北木島(岡山県笠岡市) |
北木島は白石島や真鍋島と同じ笠島諸島のひとつである。島そのものが岩盤で出来ていて、地面を掘れば花崗岩がでてくる。花崗岩は石の中でも硬く安定しているので建築や土木の建材として用いられている。北木石は国産花崗岩の代表的な石材の一つである。古くは大阪城の石垣、明治以降の近代建築にも盛んに使われた。大阪北浜の証券取引所、東京丸の内の明治生命館、そして三菱一号館などである。
今日の仕事は、三菱一号館に使用する材料の選定と丁場(石の採掘場)の視察が目的である。しかし私にはもう一つ目的がある。石の採掘で栄えたからには必ずやそれなりの町並みがあるはずである。
チャーター船は石材の置き場の直ぐ近くの岸壁に直接つけられた。波の少ない瀬戸内ならではの芸当だ。石の検査を行い、その石を掘り出した丁場(現在使われていない)を視察した。さらに移動し、金風呂集落で現在も採掘している丁場を視察した。これが驚くことに、地上からマイナス50mを掘り下げた露天掘りなのである。手摺のない深さ50mの穴の縁に立って底を見ることは、高所恐怖症の私には出来なかった。
時間が余ったので大浦集落を歩きたいと申し出た。同行者は集落町並みには全く興味が無いので、集合時間だけ決めて一人で歩き回らせてもらう。集落の一角には旅館建築がいくつもある。木造3階建ての旅館もある。日本を代表する石材を産出した島は、繁栄の面影をしっかり残していた。 |
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金浦(岡山県笠岡市) |
チャーター船で笠岡に戻る。関係者とはここで別れる。まだ日没まで時間があるので、近くの金浦集落を歩くことにしよう。タクシーを飛ばして10分、金浦郵便局前で下ろしてもらった。
金浦は現在では海から遠いが、かつては海岸近くの港町であった。町を歩くと本瓦に虫籠窓、白壁と海鼠壁の建物が残っている。中には倉敷で見るような一際大きな屋敷があった。 |
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笠岡(岡山県笠岡市) |
金浦でタクシーを呼び、笠岡に戻る。笠岡では見つけなければならない町並みがある。それは遊里の跡で、いらかぐみ所属で岡山在住の遊里探訪家!?Yasukoさん紹介の町並みである。今朝、船に乗る前に港廻りと東本町(画像上)を歩いたけれど見つからなかった。となれば、西本町しかない。そう確信した私はタクシーを西本町で止めた。
西本町も東本町と同じように所々に漆喰塗りの町家が残っている。しかし、歩き回れどお目当ての旧遊里の町並みがみつからない。日が暮れて暗くなってきた。焦る。もうどうしようも無いのでYasukoさんに電話をして誘導してもらうことにした。そうしてら、目当ての町並みは笠岡の旧市街から東に外れたもう一つの港、伏越港近くにあった(画像下)。たどり着いた時にはもう撮影不可能な状態。デジカメを電信柱に固定して、それでも手ブレしまくりで撮影した。一応、訪れたことになるが何れまた訪れ直す必要がある。
今晩は岡山のYasukoさんのお宅にお邪魔し、ご馳走をいただくことになっている。全くあつかましいことだがご厚意に甘させていただく。すき焼きをご馳走になり、YasukoさんやNさんと楽しい町並み談義をさせていただいた。
岡山駅まで送ってもらい、瀬戸大橋線で四国に渡る。宇多津駅前のホテルが今日のネグラである。 |
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多度津東浜(香川県多度津町) |
ホテルは宇多津駅前徒歩1分と便利である。高松での仕事の前に多度津と丸亀の旧遊廓を歩く。
多度津は本通と家中を歩いているが遊廓は未訪であった。ここもYasukoさんに教えてもらった。駅からタクシーで東浜フェリー乗り場まで行って戻るように歩くことにする。フェリー乗り場は高見島や佐柳島への船が出ており、さらに乗り継げば真鍋島・北木島を経て昨日歩いた笠岡まで渡れる。以前、この逆コースで渡ってきたことがあるが、東浜の旧遊廓には気づかなかった。
旧遊廓の町並みはフェリー乗り場から本通商店街に至る道に形成されている。近くの西浜にも同じような町並みが続いていたが、こちらも遊廓だったかどうかは分からない。 |
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丸亀(香川県丸亀市) |
丸亀は6年前に歩いているが、どうもとらえどころのない町だった。城下町というのは大抵駅が旧市街から離れている場合が多い。丸亀も城下町なのでそうだろうと思って駅前の薄暗いアーケード街を通過し、城の廻りと旧金毘羅街道に沿った町を歩いた。その結果、丸亀は古い町並みに乏しい町と思っていた。ところがこれは大間違だったことが分かった。
丸亀駅の港側の駅前から歩き始める。すると、さっそくカフェー調の建物が現れた。次に港の東側にあたる西平山町を歩く出てくるわ出てくるわ、遊廓時代の建物が残っている。つまり駅前は港町で、港を挟んだ東西に遊廓があったというわけだ。さらに駅の反対側のアーケード街とその周辺を歩くと古い町家がたくさん残っているのである。
丸亀は城下町でありながら町人町と港が連続していて、駅はその両町の間に造られていたのである。灯台元暗し、駅前に町並みの見所が集中していたとは・・・。
夜になり、高知自動車道で高知県芸西村の土佐湾に面するリゾートホテルまで移動した。明日は高知県西部の集落町並みを歩く予定である。
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伊野(高知県いの町) |
伊野は土佐和紙で有名な町。小5年の娘の社会科の教科書にも「土佐和紙=伊野」と出てきたので覚えている。逆にそれまで知らなかった。
古い町並みは、市街地の中とそこから少しずれた場所にある。物資は仁淀川によって運ばれたため、川に近いところに高知県で良く見られる水切り庇がデザインされた高グレードの商家が並んでいる。しかし、この商家の並ぶ通りが交通量の多い国道33号線沿いなのが惜しい。市街地の中の西町の町並みにも良い民家が残っている。町並みの連続性というより建物単体に魅力を感じる町並みであった。 |
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佐川(高知県佐川町) |
佐川は仁淀川流れる盆地で、良質の米を産する米どころ。東町にでっかい造り酒屋があって、それが150mくらいの町並みをつくっている。その銘柄は「司牡丹」。そういえば、昨夜ホテルの居酒屋でつまみをおかずにしながら、「司牡丹」を飲んだ。美味しかったのでまた一人で酔いつぶれてしまったのだ。司牡丹酒造は土佐の酒として有名である。人気があって時代とともに拡大したのであろう、酒蔵や店などの建物がたくさんある。
酒蔵の町の隣には西谷(西町)という古い住宅地がある。ここでもまた違った景観を楽しんで歩くことができる。
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久礼(高知県中土佐町) |
高知県の高知市から西の地域は遠い。高速やバイパスが整備されていないの時間がかる。佐川から旧窪川町興津を目指して国道56号線を走っているのだが眠くってしょうがない。途中、久礼という町があったので、予定に無いが眠気を覚ます意味で立ち寄ってみることにした。すると旧街道に結構な古い町並みが残っているではないか。高知県の古い民家はとにかくデザインが素晴らしい。だから残っていれば即絵になるのだ。町並みとしては無名であっても探せばまだまだあるものだ。 |
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興津(高知県四万十町) |
高知県の地図を開いてみてほしい。わが国最後の清流といわれている四万十川は、四国山地西縁に発し、一度旧窪川町(四万十市)付近で海岸線近くを流れた後、ふたたび内陸部を蛇行して中村市で土佐湾に注いでいる。四万十川の上流部が海岸線からわずか7kmのところを流れているということは、窪川町と海岸線の間に強烈高低差があるはずである。その強烈に落ちた海岸線に向かって国道56号線から一本の県道が延びていて最後にクネクネしている。そして道の先には興津(おきつ)という集落がポツンとある。つまり、興津は周りと一本の道でしか通じていない、隔絶された集落なのである。
どんな姿を見せてくれるのであろうか。狭い土地に密集する漁村集落なのか。期待しながら一本道を走る。峠を越えると興津集落の全貌が見渡せた。そこは想像していたのとは違う、海に囲まれた広々とした農村風景であった。峠といっても海に向かって下るだけの細いクネクネ道だ。
興津は海に突き出た半島のようになっていて、標高218mの三崎山と陸との間に自然が作り出した砂州状の平野集落である。この集落の特徴は高知県沿岸で共通する防風対策で、ここでは綺麗に刈り込まれた竹垣が用いられている。高知県西部では他にも見られたようであるが、今では興津くらいにしか残っていないそうだ。私の見た興津集落は穏やかな桃源郷のような場所であった。 |
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窪川(高知県四万十町) |
一本道を上って四万十川上流の平野に戻る。平野といっても隣の中土佐町や佐賀町とは極端な高低差があるので台地上の平地といったほうが正確な表現であろう。その台地上にある窪川は市町村合併によって四万十市となったが、かつては窪川町の中心集落で、須崎、中村、宇和島などへ通じる交通の要衝であった。
古い町並みとして紹介されている町ではないが、一応チェックするため市街地に入る。旧街道に沿った商店街に商家が数軒残っていた。白壁に水切庇、海鼠壁の漆喰塗籠造りである。中心に造酒屋があって印象度を上げている。
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大谷(高知県土佐清水市) |
高知市から西へ130km、四万十川河口の町中村は遠かった。中村は正統的な小京都といわれている。つまり「京都に似ている」という心情的な小京都ではなく、京都を志向した町づくりが行われた小京都である。この正統的な小京都の双璧といわれているのが山口と中村だ。そんなウンチクから中村に期待を寄せていたが、碁盤目の町割り以外、古い町並みとして今ひとつであった。寺とかを見れば「なるほど小京都」と思ったかもしれないが、私は寺には全く興味がない。さらに土佐清水もしつこいくらい探索したが魅かれるものがない。疲れているのか?いやそんなことはないと思うが・・・。せっかく高知県の最奥部まで来て中村と土佐清水を置き去りにするのは気がとがめるが仕方ない。足摺岬の集落に急ごう。
足摺岬の東側に大谷という生垣集落がある。古民家探訪家のルナルナさんから教えてもらった。興津の竹垣と同様、高知県西部に見られる防風生垣の一つである。だが、生垣の高さや樹種は興津とは違ったものである。ルナルナさんの解説によれば、生垣は100年以上を経ているものもあるという。石垣を1mくらい積み上げて、その内側にヤブツバキやウバメガシを植えているそうだ。
集落を歩いていると面白い形をした家があった。新しいものであろうが、屋根が曲線になっていてとっても可愛らしい。生垣集落とは全く関係ないが、この集落の名物として掲載しておこう。
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松尾(高知県土佐清水市) |
足摺岬そのものは1988年に訪れているので通り過ぎる。「せっかくここまで来たんだから足摺岬を見ればいいのに。勿体無い!」といわれそうだが、岬なんてなくなるわけではない。でも古い集落はなくなってしまう。そっちを見ないほうが勿体無い!。
他にもいい集落は無いものか、岬の西側を探索しながら走る。途中、松尾という集落があり、そこに重要文化財の民家の存在を知らせるサインを見つけた。民家の庭に入って写真を撮っていると、なんと管理を頼まれている方が長屋門の門扉を閉めて鍵をかけようとしている。危うく閉じ込められるところであった。松尾集落は崖っぷちにも集落が形成されており、石垣の美しい集落だった。 |
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