える「秋葉原電波会館」
ここ以外の街は目まぐるしく変化している。
JR総武線が高く中央通りと交差しているこの風景は、私にとっての秋葉原の象徴的な記憶。
メイド喫茶は現在の秋葉原の風景としての重要な構成要素。
もともと秋葉原は飲食店に乏しい町だった。

神田講武所花柳界時代の名残の料亭か。旧末広町、旧旅篭町は戦災に遭っているので建物は戦後。

神田旅篭町、関東大震災後にここに移された講武稲荷社。周辺は花柳界だった。(上)

昌平橋からお茶の水方面を見る。神田側沿いに古い建物、煉瓦造高架下の店舗がある。(左上)
JR総武線高架下の大アーチ(神田佐久間町)。
大アーチ下には二階建ての建物がはまっているが(左上)、耐震工事か何かのためか、立退きも進んでいるようだ(左)


参考資料 リンク
千代田区

参考文献