水戸 | 城下町からの市街地に形成された三つの遊里 | |
茨城県 水戸市 宮町2 大工町1 泉町3 松本町 末広町2,3 交通 JR常磐線水戸駅下車徒歩 奈良屋町 大工町 谷中 2009.10.03 |
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水戸という都市名は、那珂川が舟運として使われていた時代に河港として栄え、水運の戸口とされていたことに由来する。戦国時代に佐竹氏が水戸城を築いたが、関ヶ原の戦いで敗れて秋田に移転させられ、代わって徳川家の御三家のひとつ水戸藩が幕末まで続いた。城は那珂川と桜川に挟まれた台地上に形成され、城下町を母体とした中心市街地は、JR常磐線水戸駅の北側で台地上にあたる上市(うえいち)と、駅南側で台地下の下市(しもいち)からなる。 茨城県内の貸座敷免許地は、昭和初期の記録を見ると水戸には存在せず、3つの花街が存在してた。1つは、上市の西方にあった谷中花街。現在では僅かに一軒の旅館に面影を偲ぶしかない。水戸最大の歓楽街大工町も花街だった場所。昭和40年代特殊浴場禁止区域外となり、一部の待合いが特殊浴場へと転業したが、料理屋や検番所も残っている。そして、水戸駅前の東照宮のすぐそばの奈良屋街は戦後赤となり栄えた場所である。 |
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水戸駅前にある東照宮の西側に台地の中に谷が入り込んだば所がある。そこは奈良屋町と呼ばれた町だが、戦災にあい戦後はカフェー街となった。 モルタル吹きつけの木造旅館が何軒か営業していて、旧カフェー街の面影を残している。 |
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水戸の上市の中心市街地は、台地の背骨に走る国道50号線(黄門さん通り)を軸に形成されている。市街地のほとんどが戦災にあっているので戦前の町並みは見られないが、大工町界隈に近代建築が残っていた。 | ||
旧大工町花街に今でも営業を続けている料亭 | ||
旧大工町花街は現在では昭和40年以降から特殊浴場街となった。 | ||
廃墟のまま放置されているクイーンシャトー | ||
国道50号線の北側は飲食店街。高級鰻料亭が並ぶ一角、スナック街などなど | ||
中心市街の西方、桂願寺門前にあった谷中花街跡。一軒の旅館に面影を偲ぶ以外何もない。(上) 末広町で見かけた銅板看板長屋建築。戦災にあっていないスポットかもしれない。(下) |
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参考資料 | リンク 水戸市 参考文献 |