長野 善光寺門前の宿場町から県都へと発展した町

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長野市
長野
大門町
横町
東町
西町
ほか



交通
JR信越本線長野駅下車徒歩
長野電鉄善光下駅下車徒歩





長野


大門町


横町




2009.08.02
 慶長6年(1601年)、徳川家康により長野村250万石を含む千石の領地が善光寺に寄進された。元々門前町、宿場町、市場町などの複合機能をもっていた長野村は、善光寺領となり、隣接の権堂村、箱清水村とともに「善光寺村」と称されるようになった。善光寺町の中心地は大門で、物資や特産物を求めて各地から商人が集まり栄えていた。しかし、江戸末期信濃国で一番の都市は城下町松本であり、長野は二番手三番手の町だった。明治期の廃藩置県後に信濃国は南北の二つの県になり、そして長野県として合併する際、長野は松本に競り勝って県庁所在地となり急速に近代化がすすめられ県内一の都市へと成長した。
 善光寺に向かう中央通りは旧門前町、北国街道の宿場町の中心軸で、白壁の商家が軒を連ねていた。近年、アーケードが取り払われ歴史的な町並みを継承した修景整備が行われた。寺の境内前は宿坊街で、広範囲に独特な町並みを残している。また、門前から北東へ抜ける横町は北国街道沿いの町、中央通りに平行した東町、西町にも白壁の商家の町並みが見られる。なお、旧市街の遊里は権堂町いあったが、明治期に東郊外の鶴賀新地に移転、権堂町はその後花街として再興存続した。
中央通り山門前の町並み
上が1984年(万訪撮影)、左が2009年(長野県Tさん撮影)の同じ場所の写真である。
 

中央通り山門前の町並み
左1984年(万訪撮影)では青く塗られていた建物が、上2009年(長野県Tさん撮影)では白くなっている。
 
中央通り山門前の町並み
The Fujiya Gohonjin
大正14年(1925年)に立てられた御本陣藤屋
善光寺参道の町並み(1984年撮影)
ここはあまり変わっていない。土産物屋の裏手は宿坊街。
善光寺(1984年撮影)
大門町南の町並み
大門町南の町並み 
横町の町並み
横町の町並み

宿坊街の町並み 
西町の町並み 
西後町の町並み
参考資料 リンク
長野市

参考文献