水戸 戦災復興のまち 大通りに面する商店街

茨城県
水戸市
宮町
三の丸
南町
大工町





交通
JR常磐線水戸駅下車徒歩




奈良屋町


大工町


谷中



2016.12.30
水戸という都市名は、那珂川が舟運として使われていた時代に河港として栄え、水運の戸口とされていたことに由来する。戦国時代に佐竹氏が水戸城を築いたが、関ヶ原の戦いで敗れて秋田に移転させられ、代わって徳川家の御三家のひとつ水戸藩が幕末まで続いた。城は那珂川と桜川に挟まれた台地上に形成され、城下町を母体とした中心市街地は、JR常磐線水戸駅の北側で台地上にあたる上市(うえいち)と、駅南側で台地下の下市(しもいち)からなる。
第二次世界大戦の空襲により、下市は戦災を免れたものの上市はほとんどを焼失した。国道50号線(黄門さん通り)が街の主軸であるが、その通りが拡幅され両側に商店やビルが並ぶ戦後の町並みがみられる。裏町は夜の飲食店街が多く、水戸遊里で紹介する。
戦災都市概況図:水戸
銀杏坂の町並み
水戸駅から台地の上に上っていく坂道。起伏が激しいため、一皮のビル列のすぐ後ろが斜面になっていてビルが建っている。
宮下銀座商店街通り
東照宮の下に形成されたアーケード形式の商店街

宮下銀座商店街通り

南町界隈の町並み 
南町界隈の町並み 
南町のハーモニーロード
歩道上に波型の屋根がかかる。
南町のハーモニーロード
老舗店もあったりするが、対岸が遠すぎて界隈性がない
南町のハーモニーロードに面する古いビル
水戸の上市の中心市街地は、台地の背骨に走る国道50号線(黄門さん通り)を軸に形成されている。市街地のほとんどが戦災にあっているので戦前の町並みは見られないが、大工町界隈に近代建築が残っている。
参考資料 リンク
水戸市

参考文献
国立国会図書館デジタルアーカイブ 全国主要都市戦災概況図